1.赤とんぼ

 空が高く、青く澄んで見える。

 雲は一つだってない。


「乾燥してて空気中の水分が少ないからな」


 と、コックピットの中で少佐が言う。


「……秋だな。星が一番良く見える季節だ」


 ぱちん、と。

 少佐が、私の機体の起動スイッチを弾く。

 小気味良い音が鳴ってから、エンジンが掛かって飛行準備が完了するまで、今はもう一秒と掛からない。

 少佐が操縦桿を動かし、機械的入力が電気信号に変換され、そこからさらに光信号に変換されて機体を駆け巡っていく。

 機体が滑走路へと進み出す。


「さてと――今日も頼むぞ。デイジー」


 と、少佐が言い、


『いえす――今日もよろしく。少佐』


 と、私は言葉を返す。

 スロットルレバーが操作される。がちん、と言う音。電線と光ケーブルを伝い、エンジンへ。がこん、という音がして、エンジンが解放。

 空気を引き裂く音。翼が空気を掴み、機首が持ち上がり、機体が浮かび上がって。

 飛ぶ。

 あっという間に地面は遥か下に。

 雲のない空を裂いて、宙を走り抜けていく。


「デイジー」

『はい、少佐』

「今日から――戦闘訓練が始まる」

『ええ』

「お前に戦い方を教える――振り落とされるな、ちゃんと食らいついてこい」


 ソウザキ少佐はそう言ってヘルメットの中で笑い、私も言い返す。


『食いちぎるつもりで引っ付いて行きます』


 前方。

 先に発進していた他の三機の姿。その中に私も加わって、四機編隊を構築。

 位置は、第二編隊の僚機。

 要するに編隊の一番後ろ。

 斜め前で第二編隊長を務めているのはマイヤー少佐とチャーリーのチーム。


『私の僚機に付くのは不服かもしれんが』


 と、マイヤー少佐が無線で通信を寄越す。


『今は従ってもらおう――よろしく頼む』

『こちらこそ。ま、ルーキー相手じゃなくて気楽でいいだろう?』

『違いないな』


 ソウザキ少佐の言葉に笑うマイヤー少佐。

 さらにその前方に位置している第一編隊。

 僚機となっているのは、ロスマン少佐とブロンクスのチーム。


 そして編隊の一番前。

 第一編隊長として、この四機を統率するのはバラッカ中佐とアリスのチーム。


『さて――』


 と、バラッカ中佐が無線の向こうで告げる。


『――諸君』


 これから本格的に始まる戦闘訓練に向けて、いつもの、ちょっと過剰なまでに芝居がかった口調で、彼が告げる。


『我々は今、歴史の節目に立っている』


 そして。

 今、これから。

 ターミナルとの模擬戦が、始まる。


   □□□


 時は少し遡って、一週間前、私たちは基地でちょっとしたイベントを開催した。


 事の発端は、私が赤トンボを捕まえたことだった。


 基地の人からもらった虫取り網で捕まえたその生物を、やはり基地の人からもらった虫かごに入れて持ち帰ったところで、今後、この実に驚異的な軌道を描いて飛び回る細っこい生物をどのようにすべきかということを、私はアリスと共に協議していたのだ。


「トンボと言えばシーチキンらしいよー」

「何ですかそれ」

「食べ物だよー」

「いや魚の缶詰のことならわかりますが、それがトンボとどう関連が?」


 などと話していると、横から「おい可哀想だから逃がしてやれよ……」と空気読めない発言をブロンクスがしてきたので、アリスと一緒にこき下ろして泣かせた。そしてその後で「まあ、確かにブロンクスの言う通りですね」と言って、窓の外へと虫かごを出し、蓋を開いたのだ。

 だが、赤い体色の虫はなかなか飛び立とうとせず、もしかしたら羽を傷つけたのかと心配になったが、確かめて見るとそういうわけでもなさそうだった。なら体調が悪いのかと虫かごに手を突っ込んだところ元気に暴れ回る。そのくせ、何故か虫かごからは出ようとしない。


 そんなわけで、これは困った、と思いチャーリーにどうすべきか相談したのだ。

 困ったときのチャーリーである。


 チャーリーは昆虫の集団行動について書かれた本を閉じ、突きつけられた虫かごに入った赤トンボをしばし見つめた。その後で、窓から蓋を開き、ぶんぶんと振っても赤トンボが出て行かないことを確認し、手を突っ込んで取りだそうとしたところでトンボが暴れ、チャーリーは指先を噛まれた。


 チャーリーは噛まれた手をしばし見た後、虫かごを私に返して言う。


「ええと……その内逃げていくと思うよ」

「何だってこんなにも虫かごから離れないんでしょう?」

「いやそれは僕にもちょっと……というか、かなりわからないけれど。あれじゃないかな。デイジーに恋しちゃった、とかじゃないかな」

「なんと」


 私の感情マップは驚愕で埋まる。


「しかし、そんなこと言われてもちょっと困ります。私はみんなの美少女なのです。こちらのトンボさんのお気持ちは嬉しいですが、それに答えることはちょっとできそうにありません。どうすればいいでしょう、チャーリー?」

「ええと……」


 と、チャーリーは頬に疑似発汗による水滴を一筋流し、一瞬明後日の方向に視線を泳がせてからこちらに視線を戻し、唐突にこんなことを言ったのだった。


「そ、そう言えばさ。マイヤー少佐、今度誕生日らしいよ」


 そう言ったのだった。

 こちらがそれに対して何かを言う前に、ちょっと慌てたように言葉を続けたチャーリーの話によると、前日に、こんな感じの会話があったらしい。


『チャーリー』

『はい。マイヤー少佐』

『君の飛行も……大分安定してきたな』

『少佐のおかげです』

『いや、君自身の力だよ。この間、君が提出レポートを見た――よくあそこまで、この機体のシステムを効率的に運用するための操縦法を体系化できたものだ』

『そんなことはありません。僕は、何ていうか頭でっかちですから。理論だけで、空は飛べません。ライト兄弟は、コンピュータシミレーションで飛行不可能とされるライトフライヤー号で、人類最初のパイロットとなりました――経験は、時に理論を上回るものです』

『……』

『少佐?』

『その……これまで、よく、私と一緒に頑張ってくれた』

『ええ。少佐が教えて下さったことは、そしてこれから教えて下さることも、決して無駄にはしません』

『……』

『……』

『……その』

『はい』

『……ええと』

『はい』

『……わ、私の誕生日は一週間後なのだが』

『はい』

『昔……誕生日に、私がまだエレメントスクールに通っていた頃の誕生日に、父が飛行機の模型を買ってくれたんだ。子どもの手に抱えられるくらいの、小さな模型』

『どんな飛行機だったのですか?』

『赤い、三枚羽のプロペラ機だ。古い――ドッグファイトやエースパイロットという概念が生まれたばかりの頃の、古い戦闘機……背も小さく内気で、友達もいなかった私は、家に帰ると、その模型をずっと見ていた。ずっと見ていられた。……本当に、何時間だって見ていることができた』

『少佐は、戦闘機が――飛行機が、お好きなのですね』

『そうだな――もう少し大きくなって遠くに行けるようになってからは、飛行機が飛ぶ姿も好きになった。そして、自分で飛ばしてみたいと、そう思うようになった』

『少佐がパイロットを目指したのも、それが理由なのですね』

『……チャーリー。私はな、パイロットとして、戦闘機を操縦するのが好きだった。そして私が育てたパイロットたちが、戦闘機を飛ばす姿を見るのも好きだった』

『……ええ』

『君の言う通り、私は、飛行機が好きだ』

『ええ。分かりますよ、少佐』

『だから、その……』

『はい、少佐』

『きっと、君たちが戦闘機を飛ばす姿だって、好きになれるはずだ』

『……』

『そう、今は思えるんだよ。チャーリー』

『なら……僕らは、そのご期待に答えなきゃいけませんね。マイヤー少佐』


 と。

 その話を聞いた私は、ほう、と一つ頷き、それからこう言った。


「つまり、マイヤー少佐はお誕生日を祝ってもらいたいのですね!」

「ねえ、デイジー。聞きたいんだけれど、僕は今、怒ってもいいんじゃないかな?」

「まったく、見た目はあんな強面の癖に、案外、中身の方はナイーブな寂しがり屋さんです! しょうがない人ですねまったく! こうなったら、いっちょマイヤー少佐のお誕生日を私たちで祝ってあげましょう!」

「あのさ、デイジー。僕は割と真面目な話をしたつもりなんだけれど、何でそういう、ズレてるというか、斜め上というか、そんなエキセントリックな結論が――」


 と、チャーリーは言いかけ、しかし、そこで不意に言葉を止める。

 私の方を見て、それから私が持っている虫かごの中にいる赤トンボへと視線を移し、それから再び私に視線を向けて、言う。


「――そうか、でも確かに誕生日なんだから……お祝いくらいは、してもいいのか」

「ケーキ用意しましょう! ケーキ! 私、アレ作るの大得意です!」

「ダンボール製のだよね、それ……。少佐は人間なんだから、さすがに、そこはちゃんとした食べられるケーキを用意しようか」

「そうと決まれば善は急げ! アリスやブロンクスにも手伝ってもらって――あっ」

「あ」


 ぱっ、と。

 虫かごの中から赤トンボが飛び出した。

 部屋の天井のすれすれまで飛んでいき、くるり、鮮やかな赤色を閃かせてターン。

 開いている窓の方へと、向かっていく。


「ぐっばい! です!」


 と私は赤トンボに向かって手を振り、赤トンボは開いた窓から外へと飛び出、


 そこで再びターン。


 きれっきれな動きで方向転換すると部屋を、ぐるん、と一周。

 ふわり、とホバリングを一つ入れて速度を殺し――私の頭の上へと着地する。

 私は視線を上に向け、それから、チャーリーに視線を向けた。


「ええと……おかえり、です?」

「……もしかしたら、本当にそのトンボ、君に恋してるのかもね」


 と、チャーリーは言った。

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