いつまでも変わらない安らぎ

Suzunu

第1話

「私の名前は山鹿 武。都内の総合商社で営業をやっています。面倒見が良いと評判で、部下からの信頼も厚く、上司にも気に入られています。でも、最近は悩みがあります。人に気を使いすぎる性格が災いして、なんというか、やってられなくなってしまったんです。すいません。漠然とした話で。」


「良いのよ、最近はそういう子が沢山来るのよ。」


「そうなんですね。」


「じゃあこの絵を見なさい。何が見える?」


 そう言って占い師は何やら奇妙な左右対称の絵の描かれたカードを見せてきた。何だかよく分からないが、強いて言えば犬に見える。


「犬……ですかね。」


「なるほどなるほど……他には?」


犬以外で言うと……鳥?


「鳥に見えます。」


「なるほどなるほど……段々貴方の本当の心が分かってきたわ。」


 そう言って目の前の占い師はほほ笑んだ。こんな紙切れで本当に私の心が分かるんだろうか。


「こんな占いもあるんですね。」


「オホホ。占いだとは思ってないって顔してるわよ。私は前心理療法士をやっていて、このカードを使って診療してたの。」


 心理療法士から占い師になったのは何故なのか、気になるが聞いてはいけない気がした。


「こっちの方が儲かるのよ。」


 そう言って占い師は金の指輪を光らせた。


「何でもお見通しってわけですか。」

「オホホ。視線を見れば大抵の事は分かるわ。さて、時間もないし、話を戻そうかしら。この絵のように、曖昧な刺激に対する反応には、見る人の無意識が投影されるの。無意識ってのは直接は感じられないけど、とても大事なものなのよ。」


「そうなんですね。勉強になります。」


 その流れで結局私は10枚の絵の判定をした。50分もかかってしまった。もうへとへとだ。でも不思議と充実感がある。


「このカードは貴方の無意識を引き出してくれるの。表面の殻を破って自分をさらけ出すのは、本当は心地いい事なの。」


「確かに何だか満たされた感覚があります。」


「そうでしょそうでしょ。もうすぐ1時間経ちそうだから、結果を言うわね。貴方に足りないのは”癒し”よ。」


「”癒し”ですか。確かに足りないかもしれません。」


「このストレス社会で癒しはとても大事。人間には皆ストレスをためる器があって、そこにストレスが注がれていくのよ。でも、その器にストレスが溜まりすぎると、病気になったり、周囲に当たり散らすようになってしまうの。このストレスを解消するには、よく寝て、よく癒される事が大事なの。貴方は人の気を使えるから周囲からの信頼も厚いけれど、その分それに応えようとして頑張りすぎているの。誰かに信頼されるのはとても素敵な事だけど、反面その信頼を裏切るような事が出来なくなってしまう。そうしてがんじがらめになってストレスをためる器が壊れてしまう人が最近多いのよ。どこかでそのストレスを吐き出さないと、近いうちに取り返しの付かない事が起るわよ。」


 この占い師は凄いな。性格は最初に言ったし本当に占いなのか怪しいけれど、私の抱える問題と対処法まで教えてくれた。信頼してもよさそうだ。


「ありがとうございます。確かにそんな気がします。確かに私の器は決壊寸前かもしれません。でも私は趣味と呼べる趣味もない仕事人間なんです。どうやって癒されればいいんでしょうか。」


「安心感よ。これだけは絶対に変わらないと自分が心から信頼できるものが、必ずあるはず。それを見つけるの。」


「安心感ですか。わかりました。考えてみます。」


「頑張ってね。どうしてもダメならまた来なさい。今日は60分だから10000円よ。」


「はい。ありがとうございます。」


そうして私は財布から10000円を取り出した。


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 癒し……癒し……。確かに足りてない物かもしれない。そういえば最近仕事続きで連絡が取れてなかったな。そう思ってスマートフォンを懐から取り出すと、瑞穂からLINEが来ていた。


(武君!元気???最近忙しくて連絡取れてなかったね!今度紅葉狩りでも行かない?(^_-)-☆)


(いいね!!!そろそろシーズンだなって思ってたんだ!今度の日曜日でいい?)


(やったー!!!!!楽しみー!!!!!!)


 紅葉狩りか、最近休日は平日の疲れを癒すためにダラダラするのが常だったが、自然を見るのも癒しになるかもしれない。


 日曜日、自慢のトヨタ・アリストで瑞穂の家に行った。


「おはよう!いい天気だね!」


 瑞穂は今日も元気いっぱいだ。


「おはよう!紅葉日和だね!」


 僕は寝不足だったが、彼女の勢いに負けない位明るく挨拶した。


 瑞穂は白いタートルネックにチェックのコートで暖かそうだ。下半身はジーパンにコートのえんじ色と合わせたスニーカー。このスニーカーは私が誕生日にあげた奴だ。普通に嬉しい。


 そのまま車で秋川渓谷まで走った。国産最速セダンが心地いいエンジン音を奏でる。ゆっくり走る車を追い越し、追い越し、山道に入る。走っていても色とりどりの落ち葉がひらひらと舞い、期待感を高めてくれる。


 駐車場に停めたら、いよいよ秋川渓谷だ。もう辺りは赤や黄色の木々が山裾に見える。瑞穂のテンションが上がってきた。


「めっちゃ紅葉してるね!テンション上がってきたね!」


「そうだね!」


 綺麗だ。語彙力の乏しい私には赤と黄色が綺麗、位にしか思えないが、やっぱり紅葉は秋の風物詩って感じがする。あまりに色鮮やかな葉に視界の上から下まで全てを覆われると、心臓がトクトクと高鳴るのを感じる。名前は分からないが、樹にまいている蔦が紅葉して赤から黄色のグラデーションになっているのを見て、たまらなく美しいと感じた。ちらと瑞穂を見ると、瑞穂も紅葉に見とれている。急に愛おしくなって思わず手をつないだ。


「いきなり手を繋ぐなんて、やるじゃん。」


 瑞穂が照れたように茶化す。初めて手を繋いだ時から何回も聞いた台詞だ。


「このくだり何回目だよ。」


「紅葉見てて油断してたわー、そういえば隣に武君いたんだったー。」


「こいつめ、ハハハ。」


 紅葉を見て良いなと思うのはやはり、私や彼女の中に日本人としての血が流れているからだろうか。谷間にかかる吊り橋にさしかかる。吊り橋に揺られながら彼女と手をつないで歩く。渓流の水音が心地いい。周囲は見渡す限りの紅葉、黄葉。隣には可愛い彼女。これが癒しでなくてなんだろう。


 でも、こんな人生の幸せを切り取ったような情景を前にしても、何だか満たされない気持ちがあった。何でだろう。まだ平日の疲れが癒えていないのだろうか。でもそんな顔を瑞穂の前ではできない。私は景色に見とれている振りをして瑞穂に顔が見えないようにした。


 紅葉を見終わったら、瀬音の湯に行った。無料で使える足湯スポットだ。隣で足をちゃぷちゃぷさせながら、瑞穂は私に寄りかかってきた。


「こんな日が、いつまでも続くといいなあ。」


 そう言う彼女は顔が紅潮していたが、遠くの景色を見ていて、表情は分からない。私は無言で肩に手を伸ばした。ああ……紅葉が綺麗だ。


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 瑞穂は小学生の頃からの幼馴染だった。当時私たちは付き合い、結婚を誓い合う程まで仲良くなった。でも所詮は小学生の口約束だ。中学受験で進学校に進んだ彼女と、地元の中学に進んだ私は次第に話が合わなくなり、お互いに中学で好きな人が出来た事もあって、自然に離れていった。


 そんな瑞穂と再会したのは営業先のお得意さまの企業で受付をやっていた彼女に出会った時だった。私たちは変わりきってしまったお互いの姿を見て笑った。

 昔の思い出を語るために私が瑞穂をお茶に誘った。それからお互いに交際相手がいないという話になり、私たちは自然に付き合いだした。瑞穂は根っこの部分は昔のままだった。


 でも、ふとした時に知らない顔が見える事があり、中学、高校、大学と別の道を歩んだことがありありと感じられた。ああ、どうして中学で別れてしまったのだろう。それさえなければ貴方の事を本当の意味で愛せると思うのに。


 瑞穂も俺に似たようなことを感じているらしい。お互いに同じ悩みを抱えているのを感じる。どんなに近くにいても、お互いに決して分かり合えない赤の他人に見えてしまうのだ。


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 私が帰りの車で思わずため息を付くと、瑞穂も釣られてため息を付く。何だかどっと疲れた。紅葉も彼女と過ごした鮮やかな時間も、明日には仕事で灰色に上書きされていくのだ。それでも、今は彼女と離れて一人になりたいという気分になっていた。彼女を家まで届けたらコンビニで安酒を買って自分の家で飲もう。そう考えていた。


 彼女の家の前まで乗りつけて、外に出ようとした時、左手を彼女に掴まれた。


「……もう少し、一緒にいてもいい?」


 やれやれ、明日は仕事で早いんだがなと思いながら彼女の顔を見ると、想像していた表情とは全く違う、深刻な顔つきをしていた。本能が何かを告げている。ああ、何で今なんだ。もっと私に元気がある時にしてくれ。


「私ね、子供が出来たみたいなの。貴方の子よ」


 私の予感は的中した。嬉しさを少し感じた後、これから待ち受ける現実の恐ろしさ、段々狭くなっていった人生のレールが完全に固定されてしまった絶望感を感じ、息が詰まった。占い師の言っていたストレスを溜める器から、溜めきれなかったストレスが漏れだしているのを感じる。嫌な汗がダラダラと出てきた。


「そうなんだ。嬉しいな。」


 私は瑞穂の方を見てやれなかった。嬉しいのは幾らか本当だが、それを表情で表せている自信が無かった。言い訳をするように、瑞穂の手を固く握った。


「お願い、本当に思っていることを言って。」


「ごめん、まだ混乱していて、気持ちの整理が付かないんだ。」


「そうよね。ごめんね、明日も仕事が早いのに。」


「ごめん、気を使わせてばっかりで。」


「私の事はいいの、いつも気を使ってもらってるのは私よ。一週間待つから、来週の週末にこれからどうするかもう一回話し合いたいな。」


「ありがとう。おやすみ。愛してるよ。」


「おやすみ。私もよ。」


 私は混乱したまま、申し訳ない気持ちで瑞穂にキスをした。こんなに自分が不甲斐ない、情けない人間だと感じながら口づけするのは初めてだ。でも、決壊しかけた器が、幾分か補修されたような気がした。


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 やはり、私には癒し、安心感が足りていないらしい。考えてみれば、大人になった瑞穂も、これから産まれるかもしれない赤子も、”これだけは絶対に変わらないと自分が心から信頼できるもの”ではない。たまたま瑞穂が幼馴染だったというだけだ。それなのに、瑞穂に安心感を求めるのは間違っていると、ようやく分かった。


 社会人になってから、ずっと遊びたいと感じていたのに、最近仕事続きで連絡が取れてなかった、高校時代の友人に連絡を取った。連絡をとることは、何処か会社や、瑞穂に対する裏切りをするような気がしていた。だが、器を守るためには仕方がない。許してくれ、俺はもう限界なんだ。もしかしたら、もう瑞穂の元へは戻らないかもしれない。会社も辞めることになるかもしれない。今日はそれを決める日だ。


 俺は覚悟を決めて、髪をセットした。久しぶりに会うからには、最高の姿を見せたい。服も、この日のために密に用意していた、パリッパリの新品だ。ガレージに行く、トヨタ・アリストでもいいが、今日はやはりこっちだろう。カバーを外した辺りで、外から複数のエンジン音が聞こえてきた。あいつらだ。


「武さん!お久しぶりです!」


 舎弟の浩二が叫ぶ。


 俺はガレージのシャッターを開けた。


「馬鹿野郎!休日の朝からうるせえ!!少しは頭使え!!」


「すいません!!!」


 俺はモヒカンに、”愛死天流”と描かれた特攻服。またがる族車には大きく旭日が描かれている。全てはこの日のために用意した。皆もう、社会人や大学生になっている筈だが、姿はあの頃のままだ。皆、それぞれリスクや手間をかけて、俺のために集まってくれたのだ。そんな皆の姿を見ると、不思議と勇気が湧いてきた。ああ、汚いことは、出来ない。


「連合軍の皆!今日は集まってくれてありがとう!!俺は好きな女と結婚することにした!彼女は上品な俺しか知らない!だからこれが最後の走りだ!!」


 俺がそう言うと仲間たちは泣き出した。連合軍のナンバー3が感極まって抱きつこうとしてくるのを蹴り飛ばした。


「馬鹿野郎!若槻!!湿っぽいのはやめろ!!!」


 本当は俺だって皆と一緒に泣きたい。でもアイツらが見たい俺は、社会人になっても相変わらずハジケた俺だ。早朝の青空には赤々と日の丸が輝いている。人生を通して変わらないのは、この馬鹿共との思い出だけだ。俺は過去の俺を燃やし尽くし、子供に笑われないような新しい俺を灰の中から生み出すため、太陽に向かって走り出した。

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