第二章 甦る悪夢

1

 六月に入り、文化部は俄然忙しくなる。

 七月の文化祭に向けて準備が本格化するためである。

 美術部も例にもれず、やはり何となく気忙しい。

 もっとも、個人の作品展示がメインで、後は会場の手配の為に文化祭実行委員会に時折出席(部長でなく加奈が出席しているのは、現実処理能力を鑑みての選択である)するくらいで、後はいつもと変わりない、はずだった。

 が。


「スゴイ! 上手ねー!」

 本人は女の子らしいと思っているようだが、聞いている方は頭が痛くなるような、変に高い声音が、さっきから耳障りで仕方ない。


 加奈は、筆を休め、ふう、とため息を吐いた。

 集中が途切れて、作業が進まない。

 作品の出来不出来を『彼女達』のせいにしてはいけないのだが、最近は顔を見るだけで、イラついて、作業に没頭出来ない。

 先月、遠野兄妹が入部した時は、いくらか騒ぎになるだろうとは、予測していた。

 入部希望者が増えたことは想定内だったし、その大半を山口部長が追い返すことになるのも分かっていた。

簡単に入部させて貰えないと分かり、ひとまず落ち着いたのだが。


『見学したいんですが』

 数に任せて押しきるつもりなのか、五人の女子学生がやって来たのは七日前。

『今から文化祭に出展するような作品を作るのは無理かもしれませんが、何かお手伝いさせて下さい』

 殊勝な言葉に、無下に追い返すことができず(山口部長が不在だったことも大きかった)、とりあえず副部長の真島ましま先輩は、一週間の仮入部を許可した。

 とはいっても、前述の通り、基本的に個人の作品を仕上げるのが現時点での主な作業であり、手伝って貰うことは特になかった。

 一応出来る範囲で作品制作に挑戦してみるように、真島先輩は話したが、気が付けば和矢の周りをうろちょろしている。


「ねえ、遠野クンって、インドにはどのくらい住んでいたの?」

「英語の他に、何か国語くらい話せるの?」

 その上、昨日あたりから、無遠慮な、プライベートに関する質問が混じるようになってきた。

 妹の美矢に対しては、一応優しい言葉をかけているようだが、美矢の方が相手にする気がないらしく、そっけない態度で応えている。

 逆に和矢の方は、微笑みを絶やさない。

 それがますます彼女達の行動をエスカレートさせていた。

「うーん、話せば長くなるから」

「あいさつ程度なら、他にも話せるけど。また後でね」

 話題が美術から離れてくると、そうあたりさわりなく言葉を返していたが、いかんせん、優しい笑顔付きでは効果もないに等しい。

 拒絶されていることに、彼女達は気付いてはいないだろう。


 いっそ、はっきり迷惑だって言えばいいのに。

 加奈の目から見ても、和矢は熱心に作品に取り組んでいたし、彼が美術部に入ったことには不満はない。

 ただ、彼の押しかけファンクラブ連中は、正直ウザい。

 兄妹だけあって、美矢も和矢によく似たきれいな顔だちをしている。

 物静かで凛とした清らかな美貌。

 和矢が白薔薇なら、美矢は同じ白でも百合か菊花。

 華やかさより、侵しがたい気品が勝る。

 その意味では、社交的な和矢に比べて、どこか近づきがたい雰囲気がある。

 そのためか、今のところ美矢に近づこうとする男子はいない。

 転校初日に美矢に絡んだ不良男子生徒二人を俊が撃退したという噂も手伝ってか、美術部に押し掛けてくることもなかった。

 それに比べて。


 ……まあ、今日で仮入部も最終日である。

 仮、ということで今まで大目に見てきた部分もあるので、本気で入部する気なら、最初にきちんと話をしなくちゃ。

 雑談するな、とは言わないが、真面目に作品に取り組んでいる部員の邪魔だけはしないようにと。

 そう思ったら、何だか黙ってはいられなくなってきて、加奈は女生徒達に声をかけようと、立ち上がった。

 その時。


「静かにしてくれないか」


 抑揚のない、平坦な、低い声。


「迷惑だ」


 簡潔すぎる言い回しに、女生徒達は黙り込む。

 何か言おうと口をあけながらも、その声の主を見て、すぐには反論できずにいた。

「な、何よ……ちょっと話すぐらい……」

 リーダー格の女生徒が、何とかそれだけ口にするが、目線を向けられて、続く言葉が出てこない。

「……ひどい……そんな言い方……」

 別の女生徒が、涙声でつぶやく。

「……ウザッ」

 ぼそっと、別の方向から声が聞こえる。

「唐沢君……」

 美術室の隅で石膏の塑像を手直ししていた唐沢斎を、加奈は振り返った。

 石膏の粉で真っ白になりながら、斎は続けた。


「はっきり言って、うるさいんだよね。ファンクラブなら、よそでやってくんない? ……あと、なにかっちゃすぐ泣く女、ウザい。涙を武器にしたいなら、せめて、きれいに泣けよ? 半端なのは見苦しいったらありゃしない」

 普段は周囲に関心を示さない斎だったが、彼の美意識に反する行為には、毒舌を惜しまない。陰口はたたかないが、表立って堂々と毒を吐きまくるのだ。

「斎……」

「たとえきれいでも嘘泣きはよくない、っていう、俊のお小言は聞きません。僕はいいの。たとえ嘘でも、きれいなら。嘘でもいいって思わせるくらい、きれいな涙なら、僕は認める。でも、ちょっときついこと言われたくらいで、誤魔化すための薄っぺらい嘘泣きは認めない。見苦しい。醜悪だ。たとえ鼻水たらしていても、本気のぐちゃぐちゃの泣き顔の方が、よっぽど美しい。真実の感情の吐露に勝るものはない!」


 ……という、斎の持論の展開が始まり、熱に浮かされたようなその勢いに話の腰を折られて、白けた空気になり。


「……そういうわけなので、真面目に美術に取り組む気がないなら、本入部は見送ります。別に大作作れとは言わないけど、何か目標を持って取り組む気があるのなら、入部届け持ってきてください」

 何がそういうわけなのかよくわからないまま、加奈の言葉に毒気が抜かれたように、女生徒達はぞろぞろと美術室を後にする。


「さすが。上手くまとめたね」

 他人事のように山口部長がパチパチ手をたたく。

「……っていうか、部長が言って下さいよ。二年生同士じゃ、角が立つし……」

「いや、それこそ、我らが引退した後、同じ騒ぎが起きることが目に見えている。ここは、次代を担う二年生諸君に任せるべきだと、静観していたんだよ。いやあ、よかった」


 ……威圧感ばっかりで言葉の足りない俊と、話し始めれば毒舌か持論しか奮わない斎では、苦労するのは自分ばかりの気がする。


 見当違いとは言えない未来予想図に、加奈は、深く、ふかーく、溜息を吐いた。

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