11 独り舞台にて

 喧嘩はルーサー刑事の手で引き剥がされた。

 ウルフはふくれっ面になりながら腕を組み、壁にもたれかかった。たぶん演技だと思うんだけど、そうは思えない自然な態度。

 いきり立っていた連中はベッドなり床なりに適当に座って、全員不機嫌に口を曲げている。こっちはたぶん演技でも何でもない。

 全体の流れを唯一見ていた僕は感心の色を隠すのに必死になった。だって演技をしたのはウルフだけだったのだ。後の連中は彼の口調にまんまと騙されただけ。それで不満と不機嫌を引きずり出されたのに、そのことに全員が気付いていない。まるで魔法だった――いや、比喩でなく本当に魔法だったのかも。でも金色の光は一瞬たりとも見えなかった。


 サマーヘイズ警部が白髪交じりの髪を掻きながら、気だるげな眼をウルフに向けた。


「あー、それで、魔法使いの坊ちゃん?」

「坊ちゃんはやめてください」

「お前さんはここで何してたんだ」


 ウルフはぷいとそっぽを向いて、いかにもへそを曲げたような口ぶりで答えた。


「アンドリューズを突き落としたのは私だという噂が学内に流れているんです。噂の出処はここだと聞いたので、クレームを入れに来ました」

「なぁるほど。それでさっきの騒ぎか」


 怪しむ様子はまったくなかった。すっかりウルフの目論見通りだ。


「警部はどうしてこちらに?」


 ウルフの問いかけに、警部は一瞬だけ迷うような素振りを見せた。が、やがてまぁいいかと呟くと、煙草の煙を吐くみたいに言った。


「被害者の意識が戻ってね」


 ぴり、と空気に緊張が走った。ジュールがウルフを凝視しているのが分かった。だがウルフはまったく気が付いていないのか、あえて無視しているのか。ちらりと見ることすらしなかった。無関心な横顔。


「それは朗報ですね。では、突き落とした犯人がはっきりしたんですか」

「……あー、ソイツの言うところによると、な。その」


 警部は奥歯に物が挟まったような調子で言いながら、ジュールの方を見た。


「ジョナサン・ジュール――あんたに突き落とされたってよ」


 ひゅ、と息を呑んだ音が、誰のものだったか分からない。僕だったかも。困惑の息が融合するくらい、この場の全員が戸惑っていた。突き落としたのはクームズだ。突き落とした犯人をアンドリューズが見ていたなら、彼女の名前を出すはずだ。なのになぜ。犯人を見ていなかった? それとも――彼女を庇った?


「で、でも!」


 ジュールが立ち上がった。


「俺はその時この寮にいなかった! ちゃんとアリバイが! あんたたちも裏が取れたって言ってたじゃないか!」

「おう、グランダッドの婆さんの記憶力はよく知ってる。だがまぁ、もうそろそろいい歳だしなぁ。たまにゃ見間違うことだってあるんじゃないかと」

「そんな!」


 ジュールの顔色がどんどん悪くなっていく。彼は両手で前髪をぎゅっと握りしめた。そうやるから生え際の後退が進行するのだろう。首を振ればより負荷がかかる。


「違う、俺じゃない。俺はやってない! 本当にグランダッドにいたんだ!」

「ともあれ、もう一度詳しく話を聞かせてもらわねぇといけないってことさ」

「いいえ、その必要はないかと思います、警部」


 水を差したのは当然、ウルフだ。

 サマーヘイズ警部は怪訝な顔つきで彼を見た。

 ウルフははっきりと告げた。


「これは事故・・だった可能性があります」

「事故?」

「なに馬鹿なことを言ってるんだ!」怒鳴ったのはルーサー刑事だ。「突き落とされたって張本人がそう言ってるんだ。目撃者だっているのに、事故? 捜査の邪魔になることを言うなら出ていけ!」

「では、証明しましょう」


 超然とした態度で笑って、ウルフは壁から背を離した。扉を開いて外に出ていく。有無を言わさない背中。僕は慌てて彼の後を追った。

 僕につられたのか、他の人たちもぞろぞろと部屋を出てきた。ルーサー刑事は不満げな顔を隠そうともしていない。サマーヘイズ警部はどこか面白そうに含み笑いをしていた。

 ウルフは階段のところで立ち止まった。


「ルーサー刑事。踊り場の方へ行ってください」

「は。どうして」

「セーフティーネットです。ほら、早く」


 ルーサー刑事は嫌そうにしていたが、警部に背中を押されてしぶしぶ階段を下りていった。

 彼が踊り場に立って振り返ると、ウルフが口を開いた。


「この寮、エイト・ブリッジは大学最古のものです。元々は修道僧のための宿舎として、十一世紀の初めごろに建てられました。では、その前は?」


 突然始まった歴史の講義に、全員ぽかんとしていた。口を挟めるやつなんていない。


「宿舎が建てられる前、この場所は沼地でした。沼地は悪霊が好む場所です。水は流れずに滞り、淀んで濁り、冷たい水草だけが繁茂する。場合によってはそれすら枯れる。腐ればそこから病気が湧くこともある。近寄ってくる人間は何かしらの病みを抱えた人間です。悪霊にとっては格好の餌になる」


 ウルフだけが淡々と言葉を紡いでいく。手すりに寄りかかって、インタビューに答えるみたいに。


「この沼地に住み付いた悪霊はかなり強かったようで、八人の聖人がその身を捧げてようやくそれを封じ込めることに成功しました。そして二度と悪霊が悪さをしないよう、常に修道僧が見張るために、その上に宿舎を建てたのです。エイト・ブリッジと言う名は、身を捧げた八人が橋となるという意味が込められています。橋は水の上に架かり人の行き来を自由にする。すなわち滞りをなくし、流れを生み出すものです。その名をもって、この場に悪い感情や精霊が滞らないことを願ったわけです。また、橋には人柱を奉じるものですからね、そういう意味もあるのでしょう。すなわち“犠牲を忘れるな”と」


 犠牲ではなく殉教の志と言うべきですかね。などとウルフはどうでもよさそうに付け足した。


「このような歴史的背景を持つ建物です。建築上も宗教色が強く出ていて、霊的な守護は非常に強くなるよう設計されています。たとえば部屋の配置」


 手すりから離れて廊下の真ん中に立ち、すっと手を伸ばす。


「建物は南北に一直線。奇数の部屋は日の出の方角、偶数の部屋は日が沈む方角。階段は中央に一つ。外階段が南北に一つずつ。さらに綺麗な対照とするには、こちら側に」


 と、彼は階段の正面の壁を叩いた。


「逆回転の階段を設置するべきなんですが、そこまでやると構造として完全に閉ざされて、かえって流れが悪くなりますし、人が住む場所ではなくなるので、ここはあえて欠けさせたのでしょう。その代わりに表門を裏門より広くして、バランスを取りつつ高低差を生み出しています。素晴らしい均整です」


 そこでいったん言葉を切った。猶予を与えられて、僕らはぐっと唾を飲み込む。

 時間は今や彼の手の中で踊っていた。彼の独り舞台。あるいはプラネタリウム。僕らはただ次の台詞を待ち望むだけの聴衆。椅子に座って眺めているだけの観客。


「ですが、だからこそ、その一角が崩れた時にはひどい事態が待っているのです」


 ウルフは憂うように首を振った。


「結界を構成するシンボルは常に均等に配置されていなくてはなりません。左右も上下も前後も、まったく同じように。ですが、裏門の上、ガーゴイルが一体壊れていました」

「ガーゴイル? っつぅとあれか、魔除けの」


 サマーヘイズ警部の合いの手。頷きが返ってくる。


「ええ、そうです。それによってバランスが崩れ、今、この建物の結界は壊れています。その結果、妖精や悪霊が入り込めるようになりました」


 ひょいと彼は階段の真ん中に立ち、


「今回の事故は、その内のひとりが起こしたものかもしれません」


 話を現実に戻した。電気が点けられたような感覚。

 ウルフは両手を肩の辺りに広げて、階段に背を向けて立った。


「正体までは不明です。ですが、悪霊の中には人の感覚を狂わせ、幻覚を見せ、悪い思い込みをさせるものがいます」


 ふいに彼は侮辱的な笑みを浮かべて壁の方を指差した。


「まぁ悪霊といっても低級で無能、いてもいなくてもどうでもいい無価値で無意味な雑魚集団の一欠片、魔法使いからしてみれば祓うのに使った聖水のコストの方が高いというくらい下等で三流以下のナメクジ野郎――」


 彼が言葉を切ったのは、誰かに突き飛ばされた・・・・・・・・・・からだった。


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