42.夢の偽愛

ロイクにぶつけられた言葉たちがぐるぐると頭の中を駆け巡っている。

あんな風に怒り狂うロイクを、生まれて初めて見た。温厚な奴ほど怒ると怖いとはよく聞くが、あれは案外本当のことなのかもしれない。


このどうしようもない気持ちを、自分は一体どう処理すればよいのだろう。

ロイクに、父上や母上に、姉上たちに、そんな風に思われていたなんて、本当に知らなかったのだ。


「虚しい、か」


『助けたい』と、いくら願っても、助けたい本人から『助けてほしい』と願われなければ、それは何の意味もないことだと、ロイクは言っていた。

何度手を差し伸べようとも、その手を掴む覚悟がなければ、ただの独りよがりでしかない。だから、虚しさをうむのだと。

俺は、ロイクも、家族もみな、俺の運命を受け入れていると、俺が死にゆく運命からは逃れらないと分かっているとばかり思っていた。


「だけど」と、アロイスは呟く。


諦めていなかったのか。 俺なんかを、救いたいと思ってくれていたのか。

それに気づいたその瞬間、愚かだとわかってはいても、こみ上げてくるのはどうしようもない嬉しさだった。

アロイスは胸に手をやり、ぎゅっと服ごと握りしめた。規則正しく動く鼓動は、生きていることの確かな証拠だ。この命の灯火は、あと数ヶ月もしないうちに消えることになる。それはまさしく『運命』なのだ。

己の定めを、運命を、告げられたあの時から、時限爆弾のような存在の自分を、俺自身が受け入れると同時に、諦めてきたのだ。足掻くことすらしなかったのは、どうしようもないことだとわかっていたからだ。


けれど、嗚呼。


「虚しいな」


自分の口からこぼれ落ちた言葉。

本当に、酷く虚しい。

生にしがみついたところで、待ち受けている運命には逆らえない。

許されることじゃない。受け入れなければ、その代償は数多の罪なき命だ。


この命に代えても守りたいものがあるのは事実だ。

大切な人たちを守りたいと思う気持ちに、嘘偽りはない。

けれど、ロイクの言葉で揺らぐ虚しさも、決して嘘ではない。

そんな自分がひどく醜くて、嫌になる。


「お前のせいだよ。バケモノ」


嘲るように、ふっと笑い腹に手を当てる。

ココにいる全ての要因に、心の底から憎しみが湧いてくる。


お前のせいで。

お前のせいで、俺は。


全てを失うのだ。





瞬間。





ドクン、と心臓が脈打った。


心臓から脈々と流れ出でる血の灼熱の熱さに、思わず体を折った。自身のへその当たりから順々に熱さと痛みが身体中へと襲い掛かる。吐き気、頭痛、寒気、痙攣、その全てを感じ、うずくまった。


「っぅ……」


噛み締めた口から息が漏れた。

腹を抑えて、崩れ落ちるように頭を抱えれば、痛みは落ち着くどころかさらに増してゆく。

冷や汗が滲み出る。



戸惑いと恐怖を抱く。

疑問ばかりが浮かぶ。


その時だった。






ユリウス





それは、あまりにも突然のことだった。


驚きに息が止まる。部屋に響いたその声に、痛みも吐き気も忘れた。


「ユ……ス?」


その名は、何処かで。


忘れたのはほんの一瞬のことだった。マグマを飲み込んだかのように、腹はしだいに灼熱の熱さに変わっていった。まるで火の中にいるようだ。内側から溶けていくような体を引き裂かれるような痛みに、意識が遠のいていく。


ここにいる バケモノ は、今度は何に反応したのか。

血にか、怒りにか、俺の感情全てにか。



「……ィオナ」


痛みに震える俺に不意に漏れた声は、見知らぬ声だった。

自身にひどく戸惑いを感じたその瞬間。

俺は完全に意識を失った。





気づけば、俺は緑と白の世界の中にいた。

青々しくみずみずしい草原がどこまで続くその景色。しかし、どこか見覚えがある。

ここはどこなのだろうか。俺は夢でも見ているのか?

キョロキョロと辺りを見回したときに気づく、俺に実体はなかった。ということはこれはやはり夢なのだろう。夢だとわかっている夢を見るのはひさしぶりだ。


夢ならば良い。このまま温い世界に浸っていよう。目覚める前のあの鋭い痛みを再び感じるくらいならば、この世界に閉じこもっていたい。


そうしてしばらく、俺はその世界を漂っていた。美しい草原がひろがるその世界には、珍しい花々が咲き乱れており、その艶やかさに俺は何度か目を奪われた。


しかし、誰もいないとばかり思っていたその時、不意に前方に気配を感じた。

その気配の方へ目をすっと向ければ、野原の中に人影を見つけた。

俺はすぐに近付くことにした。俺にとっては都合の良い夢だからか、行きたい方向へ俊敏に行ける。そうして、気づいた。その人影の正体は瑠璃色の髪を持った、美しく可憐な少女だった。


淡い紫色のレースでかたどった古風なドレスに、化粧っ気のないラフな顔だち。

陶磁器のような白い肌に、薔薇のような紅色の頬。澄んだ空色の瞳は丸く、宝石のようにキラキラと輝いている。

まるでどこぞの女神のように、慈愛に満ちた笑みを浮かべた少女。

風がどこからか吹いているのだろうか。少女の周りをそよぐ髪に、咲き乱れる色とりどりの花々が、一種の絵画のように神々しい光を放っている。


この、美しい彼女は、誰だろうか。


そんなことを考えていると、不意に少女は草はらの中にその体をうずめた。楽しそうにコロコロと笑いながら小鳥たちと戯れている。その姿はまるで童話の中のお姫様のようで、見ていてとても心が和む。自然の中で輝くその美しさに、無意識にとても惹かれた。その細腕を取り、彼女が喜ぶことを何もかもしてあげたいと思った。彼女が笑う先に自分がいたいと強く思った。


そうして暫く少女を見ていると、不意に少女が天を仰いだ。


「っ」


目が合った。と思った。


どうしてか、だめだ、いけないと思った。俺はすぐに、彼女から目を背けてしまった。

この焦燥感は何なのだろうか。胸に広がった不安感に、またも戸惑いを感じる。


「ねぇ、ユリウスはどこに行ったと思う?」


少女の鈴を転がすような声に、俺は再び少女に目を向けた。少女は当たり前だが、俺には気づいていない。手に止まる小鳥へ彼女は声をかけていた。


「ここで待ち合わせしているのよ。ユリウスって、とても秘密主義よね。」


フフ、と楽しそうに笑う少女。


「ねね、早く会いたいね。あの人、私がきたことを知ったら、なんて言うかなぁ」


目を遠くへ馳せるその姿に、誰かを思い起こす。

頬を赤く染め、瞳はキラキラと輝いている。何かを期待しているような、誰かを強く想っているようなその表情。


ハチミツ色の髪を持つ、あの人を思い出した。


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