虫歯とサンタと完璧少年

一矢射的

僕は断じて『悪い子』なんかじゃない



 僕は学校へ行くとき、いつも廃車工場の前を通っている。

 登校時刻はだいたい空気の澄んだ早朝。平凡な住宅街を抜けると、唐突に有刺鉄線が張られた不穏な感じのフェンスに出くわす。金網で囲まれた敷地内へ目にやれば、こつ然とスチームパンクっぽい光景が視界に飛び込んできて溜息が出てしまう。壊れた機械が山と積まれ、この一角だけがまるで異世界だ。

 なんかこう、あれだ、感慨かんがい深いって言うの?


 別に僕は車オタクってわけじゃないんだけどさ。

 プレス機で押し潰され、サイコロ型に固められた車が山のように積まれているのを見ると、ガラでもなく不思議な気持ちになっちゃうね。


 役立たずはみんなこうやって始末され、人目のつかない所へ消えていくんだろう。適者てきしゃ生存、それが社会の仕組み。世の中は相応しい人材が生き残り、そうでないものは切り捨てられる。

 ショギョームジョー、もののあはれ。えーと、あとは……知らない。


 僕らも小学生だからといって油断してはいられない。生存競争はもう既に始まっているんだ。同じクラスの奴等はノホホンと毎日遊び歩いているけど、僕は違う。

 パパに言われた通り、塾に通いつめ、頭が爆発するほど勉強しているもんね。将来は弁護士か医者になって、ワイングラスを片手に美女をはべらせてやるんだからな。寄り道して呑気に駄菓子屋で買い食いをするヤカラめ、今に見てろよ。


 ……少しもうらやましくなんて無いんだからな。あんなに甘いお菓子ばかり食べていたら、どうせ虫歯になるに決まっている。


 ウンと苦しめばいいんだ、僕みたいに。

 虫歯のことを思い出したら、右の奥歯がまたキリキリと痛み出す。

 おっかしいなぁ~、ちゃんと歯磨はみがきは欠かしていなかったのに。

 僕みたいなパーフェクトボーイが何てザマだろう。

 たった一度、付き合いで駄菓子を買い食いした天罰なのか? 理不尽すぎる。


 こんなのとてもパパには言えやしない。どうも虫歯は冷えてくると痛むみたいだから、温かくなる春まで我慢すれば どうにかなるんじゃないかな?

 は怖いよ。人の歯を物みたいにゴリゴリ扱うから。

 こっちは生身の無垢むくな少年だぞ。スクラップにされるのはだけで充分だ。


 右頬を押さえながらそんな事を考えていた時だ。

 チリチリンと鈴の音が鳴り、僕は反射的に廃車工場の中へと目を向ける。


 プレス車が積まれた屑鉄くずてつの山。そのテッペンに妙な奴が立っている。

 強風の吹きすさぶ中で平然と立つ、大きな袋を背負った黒服の男。

 灰色のマフラーと毛糸の三角帽子で顔を隠していたけれど、その鋭い眼光だけは剥き出しのままだ。オッサン? お爺さん? 多分、おっさんだ。

 聞こえた鈴の音は男のマフラーについた装飾品から鳴っているみたいだ。風でマフラーが揺れるたびに真冬の風鈴が歌声をあげている。

 パーフェクトボーイには詩心だってあるんだ。めてくれてもいいんだよ?


 でも、そんな黒ずくめの袋おとこが僕の視界に収まっていたのは ほんの十秒たらずだ。奴はすぐにスクラップ山の向こう側へと下っていき、見えなくなる。

 

 なんだったんだろう?

 工場の職員さんか?

 もうすぐクリスマスだし、サンタクロースのコスプレをしたら目立つ場所に出てみたくなったのかな? まったく変質者って奴は寒くても出るものなんだな。まず、サンタの真似をするなら赤い服だろうに。


 何かが、いつもと違う。見慣れた通学路ではない。

 違和感があったけれど、もう授業が始まってしまう。

 警察に通報するほどじゃないと僕は判断する。我ながら完璧な采配さいはいだな。









 ところが、その黒いサンタを見たのは、僕一人だけではなかったらしい。

 昼休みにその話をしたら、しょーもない噂好きが次々と飛びついてきたから。


「黒いサンタ、知ってる知ってる! 悪い子をさらっていくんでしょ?」

「日本では余り知られていないけど、ヨーロッパじゃ有名らしいよ」

「確かさ、サンタクロースが良い子にプレゼントをくれるのに対して、黒いサンタは悪い子にお仕置きをすんだってね」

「背中の袋に子どもを詰めて、連れさらうんだろ? 噂じゃ、ウチの生徒がもう何人かさらわれたらしいよ、マジ怖ぇ」


 やれやれ、コイツ等ときたら。率直そっちょくに言ってガキだな。

 そして遠回しに僕を「悪い子」だと決めつけてないか?

 これはビシッと言ってやらねばなるまい。


「キミ達ならともかく、僕がさらわれる理由なんてないだろ。僕は清廉潔白せいれんけっぱく、誰が見てもバリバリの良い子だからな。ちなみに去年はサンタからプレゼントをもらったぞ」


 ヤダー、可愛いんだけど。

 女子からそんな反応が出たのは気にくわないが、それはまだいい。

 クラスのガキ大将である「ブタキング」の奴がからんできたのは最悪だ。


「いやーわかんねーぞ。お前、人付き合い悪いからな」

「なんだよ、それ。良い子、悪い子と何も関係なくね?」

「だから、それが決めつけなんだって。我が家の基準なら、お前なんて『悪い子』だからな!」

「は?」

「いつも明るくハキハキと。コミュニケーション能力が高くてみんなのリーダーになれる奴が『良い子』なんだよ。たとえば俺のような?」


 うるせー、ブタキング。その出た腹を何とかしろ。

 ただし、奴の家はケーキ屋であり、帰宅後に仕込みや店番を手伝っている点は評価せざるを得ない。幾ら完璧な僕と言えども、まだ小学生。働いた経験は皆無なのだから。

 せいぜい言い返せるのはこれぐらいだ。


「学生の本分ほんぶんは勉強だろ。そっちの方が大切に決まってる」

「どうかねー。コミュ力が足りないと苦労するんじゃねーの」


 成績が悪いくせに、言う事だけは妙な説得力がある。

 何故か言いくるめられてしまうので、コイツは苦手だ。

 他の話題としては、クラス委員長のミチコちゃんがクリスマスパーティーを企画しているそうだが、虫歯のことを考えたらとても行く気にはなれない。丁重にお断りしておいた。


 それにしても、今日はやけに一日が長く感じられる。

 奥歯は物を食べただけで痛むし、もう疲れたよ。帰りたい。









 街灯ひとつ無い夜道。

 僕は独り道を往く。後ろから誰かの気配を感じるけど、振り向けない。

 足音はピッタリ僕の歩幅に合わせ、ついてくる。

 脂汗でシャツがベッタリ背中に張り付いている。


 走って逃げようとした瞬間、襟首をつかまれた。

 振り返れば、血走った目でこちらを見下ろす黒サンタがそこにいた。


「この悪い子め! お前を遠くに連れて行くぞ」

「違う! 僕は悪い子なんかじゃない。捕まえるべき子なら他にいるだろ」

「いいや、お前だ。買い食いをして虫歯になるとは」


 言うが早いか、サンタはマフラーをとって素顔をあらわにする。

 そこにあった顔は僕の良く知るもの。怒りの形相ぎょうそうを浮かべた父さんだ。

 そんな、サンタの正体がパパだったなんて!

 そして落雷のように大声がとどろく。


「お前なんか、ウチの子じゃない」









 目が覚めるとそこは薄暗い教室である。

 どうやらホームルームで退屈な長話が始まり寝てしまったらしい。

 起こしてくれたのは用務員のおじさんだ。


 なんだよ、気付きもしないって!

 教師の職務怠慢しょくむたいまんいきどおりながら、用務員さんに急かされて僕は学校を出る。


 帰り道は夢同様に暗くなってしまった。

 まさか、本当に来るんじゃあるまいな。


 チリリリンと鈴の音。


 噂をすれば影が差すというけれど、やはり来たよ。


 廃車工場の前を通りかかった時、街灯の下で手招きをしている男が居たんだ。

 心臓がギュッと縮み上がって、悪夢が蘇る。

 いや、違う。あれの中身がパパなわけない。

 あれはただの、サンタのコスプレをした変質者だ。

 

 ……充分ヤバイじゃないか。


「やめてくれ! 来るな」


 僕は大男の脇をすり抜け逃げ出す。

 フェンス沿いに走っていくと、やがて子どもなら辛うじて通れるぐらいの穴が見えてくる。僕の待ち望んでいたものだ。


 金網の上部には有刺鉄線が張り巡らされているし、工場の中へ逃げ込んでしまえば追いかけてこれないはず。けれど、それを実行した僕の目論見はもろくも崩れ去ってしまうんだ。


 黒サンタの奴がしゃがんで穴の縁に手をかけると力任せにフェンスを引きちぎったからだ。人間離れしたパワーじゃないか。それに、至近距離で見て判ったのだけれど奴の左腕は何だか妙だ。

 義手なのだろうか、黒い服のそでからのぞいているのは金属性のハサミじゃないか。ハサミと言っても刃物じゃない。蟹のハサミを思わせるものが左手についているんだ。


 コイツ、まさかロボットなのか?


 ますます怖くなった僕は、サンタが拡張した金網の穴を潜っている間にその場を離れようと決心する。逃げ場を求め頭はパニック。僕は積まれた屑鉄の山を登り始めたんだ。


 それって整備された公園の遊具じゃないから。車の残骸から突出したネジやらワイヤーやらが、僕の肌へ刺さって傷つけたけど、痛みに構ってなんかいられない。アドレナリン全開の力でドンドン登っていく。

 だけど乱雑に積まれていたんだろうな。プレスされた車のボンネットに右足をかけた時、バランスが崩れて屑鉄山の雪崩なだれが始まったじゃないか。

 僕は高所から投げ出されて、頭から真っ逆さまに落ちちゃった。


 これにて一巻の終わりかと思いきや、下で黒サンタが左腕を構えたんだ。

 なんと奴の左腕は折り畳み式のマジックハンドになっていたんだぜ。

 ビヨーンと伸びたハサミが空中で僕の足をつかみ、地上で待つサンタの胸元へと引き寄せたから驚きだ。サーカスの空中ブランコ並の体験だよ、まったく。

 風がゴウゴウ鳴り、気が付けばサンタの腕に抱かれている。


「え? あの、助けてくれたのかな? ありがとう」

「……」


 御礼を言ったが相手は無言のままだ。何も言わず、いきなり背中の袋を僕の頭からかぶせてきたじゃないか。やっぱり人さらいか! 僕を外国に売り飛ばすつもりか? 完璧少年の僕は容姿も端麗たんれいだからさぞかし高く売れるだろうさ。


「うわー、出してくれー」


 ジタバタ袋の中であがいてもどうにもならない。

 袋ごと背負われて運ばれるしかないのだ。

 いったいどこへ運ばれる? どこかの倉庫? アジト? 港? それとも……。


 暴れ疲れたので脱力していると、袋が床へ投げ出され不意に眩い光があふれ出す。


 袋の口が開けられ、中をのぞき込んでいたのは……なんと額帯鏡がくたいきょうをつけた歯医者さんだった。


「おやおや、困るねぇ。もう診察しんさつ時間は終わりだというのに。何て置き土産なのだろう」

「あの、僕サンタの奴にさらわれて」

「ああ、よーく知っているよ。彼ならば、もう行ってしまった。君と、ご両親に宜しくだって」

「え!?」


 そこは歯医者さんの診療所。

 お医者さまの話だと、あのサンタは人さらいなどでは無いという。


「正体はよく知らないよ? 廃車工場でよく見かけるそうだから、あそこの関係者だとは思うが。だが、悪い奴じゃない。君みたいに隠し事をしている子どもをよく此処ここへ連れてくるんだ」

「か、隠し事なんて……」

「嘘はダメ。虫歯なんだろう。言っておくが放っておくと取り返しのつかない事になるぞ」

「うぅ、どうして判るんです?」

「彼は、どうも子どもの心が読めるみたいでねぇ。虫歯やいじめ、家庭内暴力なんかで悩んでいる子を袋に詰めては、しかるべき場所に送り届けているんだよ」


 歯医者さんは僕から家の電話番号を聞き出すと、パパに迎えを頼んでくれた。

 そして、パパが到着するまでに僕の虫歯を容赦なく治療して下さったよ。


「虫歯というのは、歯がボロボロになって神経が剥き出しになった状態なんだ。だからみるし、当然だが、放置しても治ったりしないよ。痛みが慢性まんせい化してしまうと怒りっぽくなったり、気疲れで人付き合いも出来なくなってしまう。人生を損するだけさ、百害あって一利なし。すぐ治さなきゃ」


 麻酔の注射はちょっと痛かったけれど、その甲斐あって虫歯の苦しみは嘘のように引いていった。


 迎えに来たパパは、事情を聴くと少し怒っているようだった。

 帰りの道中、車の中でパパは穏やかだけど真剣なお説教をする。

 助手席に座る僕は、何度もうなずきながらそれに耳を傾けたんだ。


「悪い子だな、お前は。虫歯を隠しておくなんて、家族を信用していなかったのかい。パパは悲しいよ」

「ごめんなさい、パパ」

「お前が精一杯やっているのはよく知っているさ。どんなに気を付けていようが、体調を崩す時はあるから。これからはやせ我慢せず、すぐ言うんだよ」

「うん」

「それとな、お前、悩み事を相談できるような友達は居ないのかい? 君はすぐ歯医者に行かないといけない。そう忠告してくれるような人は」

「えーと、居るような、居ないような」

「……パパは昔からお前によく言ったね。完璧な男になれと。でも、そのせいで少し誤解を与えてしまったのかもしれないな」

「誤解?」

「誰にも助けを求めない奴が強くて完璧なわけじゃない。人間のすることにはミスがあるし、誰にだって得意・不得意はあるんだから。間違いをキチンと正してくれたり、困った時に支え合ったりする仲間は絶対に必要だよ。誰かを心の支えにするのは弱さなんかじゃない。むしろ、その人を信じる強さだ」

「うん」

「そうやって手を取り合い、皆でより完璧に近い社会を目指していくこと。それが格好かっこういい生き方なんだと、パパはそう思うよ。お前とはもっとこうして話し合う機会をもうけるべきだったな。仕事ばかりだった私を許してくれ」


 パパはいつも為になる話をしてくれるけど、この日は特にそう。

 完璧はみんなで目指すもの。その格言は僕の中で何かを変えたみたい。

 虫歯の痛み みたいに、人付き合いのわずらわしさから逃げ回る弱さが消えていく感じだったな。









「なんだよ、聞いたぞ。虫歯なのに我慢していたんだって。歯医者が怖いのか、案外可愛い所もあるんだな」


 うるせーぞ、ブタキング。

 でもまあ、コイツなりに僕を心配してくれたのかもな。

 歯医者さんの言った通りだ。虫歯が消えたら世界が変わる。

 痛みをこらえていた日々はただの骨折り損でしかなかった。毎日カリカリしていたのが嘘みたいだ。


 学校の日常はまったくいつも通り。変わったのは僕だ。


 成程ね、口に出さなきゃ僕の苦痛は誰からも気付いてももらえない。

 ちょっと寂しいけど、そういうものか。

 例外は、あのサンタだけ。


 黒サンタはあれ以来、姿を見かけない。

 きっと今日も誰かのクリスマスを幸せにしたくて走り回っているのだろう。

 怖くて無口だが優しい人よ、このプレゼントは生涯忘れない。


 そうそう、それから委員長、予定変更だ。

 スケジュール調整がうまくいってね。


「え? やっぱりクリスマスパーティーに出るって? うん、いいよ。プレゼント交換会があるから、準備しておいてね」

「ああ、完璧な僕のセンスを見せてやるよ」


 贈り物を受け取ったからには誰かにお返しをしないとね。

 本当はもう気付いていたんだ。

 完全無欠なんて、僕にはお似合いじゃないってこと。


 だから僕は目指すよ。

 それなりの完璧を、僕たち全員で。


 そこそこでも僕には充分さ。 

 

 メリークリスマス!

 黒サンタさん、親切にどうもありがとう!



 でも、来年は赤い服で来てくれると嬉しいかな。

 ちゃんと良い子にするからさ。

 

 

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虫歯とサンタと完璧少年 一矢射的 @taitan2345

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