第2話・改めまして、はじめまして

 恐怖心によって学校に登校する事さえもすっかり忘れてしまっていた麗音は鉄雄に助けられた事で恐怖心から解放されていた。


(完全に入学式の事を忘れてた、早く学校に行かないと。)


 スケッチブックを横腹に挟んだまま階段を降りきり、改札の方へと駆け出そうとした瞬間だった。


 後ろから慌てて追いついてきた鉄雄が歪んだ表情で麗音の手首を掴み取る。


「​失礼します。じゃねぇだろ…」


「一体どこに行く気だよ。」


 先程と違い今度は鉄雄が麗音の目をしっかりと捉える。


(どこって1つしかないでしょ。)


 急いでいるので単語だけをパパっとスケッチブックに書き起こす。


【学校。】


「ならなんで改札に向かってんだ、電車で行こうとしてたんじゃないのかよ。」


(うーん、伝わってなかった。急ぎすぎて明らかに言葉足らずだよね、もう少しちゃんと説明しよ。)


【電車はもう怖いので乗りたくないです、だから他の方法で学校行きたいです。】


(これならどうだろう、伝わってるかな。)


「俺も一緒に行くから……」


 鉄雄の言っている意味がイマイチ分からず首をかしげる。


「俺の直ぐ近くに居れば大丈夫だから、このまま電車で行こうぜ。」


「お前と降りる駅も一緒っぽいし、帰りも一緒に居てやる。」


 なんだかとても不思議な感覚。

 目を合わせているだけなのにお互いの心で直に触れ合っているような、だけど全然不快じゃない。


(体を触ってきたサラリーマンみたいな人とまた会うかも知れないと考えるとまだ怖いけれど……2人ならきっと大丈夫だよね。)


 目を合わせたままコクリと頷く麗音を見て、鉄雄はゆっくりと麗音の手首から大きな手を離した。



 次の電車が到着し、たまたま空いた座席を1つ見つけた鉄雄は麗音をそこに座らせて、自身は麗音を見下ろす様に吊革を持っていた。


(結果は同じか。)


 さっきは人が元々居なかったから確かめ切れなかったが、人の多い車両の中でも関係なくこいつの心に意識を置いていればたちまち静寂が訪れるらしい。


 麗音の視線の先が自身のへそ辺りにあるな事を気にすること無く、思考を進める鉄雄。


(こいつは一体なんなんだ。)


 俺はまだ15年しか生きていないが、それなりに人とは出会い、色んな奴の心の声を嫌でも聞き続けてきた。

 が、心の声が一切無い奴は初めてだ。

 いや、無いというより聞こえないと言った方が正しいか。


(勢いで一緒に登下校をすると言ってしまったが、何を考えているか分からない以上は警戒しておくべきだよな。)


 鉄雄が密かに警戒心を強めている中、麗音はそんな彼の考えを裏切る様に、全くもって平和な思考を進めていた。


(制服からは上手く見えないけれど、頬と同じでお腹とかモッチリしてそう。)



 電車を降り、特に会話をすること無く並んで歩いていた2人は、お互いがこれから通うことになる高校の校門を同時に抜けた。


 入学生が集まっている下駄箱前の壁に向かう。


「お前、名前は。」


【白鳥・麗音。君は?】


「心瞳・鉄雄。」


 お互いに名前を確認し合うと、当たり前のように相手の名前を探し合っていた。


「同じクラスみたいだな。」


【うん、よろしくね心瞳くん。】


「くん付けは無し、呼び捨てでいい。」


(はい、スムーズ。)


 かなりスムーズに話が進んだのは僕の筆談力に違いない。

 長年かけて身につけた、予測力を使って予め相手の言う言葉を予想し先にスケッチブックに書いている。

 百発百中ではないけれど、言う言葉を先に用意しておくのは話がスムーズに進むから便利。


 入学式は早く終わるので帰ったら昼食に何を食べようかと考えていると、あっという間に入学式が終わり最初のHRの為教室に戻っていた。

 一番後ろの窓際にある自分の席に座る。


 1週間の授業予定やらが載ったプリントを受け取り、それぞれの生徒が順番に軽い自己紹介をさせられていた。

 自身の少し長い黒髪を上手く使って、バレない様に横目で鉄雄を盗み見る麗音。


(まさかの今日知り合ったばかりの心瞳くんが隣の席という事にまだ驚いちゃう。もう少しで心瞳くんの(自己紹介)番だけど何を言うんだろ。)


 刻々と鉄雄の番が近づくにつれ、自分の事のように心臓が高鳴る麗音。


「​───────心瞳・鉄雄です。」


 何も飾ることなく一言だけ、自分の名前を口にし席に着く。


 ​───────うわ怖そう。私苦手かも。


 ​───────喧嘩してそうな奴。


 ​───────わざわざ一言だけとかナルシストじゃん。


(安心しろ、お前らみたいなのと友達になる気ねぇから。)


 眉間に皺を寄せながら頬杖をついていた鉄雄は無意識に隣から視線を感じ取り、顔を少し傾けてみると麗音がこちらに向かって瞳孔を大きく開いている謎の目が見える。


(どういう目だよ、マスクもしてるし表情がわからん……俺にビビったか?)


 またしても鉄雄の思考は読みを外す。


(心瞳くん全然緊張してなかった。余裕のある高校生?って感じがした!凄い。)


 麗音の前に座る生徒の自己紹介が終わり、俯いたまま麗音はスケッチブックをいつもより強く持って席から立ち上がる。


(いよいよ僕の番だ、落ち着け僕。ただスケッチブックをめくるだけ……スケッチブックをめくるだけ……)


【​──────白鳥・麗音って言います。】


 緊張で震えた指先のままスケッチブックを1枚めくり上げる。


【失声症という病で声が出せないので、このスケッチブックを使って筆談しています。】


 早すぎず遅過ぎないペースで胸元のスケッチブックをめくっていく。


【僕は基本筆談ですが、人と会話をするのがとても好きです。】


【​───────これからよろしくお願いします。】


 自己紹介を終えた麗音は強く目を閉じながら、クラスメイトや教師に精一杯の気持ち込めた90度でお辞儀をしていた。


​ ───────失声症ってなんなの?ただ単に喋りたくない口実じゃないの?


 ​───────声が出せないとか、絶対嘘じゃん。


 ​───────筆談とか、面倒だから誰も近寄らないでしょ。


 ​───────なんか色々と重たいし、正直引いた。


 ​───────これは友達出来ない気がするな。


 ​───────なんか可哀想。


 拳に怒りをありったけ乗せ、自分の机を壊す勢いで叩いた鉄雄にクラスメイトの視線が一斉に集まる。


(好き放題気分の悪いことをぼやきやがって、聞きたくない言葉を受信してる俺の身にもなりやがれ。)


「うるせぇんだよ。」


 小声で呟く鉄雄の声を、隣にいる麗音だけがキャッチしていた。


(どうしたんだろ心瞳くん。)



 登校時と変わって、電車で麗音の隣に座る鉄雄は、麗音がスケッチブックに何か書いているのを視界に捉えると反対側を向いていた。


(腹減った、もう昼食時だよな。

 今日は作る気力湧かねぇし久しぶりに買って食うかな。)


 マーカーペンがキュッキュッと小刻みな音を立てながらスケッチブックに黒の線を記していく。

 何事も無く穏やかに走っていた電車が不意に大きく揺れて麗音の右半身が鉄雄に触れると、麗音はビクリとし直ぐに頭を下げる。


(当たっちゃった……)


「は?(なんでこいつ今頭下げてんの?)」


 人と直に触れる機会が全くなかった麗音には、なんでもないその場面は耐性がないせいで謝る選択以外思いつかなかったのだ。


(​───────にしても心瞳くん柔っかい。)


 大きな感動と微小の緊張で顔をこれでもかと伏せて隠す麗音と反対に、何故頭を下げられたのかいつまでも理解出来ずに苦しむ鉄雄。


(わかんねぇよ。)


 しばらくして曇りがかっていた空が少しずつ晴れ、電車の窓から一筋の光が麗音と鉄雄の間を埋めるように差し込んでいた。

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