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「へえ、弓子さんのルポの観光案内か。読んでみたいかも。その雑誌こっちでも売ってるかな?」


 放課後。

 美術室でイーゼルの修理をしながら、真実は和矢に相槌を打った。

 美術的才能は未知数だったが、大工仕事の才能はあるらしい。

 夏休み前に、美術準備室の隅で修理の当てもないまま放っておかれた、壊れたままのイーゼル等の備品を見つけて、見事に復活させてみせた。

 それ以来、暇を見ては壊れかけの備品を修理するのが真実の役目になった。

 加奈に勧められミニチュア家具作りなどの木工模型にも挑戦している。

「一応全国紙だって言ってたけど。……でも地元の内容だから、面白みはないかもしれないよ」

「ううん、逆に弓子さんがここら辺をどう紹介するのか気になるよ」

「森本さんって、よっぽど弓子さんが気にいったんだね」

「気にいっただなんて! もはや、あこがれの人ですよー! 素敵だよね。気風がいいっていうか、クールビューティ? っての」

「……森本さん、多分それ、使い方違ってる……」

 黙っていれば確かに、きりりとした和風美人だが、感情がすぐ顔に出るし、「暑いっ! エコは忘れろ!」とエアコンの設定温度を下限いっぱいに下げたり、「寒いぃ。和矢ぁ、お茶入れてぇ」と毛布をかぶって部屋をうろうろしている姿は、どうにもクールとはいいがたい。そんな姿を和矢や美矢だけでなく、家に泊まった俊や、様子を見に来た加奈や真実にも衒いもなく見せてしまう鷹揚さは、裏表がなく、愛すべき性格だとは思うが、もう少し人目を気にしてもらいたい、と和矢が愚痴る。


「いいの! だいたい、ああいう場面で、動じないっていうか、ドンと構えてるって、すごいよ? 手助けはするけど口は出さないなんて……」

「……どっちかと言うと、鉄火肌の姐御みたいだけど……」

 クールビューティとは言わないな、ぼそっと斎が言うのを、珠美がうんうんと頷いて、同意を示す。

「森本先輩が美矢ちゃんの叔母様をお気に入りなのは分かりますけど、あのことはオフレコですよ?」

「分かってるって! 私だって、知られたくないし……」

 夏休み前の文化祭で起こった事件のことは、結局公にはなっていない。

 学校で隠匿したわけではなく、学校側にも知られていないのだ。

 美術室で捕えた連中を、後々唐沢家で再度締めあげ……もとい話を聴いたが、結局シバなる者の素性は分からなかった。

 直接会って話をしたはずの志摩でさえ、「これと言って特徴は思いだせない」平凡な風貌であるらしい。


『背は、少し高め……体型は普通で、声も普通……長髪ってんじゃないけど、前髪だけ長くて、目元や何かはよく見えなかったし、……そのくらいしか、言うところがない』


 そういう姿形に当てはまる人間を、真実は一人知っているが、彼はとても平々凡々とは言えない風貌だったし。

 彼……加奈を一目で虜にしてしまった、美貌の主。

 その後、加奈との関係はどうなったのか、聞いてみたいところだったが。

 加奈と言えば、もう一つ気になるのが、あの時の、加奈の異変。

 すぐに意識を回復したし、本人も何が起こったのかよくわからない風だったから、周りの皆も言及しなかったが。

 加奈の様子に変化はないし、俊を心配するあまり起きた一過性のヒステリー的なものだろうと巽は言っていたが。

 たが、たが、たが……あー、気になることばっか!

 本来ウジウジ考え込むことが苦手な真実であり、気になると知りたくてたまらない性分なのだが、藪蛇になりそうなので、口をつぐまざるを得ない。

 一番の大きな蛇は……須賀野の行方だった。

 俊の居場所を突き止めた和矢達が、プレハブに到着した時、悲鳴を上げた男……おそらく須賀野……の声を聞いてはいるが、姿は見ていない。その時俊は、手足を縛られた状態で、意識を失って倒れていた。

 現場に残されていたのは、バキバキにひびが入ったスマホのみ。後日修復を試みたが、データもすべて破損し、修復は不可能、と斎から報告を受けた。正直、落とした程度の破損ではない、乗用車に押しつぶされたレベルの衝撃が加わっていた、とのことだったが。

 直前まで通話できていたことを考えると、どのようにそんな衝撃を加えたのか、不可解なことだらけである。拘束されていた俊に、そんなことができるはずはなく、その場にいた須賀野でなければ、いったい誰が……と疑問は尽きない。

 スマホ同様傷つけられた俊は、意識を取り戻しはしたものの、自力で歩行することは困難だった。幸い骨や内臓には異常はなく、縛られた手首に擦り傷ができ、背中や下肢が打撲痕だらけだったが大きな外出血はなかった。唯一、口の中が切れて出血していた。顔にはあまり攻撃を加えなかったようで、それでも左頬には殴られたと分かるほどの痣ができ脹れ上がっていた。翌朝には傷がもとで発熱してしまい、解熱まで二晩寝込むことになった。

 とりあえず一番近い和矢の家に運ぶことになったが、あまりに無残な姿にタクシーを使うことも出来ず、結局事情を聞かずに動いてくれる唐沢家の車で送ってもらった。

 ひとまずその晩は正彦が俊の自宅に連絡し(一応、意識を取り戻した俊も電話越しに文化祭の打ち上げの後友人宅に泊めてもらう、という建前で連絡したのだが「今日、友達の家に泊まる」しか言わないので、正彦が建前の状況の説明をして、自分も一緒に泊まる、とフォローしていた。もっとも、普段から口数が少ない俊なので、家族も不審がらず「いつも面倒見てもらってごめんなさいね」と答えていた)、翌日は弓子の助力で学校に親のふりをして欠席の連絡を入れてもらった。普段真面目な俊の無断欠席は家に問い合わせされる恐れがあったが、弓子の電話を信用してもらえたのか、発覚はしなかった。熱が下がらないので、もう一晩泊めてもらったが、さすがに連泊は気が引けたのか、後日、俊の母親がお礼とお詫びを伝えたいと主張し、弓子が快諾して自宅の電話番号を教え、応対してくれた。和矢の、というか弓子の家は、もともとこの辺りではそれなりに名の通った旧家で、今は経営から退いているものの、親世代ではかなり著名な会社の創業者一族で、信用度は抜群だった。

 顔の脹れは、正彦が「なれない場所で夜中に暗がりでトイレに行ってドアにぶつけていた」と話したら納得してもらえたらしい。正彦の方も恐るべき信用度である。

 翌日の欠席と、二日間の振替休日のうちには体調も戻り、顔の脹れも引き、痣は絆創膏で被えばそれほど目立たなくなっていた(理由を聞かれれば同じように答える予定だったが、気になる視線は感じるものの、誰も俊本人には事情を聞かないので、何となくうやむやになるうちに、痣も薄くなっていった)。

 結果的に、遠野家と正彦の信用度でうまい具合に秘匿できたが、最初は、やや遠いとはいえ、いっそ唐沢家に行って手当をしてもらった方が早いんじゃ?と、真実は思った。事実、手当は結局唐沢家の主治医、という人が往診してくれたのだし。

 それでも遠野家に運んだのは、ひとえに端緒は自分だからと、美矢が療養場所を譲らなかったからである。一連の過程で、遠野兄妹の叔母である弓子に出会い、余計な詮索も干渉もしない、そのおおらかな人柄に惚れこみ、見習うべく口をつぐんでいる真実であった。

 しばらく俊の様子が気にかかり、また志摩を含め、襲撃者の対応は唐沢家に一任していたから、須賀野があれ以来姿を消していたことに、真実は考えが及ばなかった。

 もう一人、谷津マリカも、様子がおかしい。

 後日、自分も脅されていたのだと泣いて許しを請い、その後はしばらく真実とは目も合わせず、美術部に近づこうとしなかったマリカだったが、夏休みが明けてここ二日ばかり、様子が変わっているのに気付いた。

 同級生なのでクラスで見かけるのは当然としても、その他の場所でも、ちょくちょく姿を見かける。真実がマリカの姿に目を止めると、以前は避けるように身をひるがえしていたが、今は平然と眼を合わせ、しかもその眼が、どことなく熱を帯びている。

 夏休みを越して、色香が増す娘達も確かにいたが、(残念ながらというべきか、幸いというべきか、真実には今年の夏もそんな機会は訪れなかったが)それとは違う気がした。

 そういう、色めき立つ甘美な趣が、ないのだ、マリカには。

 色めく彼女たちが纏うのは、夏色の陽光の明るさ。

 マリカが纏うのは、陽気が極まった向こうにできる、色濃い影。

 陰惨、と言ってもいいような、暗い闇を帯びている気がする。そんな沈んだ空気なのに、視線には熱っぽさを感じる。燃えるように、というよりは、じわじわとけるような、熱した鉄のような粘着ねばつきを感じる。

 そんなマリカと目が合うたびに、真実は胸騒ぎを覚える。


 ……もう、これ以上、誰かを傷つけないで。


 マリカの眼が、無残な俊の姿を思い起こさせる。


 もう、何も起きないで!


 祈らずにはいられない。

 どうか、これ以上、怖ろしいことが、起きませんように!


 ……真実の祈りが、天に通じることは、なかった。

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