5.デイジーの反乱

 爆発の光は二度、三度と立て続けに夜を赤く照らして――それでも止まない。

 その中を、少佐に手を牽かれて私は走る。


「空爆って何ですか!? 何で基地が空爆されるんですか!? 少佐!?」

「知るか! とにかく走るぞ!」

「どこに――」

「格納庫! 俺もお前もパイロットだ! 戦闘機がなけりゃ何もできん!」

「戦闘って、何と戦闘するんです!? 何が起こってるんですか!?」

「さあな! 事故かもしれんし、平戦が破裂したのかもしれんし、宇宙人が攻めてきたのかもしれん! 分からん!」


 平戦が破裂した。

 その可能性に思い至って、私はぞっとする。

 なぜってそれは、世界の終わりとほぼ同じ意味を持っているのだから。


「もしかして、世界――終わるんですか?」

「終わろうが何だろうが、何もしないわけに行くかっ! 走れっ!」


 そこで私は姿勢制御をミスって、脚を滑らせ思いっきりすっ転ぶ。まるでアリスだ。そして当然、手を繋いでいた少佐もそれに引きずられる形ですっ転ぶ。が、すぐさま起き上がり「立て!」と無理矢理私を引き起こそうとして、私の重量に引っ張られて、また転ぶ。もう無茶苦茶だ。


 ソウザキ少佐も焦っていた。


 それはたぶん少佐も空爆なんてものを体験したことがない世代の軍人だからで、それでも、少佐は唸り声と共に起き上がり、私の手を無理矢理にでも引きずって戦闘機の下へと連れて行こうとする。


 悲鳴が聞こえる。


「ちっくしょう! 敵は、敵はどこだ! 撃ち落としてやる!」「馬鹿野郎、撃って当たるわけねえだろうがたぶん戦闘機だ!」「爆撃機だろが!」「うるせえそんなもんわかるもんかUFOかもしれねえぞ馬鹿!」「基地の対空システムは何やってんだ!? インビンシブル・システムと繋がった対空誘導弾の迎撃は!?」「くそ! 駄目だ応答しねえぞおい!? ウィルスにやられたんじゃねえかこれ!?」「アホ抜かせ!? スパコンと繋がった基地防衛用HAIだぞ!? 軍用ウィルスの飽和攻撃にだって耐えるはずだろ!?」「騒いでる暇はねえぞ! 火を消せ! 消火器だ! 無ければバケツに水を汲め! ホースなんざ悠長に出してる場合じゃねえ! 水道管叩き壊せ!」「衛生兵はどこだ!?」「何だよ衛生兵って!」「うるせえうるせえ! こういうときは衛生兵を呼ぶんだ馬鹿! 衛生兵! 衛生兵!」


 周囲を見渡すと――消火器を探し回る人影。

 本気で防火バケツを持って消火活動をしている連中までいる。

 不意に視界に入った、担架に運ばれているあの黒いのは、もしかして、人なのか。


「少佐、ひ、人が――」

「死ぬさ! なんせ戦場だからな!」


 その言葉に、私は絶句する。

 私という存在を構築している数列の並びは、電子データとしてバックアップされ保存されている。だからここで今、破壊されたところで死ぬことはない。

 そんなのは理屈だ。

 理屈は何であれ、ここで死ねば、少なくとも今ここにいる私は死ぬ。

 怖かった。


「怖いです――少佐」

「そうか」


 と、少佐は頷いた。


「俺もだ。デイジー」


 ようやく、格納庫前へと辿り着く。

 が、入り口はぐちゃぐちゃになっていて、とてもではないが通れそうにない。

 見れば、爆撃による火の手は格納庫の一角からも上がっていた。というかこれ、そもそも中の機体は無事なのだろうか。とっくにスクラップになっているのでは。


「ちっ――ここは駄目か」


 少佐が呻き、すぐ回れ右をして引き返し、


「裏手から回り込むぞ!」


 と、別の道を通って裏口を目指した。が、


「げっ」


 と少佐が嫌そうな声を上げる先。

 裏口に回ろうとした私たちの行く手を阻む錆び付いたフェンス。有刺鉄線が巻き付いていたり電流が流れていたりするほど物騒な代物ではないが、侵攻を妨げるためには十分役立つ代物だ。


「くそっ――よしデイジー! 1、2、3だ! 一緒に思いっきりぶちかますぞ!」

「わっつ!? な、何をです!?」

「飛び蹴りだ! コンビ―ネーションで蹴り壊す! タイミング読み違えんなよ!」

「い、いえす!」

「お前のその体重を生かせ!」

「私が見た目に反して重いのは確かな事実ですけど、何か嫌ですそれ! 嫌です!」

「いいから行くぞっ! 1、2、3っ!」

「ふ……ふおおおっ! ちぇすとぉっ!」

「うおらぁっ!」


 という叫び声と共に、少佐と私が同時に放ったドロップキックがフェンスをぶちこわし、倒れたフェンスを踏みつけ私たちは格納庫へと潜り込む。


「他の連中も向かってるはずだ! 情報を交換して、状況次第で迎撃に――」


 少佐がそう言った、次の瞬間だった。

 真横の壁が吹っ飛んで光。音。衝撃。

 少佐の腕が私をとっさに抱き締めて。

 そして、私の意識がクラッシュする。


 …………。

 …………。

 …………。


 意識がクラッシュしていたのはそれほど長い時間ではなかった。

 反射プロセスで閉じていた目蓋に信号を送り、視界を開かせる。

 赤い光に染まった夜の空がまず見え、頭部を動かして周囲を見渡したところ、視界すぐ横の一角が見事にものの見事に消し飛んでいるのを発見する。

 よくもまあこれで機体が無事だったものだと、私はそう思った。

 いや。

 無事ではない。

 各部からエラーが返ってきている。

 まったくもうバレないようにしなさいといったでしょう、と叱られるなと一瞬だけ思って――いや、あの怒ったところで全然怖くないのだけれど何故かこう逆らえないHAIブリーダーの教師のところからは、私は卒業したのだっけ――と思い出すまでに存外にプロセスが必要で、ああ、信号が混濁している。


 別れ際に「デイジーは頑張り屋さんですから」と言って「だからきっと大丈夫です」と私の頭を撫でて励ましてくれた彼女に、でもシミュレーションで墜落したことを引きずっていた私は気の利いたこと一つ言えなくて、そのことを今更に後悔する。


 いや違う。

 今、そんなことを考えている暇はないのだと、必死に思考を再起動させる。


「おい――無事か。デイジー」


 と、少佐の声。


「まだ機能は停止してませんが」


 その声に、私は自分でも信じられないくらいに安堵した。


「割と無事じゃないです。これが終わったら入念な修理をお願いします」


 そう答えながら、今の一撃で少佐が死んでいても全然おかしくなかった、という事実に私はそこでようやく思い至って、その可能性にぞっとし、でも生きていたということにほっとし、機体が返してくるエラーを無視して身を起こし、少佐の方を見て。


 反射プロセスが私に息を呑ませる。


 一瞬、視覚関係の処理の異常を疑って、異常が見つからないことが理解できない。

 言葉を失っている私を不審に思ってか、少佐が尋ねてくる。


「おい、どうしたデイジー?」


 どうもこちらの機能に異常が無さそうなので、そのことに戸惑いながら私は、正直にこちらの視覚の状態を答えることにする。


「いえ。あのですね少佐――」


 私は、少佐の右腕を指差して、言う。


「少佐の腕が見えないんです」

「は?」


 少佐がぽかん、と口を開け、それから自分の右腕を見る――なぜか肘から先が無くなっていて、代わりにちょっとおかしいくらいの勢いで血が流れ出ているのを見る。


「ああ……」


 困ったな、という顔を少佐は向けた。


「いやこれ、本当に無くなってるぞ」


 そうですか、と私はいまいちその意味が理解できないままに頷き、


「えっと、それじゃあ、少佐――それって修理できるんですか?」

「無理だ」


 少佐は首を振って、


「ごめん」


 そう謝って、

 その場に崩れ落ち、

 私の反射プロセスが、私に悲鳴を上げさせるだけの数値を感情マップが出力したのはその瞬間で、決壊したダムを思わせる感情の濁流は極端過ぎるくらいに数値を跳ね上げ、その感情を出力し切る方法には私には存在せず、


 つまり、私は発狂した。


 少佐、と叫んで私は倒れた少佐の身体に取り縋り、嫌です、と言葉は続き、死なないで下さい、と無茶苦茶な言葉がさらにその後ろに続いた。

 本来ならOUV機に搭載された緊急プログラムを使って私が救命措置を行うべきで死なないで下さいとか言ってる場合ではなくていいからさっさと助けろこの鈍間――という真っ当な思考はその時点でもう吹っ飛んでいた。


 完全に錯乱状態だった。


 そうしている間にも、少佐の右腕からはどんどんどんどん血が流れ続けていて、

 そのときの私はもう完全な木偶人形で、

 だから、


「デイジーくんっ!」


 叫びと共に。


「どけっ!!」


 と、私を押しのけたバラッカ中佐の判断は完璧に正しかった。

 そして、押しのけられたにも関わらず「少佐、少佐」と壊れた機械みたいに叫び。

 もう一度、ソウザキ少佐の身体へと取りすがろうとした私を、


「駄目! デイジー!」


 そう叫んで、強引に引っ張って私を引き止めたアリスの判断も、完璧に正しくて、


「邪魔をしないで下さい!」


 と、怒鳴る私だけが完璧に狂っていた。

 アリスが、私を押さえつけながら叫ぶ。


「邪魔はデイジーだよ! 座っててよ!」

「だって、でも! 少佐が、少佐が……」

「デイジーの馬鹿! いい加減にして!」


 アリスに頬をひっ叩かれた。

 衝撃が頬を通って触覚センサーを通って私の中枢に届き、

 私は、そこでようやく、アリスの顔をまともに認識する。

 今にも涙を出力しそうな顔が私を見ていて。

 ぎゅう、と。

 アリスが思い切り私を抱き締めて、言った。


「大丈夫だから……っ!」


 大丈夫、大丈夫とアリスが私の聴覚センサーが収められた耳元で何度も何度も言うのを聞きながら、私は、バラッカ中佐が持ってきていた救急救命キットを押し開け、ソウザキ少佐の右腕の傷口に保護ジェルを塗りたくって止血し、左腕に増血剤やら何やらの注射を手際良く打ち込んでいくのを見ていた。


「……さすがですね中佐。やっぱ本物の戦場で戦ってた人にゃ敵いません」


 と、一連の処置を受けたソウザキ少佐が掠れた声で言って、「不名誉なことさ」とバラッカ中佐が軽く笑うのを聞いて――私はアリスと一緒になって、ぺたん、とその場にへたり込む。


「少佐――少佐ぁ……っ!」


 安堵の言葉を喉が出力し、塩分を含まない涙が、私の頬を伝って流れ落ちる。


「ごめんなさい……ごめんなさい……っ! 私の、私のせいです……っ!」

「落ち着け」

「でも……だって私を庇ったせいで……」

「馬鹿。もし庇ってなかったら、腕じゃなくて頭が消し飛んでたかもしれねえだろ。とにかく、そんなことは後でいい……今はまだ戦闘中だ。泣いてる場合か」


 その言葉に、ひぅ、と喉が出力しようとする泣き声を、過剰分泌される有機レンズの保護液を、私は強制停止させ、そして偽物の涙を拭った。


 ソウザキ少佐が、バラッカ中佐に尋ねる。


「……バラッカ中佐。状況は?」

「基地の中枢HAIがウイルス攻撃を受けた――おそらくは電子戦に特化したHAIの支援で打ち込まれた戦略級のHAIウイルスだ。他基地や本部の電子戦HAI支援を受けてこちらのHAIも対抗しているが、この状況では対空ミサイルや迎撃用のターミナルは使えそうにない――非常事態用のレーダーによると、敵はターミナル二機だ。私たちでどうにか迎撃するしかない」

「マイヤー少佐とチャーリー、ロスマン少佐とブロンクスの二組は?」

「すでに出撃した。私も出撃するつもりだったが――」

「そうだよ! 聞いてよデイジー! 空爆で私の機体の翼がへし折れちゃってさ! 酷いことするよね、まったくもおっ!」

「――というわけだ。戦闘機が使えないパイロットなんぞ何の役に立たない。せめて、少しでも役に立とうと、こうして救急パックを抱えて負傷兵の救助の手伝いをしようと駆けずり回っていた次第だ」

「助かった俺にとっちゃラッキーですよ――ところで、デイジーの四番機は?」

「四番機ならば使えるが、今の君では……」

「俺は必要ありません」


 と、ソウザキ少佐が断言した。


「――なあ、デイジー」

「は、はい! 少佐!」

「お前に、命令するぞ」


 と、彼は私に言った。

 驚くほど静かな声で。


「飛べ。お前一人でだ」

「嫌です」


 否定の言葉が、瞬時に出力された。


「――まだ私、一人でなんて飛べません」

「嘘付け。お前、俺がいなくたって、もう飛べるんだろ?」

「そんなこと、ないです」

「お前、飛行訓練のとき、わざとミスしてるだろ? この馬鹿――一体、どんだけ一緒に訓練してきたと思ってんだ。俺の目をごまかせるわけねえだろが」

「嫌なんです。二人じゃなきゃ駄目です」


 どうして彼の言葉にそう逆らうのか。

 私の感情マップを埋め尽くす悲しみの数値が、一体、何に因っているのか。

 そのときの私には理解できなかった。


「私には、できません。できないんです」

「何を言ってやがんだ――道具の誇りとやらはどうした」

「そんなことはわかってます。だからこれは、反乱です」

「反乱?」

「だって、AIは、人間に反乱するものなのでしょう?」


 支離滅裂だ、と自覚しながら。


「なら、これがそうです。私はもう少し、あと、ほんの少しだけでいいから」


 私は、ソウザキ少佐に告げる。


「少佐と一緒に空を飛んでいたいんです――だから、その命令は聞けません」


 その言葉に、ソウザキ少佐は。


「………馬鹿だな。デイジー」


 と、ちょっと困ったような――でも、ひどく優しい声で言った。


「お前、それのどこが反乱だよ――それはだな、ただの我が儘って言うんだ」

「……わかってます。そんなことは、ちゃんとわかってるんですよ――少佐」

「なら、できるな? 今お前がやらなきゃ、それで誰かが死ぬかもしれない」

「でも、怖いんです」

「なら歌でも歌えよ。お前の歌は滅茶苦茶だけど悪くない」

「――少佐の歌の方が良いです。すごく適当な歌ですけど」

「うるせえ」

「……少佐」

「おう」

「私は、本当に飛べますか。たった一人で」


 ああ、と少佐は頷いた。


「できるさ――お前なら、できる。人類最後のエース・パイロットの俺が保証する。お前は、HAIで最初のパイロットになる」

「……」


 私は、しばらく黙った。

 そして、少佐に告げる。


「ちゃんと見ていてくれますか? 少佐?」

「ちゃんと見てるから――行け。デイジー」


 私を見て、彼が微笑む。

 優しく、少し寂しげに。

 そのことに、感情マップが、一杯になって溢れ、エラーを起こし掛ける。


「――空は、もう、お前たちのもんだ」


 そのエラーが表す感情の連なりを、どんな言葉なら表せるのか。

 よくわからない。よくわからないまま、私は走り出す。

 少佐を背後に置いてきぼりにして。

 戦闘機のところへ。

 空へ。


「こっち!」


 と叫び、アリスが私を先導して駆け出す。

 それを私は追いかける――背後にいたソウザキ少佐の姿は、すぐ見えなくなった。

 瓦礫やら割れたガラスやら誰かの私物やらが散乱する通路を走り、格納庫に急ぐ。


 ぱたぱた、と。

 一見鈍そうで、実際には、まるで無駄のない動きで先を行くアリスを追いかける。

 私がこんな風に慌てふためいているのに、アリスはいつも通りにほわほわしていて、つまるところいつも通りに落ち着いている。

 敵わないな、と少しだけ思う。

 負けてられるかこんにゃろう、とそれよりももっともっと思う。


 まだ製造されたばかりのことを思い出す。

 ほんの二、三年前の――ずっと昔の記憶。


 昔、アリスは木を登ることができずにぐずぐずと泣いていた。

 今は違う。

 何でってそりゃ練習したからだ。夜中にこっそり部屋を抜け出して。月の下で。何度も何度も何度も何度も、わあわあ、と叫びながら木の幹にしがみついては、べちゃり、ぽよん、と転げ落ちることを繰り返していたのを私は知っている。部屋の窓からこっそりと見ていたのだ。おかげでその月の検査でアリスは故障箇所が五カ所も出て、大目玉を食らっていた。

 そして後日、しれっとした顔で、アリスは「私、なんか木登りできるようになったよー」とぽやんとした顔で言ってのけたのだ。

 なんて意地っ張りな、と私は思った。

 たかが木登りなのに。


 アリスが今のこの状況のような、突発的な事態に弱いことは知っている。

 例えば、いつも通る道の床にバナナを仕掛けておけば、それに簡単に引っかかってすっ転んでひっくり返ってぴーぴー泣き出すのがアリスだ。それくらい突発的な出来事に弱いのだ。

 今、そうなっていないということは、ちゃんとこれを想定していて、こうなったときにどうするべきかと考えていたと、つまりはそういうことだ。


 アリスが天才であることは、確実だ。

 でも努力をしていないわけではない。

 少なくとも、私がしている程度の努力はしていて、私がしている以上の努力だってしている。ぽやんとした顔の影で、できたよーとへらへらと浮かべる笑顔の裏で。

 だから、私も負けられない。

 負けたくない。

 例え、それがアリスにとっては雀の涙程度の努力だとしても、諦めたりしない。


 瓦礫の通路をくぐり抜け、扉をくぐって、格納庫に入った。


 途端に天井が見上げる程に高くなって、全容を把握するために、右から左までめいいっぱい首を動かさなければならないくらいに空間が広がる。

 その空間の中に収められた、主翼が折れたアリスの機体と、瓦礫やら何やらを若干引っ被ってはいるが無事な私の機体。すでに出撃しているブロンクスとチャーリーの機体の姿はない。


 アリスの指示で、私はコンソールから突き出た端子ケーブルを背中に繋いだ。


 どうするつもりかと思っていると、アリスはいつもなら専門の整備員が操作している各種機器を動かし始めた。ちょっと待てそんなことができるのか、と私は思う。当然、私にはできない。ブロンクスにもできないし、チャーリーならもしかしたら、とも思うがたぶんできないだろう。

 そう言えば、整備班のところにアリスがちょくちょくちょっかいを出しに行き、迷惑を掛けていたという話を聞いたことがある。たぶん、そのとき覚えたのだろう。


 そして実際、今、その技術はこうして役に立っている。


 繋いだ端子から私は自分自身を機体に転送される。馬鹿みたいにぶっといケーブルと馬鹿みたいに高性能なコンピュータで繋がれた光通信は、大容量な情報を一瞬で機体へと転送する。

 転送される前に、私はコンソールを「とりゃあっ!」と良いながら指先で危なっかしく、でも思いの外素、早い動きで叩いているアリスに言う。


「――アリス」

「なにーっ!」

「アリスは、寂しくはないですか?」


 ぽかんとした顔で「寂しい? どうして?」という言葉が返るのを期待していた。

 けれども、返ってきた言葉は違った。


「うん。私も」


 ふわふわと笑って、アリスが私を見る。


「一人は寂しいよ」

「……そうは見えませんが」

「寂しくたって笑うんだよ、デイジー――寂しくても、飛ばなくちゃ」

「アリスは、強いですね」

「大丈夫だよ。私もすぐ一人で飛ぶよ」


 アリスは自信満々にそう言ってのける。


「だから今は、先に飛んで。デイジー」

「……私が最初でも、いいんですか?」

「いいんだよいいんだよ。ここで飛ばないなんて無しだよ。ここで遠慮なんてしてたら、私、デイジーなんか置いていっちゃうよ。だってさ――」


 ぽよん、と胸を張ってアリスが告げた。


「私、デイジーには負けないんだから!」


 いつも通りの、お決まりの言葉だった。


「何ですかそれは」


 と、何だかおかしくなって、私は言う。


「……私だって、アリスには負けませんよ」

「うん。行ってらっしゃい」

「ええ。行ってきます」


 そっと目を閉じる。 

 それを開けば、視界はすでに360度を見渡す、戦闘機の視界だ。

 機体へと命令を送り込む。

 そしてエンジンが起動し。

 機体が前に進む。みるみる速度が上がっていく。前輪と滑走路のアスファルトが擦れる音。出力を上げていくエンジンの叫び。機体の表面を撫でる風の音。

 かつてはできなかったけれど――今はもう呼吸するようにできる。

 機首を持ち上げていって。

 ふわり、と。

 空へ。

 飛び立った。

 ふと、彼の歌が聴こえた。

 そんなわけがないのにはっきりと聴こえる。

 きっと、錯覚に違いない。

 あの物語の中で、砂漠に不時着したパイロットが見た男の子と同じような、何か。

 私にとって、必要な錯覚。


 感情マップがそれに反応した。恐怖が消えて無くなる。

 私はアフターバーナーに火を入れる。一気に加速する。


 一人の空。

 ひどく静かに感じる。

 爆音が至るところで響いているのに。

 私には、ただ、錯覚の歌声が聴こえているように感じられる。


 行く。


 失速しかねないぎりぎりの角度と軌道で、一気に上昇。

 高空を飛ぶターミナル機をレーダーの視界が見つける。

 二機ターミナルが即座に反応。こちらに向きを変える。

 それを、レーダーの視界が見ている。

 人間の認識能力を遥かに超えた距離。

 しかし、私たちはすでに相手の喉元を捉え合っている。


 ――エンゲージ。


 私は行く。

 彼の軌道を、なぞる。

 彼ができなかった、あの、人間の限界の先。

 人類最後のエース・パイロットと同じ軌道。

 それをなぞっていく。

 私は飛ぶ。


 空を。


 ひとりぼっちで、私は飛んでいく。

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