第一章 麗しき転校生

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 連休明けの、さわやかな五月の朝。

 校庭や体育館のあちらこちらから、朝練の生徒達の、賑やかな声が鳴り響いている。

 県立石町原いしまちはら高等学校。

 昨年創立八十周年を迎えた、伝統ある進学校である。

 文武両道の誉れも高く、運動部、文化部とも活動が盛んで、野球部の金属バットの音や、サッカー部のホイッスルの音に混じって、吹奏楽部の重厚な楽器の響きが、離れの練習室から聞こえてくる。

 八時をまわった今の時間、生徒用昇降口に入っていくのは、朝練のない部活の生徒か、帰宅部の生徒くらいである。

 高天たかましゅんは前者である。

 彼の所属する美術部が朝活動するのは、文化祭前くらいなもので、それも一日二日程度であった。

 おかげで、電車通学の俊は、ほぼ毎朝、この時間に昇降口に足を踏み入れることになっている。

「オッハヨー!」

 能天気な挨拶と共に、この時間にこの場所にいないはずの、友人の姿を見て、俊は顔をしかめる。

「何……その格好?」

「見りゃわかるだろ? サッカー部のユニフォーム」

 少年は、新品ではないが、洗ったばかりの青いユニフォームを着ている。

 右胸の所に『SEKIKOセキコー.F.C』と刺繍で縫いとりがある。

「……で? 何?」

「勧誘に決まってるだろ」

 ……誰を、と言う疑問を口にする前に、答えに思い当たり、無視することに決める。

「おいおい! シカトすんな! 誰のために朝練早く切り上げて待ってたと思うんだよ」

「頼んでない……新入部員、沢山いただろう? 今さら……」

「残念! 連休中の練習で三分の一になりました。……まあ、毎年の事だよ」

 インターハイ出場歴もある石町原高校サッカー部は、県内でも有数の強豪だが、その分練習もキツイ。

 同じく強豪の野球部を大きく引き離して、新入生人気ナンバーワンの運動部である。

 ちなみに文化部ナンバーワンは吹奏楽部であり……俊が所属している美術部は、順位は言わないが、マイナーであったりする。

「美術部は、これ以上減ったら廃部になる」

「え? 新入部員入ったって聞いたけど?」

「入ってギリギリ。だから辞めない」

 教室に向かって回れ右した俊の肩を、友人――吉村よしむら正彦まさひこがグイっと掴む。

「まだ話の途中!」

「……離せ」

 パシッ、と正彦の手を払いのけて、俊は振り向きもせずに再び歩き出す。

「ちぇっ、また逃げられたか……美術部と兼部でいいのになあ」

 科白ほどは残念そうでもない様子で、正彦は俊とは逆方向の、部室棟に向かって早足で歩き出した。


「……よくやるよな、吉村も」

 その光景を見ていた男子生徒の一人が、別の男子生徒に話しかけた。

「高天って、そんなにサッカー上手いっけ?」

「さあ? あんまり印象にないなあ。だいたい、アイツって何でも適当に、それなりにこなしてるからなあ」

 可もなく不可もなく、何でもある程度は上手くこなす……それが、周囲の人間が俊に抱く感想。

 そして、もう一つ。

「でも、よくあんな風に面と向かって喋れるよな」

「うん。俺、肩をつかんで引き留めるなんて、怖くて出来ねーよ。目があっただけでフリーズしそうなのに睨まれたら、と思うだけで背筋が寒くなる」

 ……決して素行が悪いわけではない、品行方正とまではいかないが、ごくごく普通に高校生活を送っているはずなのに。


 氷の視線を持つ男。


 ひと昔前の映画のタイトルのような通り名を、俊自身は知らない。

 誰も怖くて、俊に話しかけることができないのだ。

 正彦を含む、一部の仲のいい友人達を除いて。

 正彦は、俊と同じ中学から進学してきた。

 他にも同じ中学の生徒はいるが、親しく話すのは正彦くらいなものである。

 正彦に言わせれば、俊は一番の友人で、俊にとってもそう、つまり親友同士なのだ。

 その親友との会話が、前述のように、非常にそっけないもので……聞き様によっては、仲たがいしているようにも聞こえるが、日常的にあのように会話しているわけで。

 俊にとっては、軽口を叩いているつもりなのだが、周囲はそう取らない。

 他の人間に対する俊の会話内容は、「はい」「いや」「ああ」……という短い言葉で済ませているのが現状で。

 表情に乏しい俊が、ぼそっと短く言葉を紡ぐだけで、怖い、という印象を与えがちなのに、よく喋る正彦に対してさえ、笑顔一つ見せず、平坦な口調で話す様子は、威圧感があり、ますます周囲の人間を寄せ付けなくしている。

 良くも悪くも感情を表すことがない俊は、それなりに整った顔立ちをしている分、余計に冷たく見える。

 影で学校を仕切っている……なんて噂さえ流れた、本人は知らないが。

 そんな俊に対して、飽きもせずサッカー部の勧誘を続け、クラスが違うのに、昼休みは一緒に昼食を摂ったり、暇があれば相手の教室で(主に正彦が押し掛けている)喋っている正彦は、俊と対照的な、まだ少年らしいやんちゃな雰囲気の持ち主である。

 二年生ながら、すでにサッカー部でレギュラー入りして、次期エースと目されている。

 明るく、人当たりも良く、ひょうきんな面もあって、上から可愛がられ下から慕われ、男女ともに受けが良い。

 俊と正彦の関係は、石町原高校セキコー七不思議のひとつ、とさえ言われるほど、信じられないものなのだ……周囲にとっては。

 けれど。

 正彦は俊を大切な友だと思っているし、俊もまたしかり(一見そうは見えないのだけど)。



 今日も今日とて、ざわめく朝の教室の一角で昇降口での出来事などまるでなかったかのように、正彦が俊の机の脇にしゃがみこんで喋りまくっている。

 俊のクラスに隣のクラスの正彦が押しかけるのも、今や当たり前の朝の風景である。


「そういやさあ、どっかのクラスに転校生くるかも、みたいだぞ? 部の連中が言ってた。連休前だか間だかに手続きに来てんの見たって」

「そう」

「中途半端な時期だよな。しかも二人だって。多分兄妹じゃないかって。男と女」

「よく見てるな」

「しかも、日本人じゃないかも、だってよ。なんかアジアかアラブっぽい感じだって」

「日本もアジアだろ」

「だーかーらー、こう、彫が深くて、肌もかなり茶っこかったんだって」

「……ホントによく見てるな」

「それも、かなり美人だってさ、女の方」

「あ、そう」

「もー、感動うすいなー! 一応美術部だろ? もっとこう、感性のキラメキというか、ゲイジュツテキ興味とか、ないわけ?」

「……静物せいぶつ専門だから」

「セイブツなら、人間も入るだろ? って、そりゃ生物か! ははっ」

「……チャイム鳴るぞ」

 周囲の人間に、初夏の日差しを撥ね返すような寒々しい空気を残して、本人は何も気がつかない様子で、教室に帰っていく。

 内容は違えども、ほぼ毎日、正彦と俊の間で繰り広げられる光景である。

 さて。

 俊の指摘通り、じきに始業のチャイムが鳴り響いたが、担任は姿を見せなかった。

 クラスの中がざわめき始め、日直が様子を見てくるからと、着席を促した頃、やっと、担任が姿を現した。

 一人ではなかった。

「静かに」

 さらに大きくざわめく生徒たちに、担任が注意を促す。

「転校生を紹介する」

「はじめまして。遠野とおの和矢かずやと申します。今日からこの学校で、皆さんと一緒に学ばせていただくことになりました。よろしくお願いします」

 シン、と一斉に静まり返った教室に、予想外に流暢な言葉が響く……その名前もまた驚きだった。

 一見すると、日本人ではないと思われた。

 彫りの深い、端正な顔立ちは、その褐色の肌と相まって、エキゾチックで日本人離れした美しさだった。

 濃い睫毛に縁取られた目元は、今は緊張の為か、愁いをおびたように伏せ目がちで、そこはかとなく色香さえ感じる。

 上背もあり、百八十センチを越えているだろう、スンナリしていて、けれどひ弱さは感じられない。

 今、教室にいる男子と比べても体格のよい方に部類されるだろう……けれど、イメージは、華。

 きらびやかで、匂い立つような、大輪の薔薇。

 赤……ピンク……もっと清楚な感じ……雪のように清らかな白い薔薇。

 そのイメージに、俊は心の中で苦笑する。

 男に対する科白せりふじゃないな。

 本人に言ったら殴られそうだ。

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