第7話

 メヴィウス国の北東。

 北に行くほど寒くなり、進めば進むほど、集落は減っていき、集落の人口も減っていく。

 ルシアはメヴィウス家から国外追放を受け素直に従い、メヴィウス家からもらった馬に乗り、十分な食料と賃金を貰い、北東へ向かう。

(別に言われなくても…私の家は国外だし。人なんていないし)

 

 ルシアは自身の住まいレクイエムの森の奥へと進む。

 大きな針葉樹林は人の開拓を阻み、そこに生息する狼などの獣は何人の人を殺めたかわからない。そんな猛獣たちも彼女には手を出さない。人間よりも本能が研ぎ澄まされている動物たちにはわかるのだ。彼女が異質な力を持っていることを。

「へへっ」

 ルシアは馬の背で、馬の歩に揺らされながら一人、自嘲気味笑う。


「これで2度目かぁ~」

 人前では、ほとんど感情を出さなかったルシアは年相応の喋り方になる。

「あ~ぁ、あ~ぁ!本当に、私は、私はっ!…何をやっているんだろう」

 自分の家が見えてきた。

 石レンガでできた家。寂しい家ではあるがルシアは少し安堵をした。


「何をやっているって知っているだろうが、ルシア。ルシア。我が愛しの魔女、ルシア」

 ルシアは不快な顔をして、ため息をつきちらっと振り返ると、そこには異形の物がいた。

「ありがとうね、お馬さん」

 ルシアは馬から降りて、馬の顔を撫でる。

「ごめんなさいね、あなたの前のお馬さんが亡くなってからあまり使っていなかったから少し汚れているけれど、また掃除してあげるから」

 ルシアは引っ張って小屋へと向かう。少し唸りながら馬が嫌がるが、ルシアは落ち着かせながら小屋の中へ連れていき、綱を小屋につなぐ。


「おい、無視か。ルシア」

「黙れ、デーモン。人を陥れる物め」

 睨むように振り返って、ルシアはデーモンを見る。

 ニヤニヤしながら、醜い顔でルシアを見るデーモン。

「はーはっはっはっ。人を陥れるのはお前もだろう?ルシア。いやぁ、久しぶりに旨いご馳走にありつけた。いやあ、本当に…。人ってやつは、面白いし、なんたってうまい。動物の生き血よりも、負の感情ってのは美味でしかない」

「私の!!望みは人を幸せにすることだ!!それなのに…っ、お前は!!」

「おっ、そうだったっけなぁ~。我と貴様が契約した内容は『人の望みを叶える力が欲しい』だったはずだが、ほらぁ、貴様のサインがここにあるだろう?ルシア」

 デーモンは空間に文字盤を出す。たくさんの文字が書かれている一番下に乱れた文字が記載されている。

 そこには覚えたてのローマ字で一文字、一文字大きく、上下がじぐざぐになりながら、ルシアが5歳の時に書いた名前が記されていた。

「悪魔の契約よ」

 ルシアは目をその文字から目を逸らす。まるで、自分の過去から目を背けるように。


「なあ~っはっはっは。何を当然のことを言っているんだ、ルシア。我を笑い殺すつもりか?」

 笑っているデーモンを避けるように、ルシアは吊り上がった目をしながら、自分の家へと歩き出す。ルシア。

「あんたを殺せるなら、私は道化にでもなってあげるけどね」

「ふっ。すでに道化だけどな。ルシア」

 ルシアは胸に鋭い痛みを感じる。

「おっ、こりゃぁ、悪いことを言っちまったか?」

「罪悪感なんてない癖に」

 入口の扉を開ける。

 シーンとした人気のない部屋。必要最低限なものしかない。


「5歳の子どもにあんな契約をさせて。あなたに良心はないの?」

「はぁ…っ」

 デーモンは呆れてため息をつく。

「まだ、貴様は5歳児のようなことを言っているのか。契約は契約だ。人間ですら、奴隷契約を簡単に結んでいるではないか?ヴェーニアスの商人どもの契約なんぞ、我が参考にしたいと感心する契約だぞ」

 俺なんてまだまだ未熟だ、そんな言い方で悪魔はつぶやく。ルシアはそんなことを聞かない振りをして、窓を開けて、空気と光を入れる。


「それに、前にも話したが、悪魔は生まれた瞬間から騙しあいだ。全く…その上、寿命は永遠だから、人間と違っていつまでも年寄りどもが偉そうにしてやがる。はぁ…っ。困ったものだ」

「それで、逃げてきたの」

「逃げるというよりも、新天地を求めてだな。お前と違って」

 ニヤリとまた醜い顔で笑う。

「あぁ…そう」

 机を拭いていると、雨漏りが。

(さっきまで…天気よかったのに。屋根も修理が必要かしら)

 ポタッ、ポタッと落ちてきて机を拭いても堂々巡り。水を含んだ布は滑りが悪くなり、腕が重くなってくる。

(まず、屋根から修理しなきゃ駄目みたいね…)

 上を見上げると、天井は真っ暗で、頬から下に涙が流れる。

「どうして…」

「あん?」


「なぜ…私は人を幸せにできないの…。私はその人の望みを叶えてあげているのにっ!!どうして、みんな、笑えないのっ、なんでみんな幸せになってよ!!」

 ルシアの声が家中に響き渡る。

「あの女王は笑っていたぞ」

 ルシアは答えない。


「もう…死にたい」

 ルシアは本音をこぼす。

「それは駄目だ」

「なんでよっ」

 ギロッとデーモンを睨む。

「貴様には不幸と欲望が集まるからだ。ルシア。そして、我と契約した代償を払ってもらわねばならぬ。くっくっ、ただ、払うにはまた魔の力を使うことになっていくがなぁ」

 デーモンはルシアの顔を見て笑う。


「本当に…他の誰でもない貴様の不幸は蜜の味だ。我が手放すわけがなかろう」

 デーモンは外を見る。

「それにしても、人間とは本当に欲が深い。身の丈に合わぬ望みは身を亡ぼすというのに」

 デーモンは南西のメヴィウス国の方角を見てつぶやいた。

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