容疑者W

 それから数日は何事もなかったかのように過ぎた。調査が必要な人物のことは先輩医師なら色々知っているかもしれないが、思い切って聞くわけにもいかず、皆どことなく何かを隠しているようにも見えたが、そんなことないようにも見えた。


「篠原さん、何か知ってます?」


 外来の合間に、裕太は篠原に聞いてみた。


「いんや、なんも。でもなんかみんなそわそわしている感じはあるよねー」


 裕太は口を尖らせた。


「情報通の篠原さんでも知らないんですね。伊井の妄想だといいけど」

「まあその手の噂なら今までたくさんあったけど」


 裕太は目を大きく見開いた。


「噂?」

「そう、経歴詐称? この人本当に医者なのかな、実は無免許なんじゃないかな、って。そんなことを疑われてる先生はいる。でもまあ、考えすぎよね」

「ちなみに誰ですか?」


 篠原が珍しくもじもじした。


「まあ、いいじゃない」

「よくないです! お願いします、教えてください」


 裕太が篠原の袖をしっかりつかんで、キリリとした眼で篠原を睨んだ。


「んもう、あたしが言ったって言わないでね」


 そう言って、小声で篠原は耳元で話し出した。裕太はその話を神妙な面持ちでずっと聞いていた。




 次の日、裕太は医局でカキフライ弁当を食べていた。水野は昨日食べそびれたカロリーメイトの残りをかじっていた。前日と同じタイミングで医局のドアがバタンと鳴り、伊井が髪を振り乱しながら入ってきた。


「み、みんな、お待たせ」


 伊井は息が切れていた。


「別に待ってないけど」

「ついに分かったんだよ、その人物が!」


 水野はカロリーメイトを持っていた手を止めて、伊井をじっと見つめた。


「ほんとっ? 誰?」


 裕太は黙っていた。自分が篠原から聞いた人物と同じかどうか、確かめる必要があった。


「目撃情報があった。その勅使河原氏がその人と話をしているところを見たって。しかもその人物はその時かなりおどおどして、気まずそうな雰囲気だったと」


 裕太はソファにもたれかかりながら、机の一点をみつめ、唾をごくりと飲み込んだ。それから口だけ動かして声を発した。


「俺も一人聞いた、噂を」


 伊井の目がキラリと光った。


「裕ちゃんもか。同じ人か?」

「多分」


 裕太と伊井。二人の時間が止まった。その両方を見つめる水野。


「裕ちゃん、最初のイニシャルと一緒に言おう」


 裕太はゆっくりうなずいた。


「「せーの、W」」


 時が止まった。

 しばしの間視線をぶつけ合っていた二人、最初に口を開いたのは伊井だった。


「やはりな」

「前から色々言われてはいたらしい。留学に行っていたというポカタ大学なんて本当にあるのかとか、実は医師免許はなく無免許なんじゃないかって。確かにやけに診療も慎重過ぎるなとは思ってた」


 水野が首を絞められたような表情で声を絞り出した。


「ま、まさか。Wって和気先生!? うぐっ」


 伊井が水野の口を思いっきり封じた。


「水野っち、声がでかいって。これはまだオフレコなんだから。近々大きな異動があるって聞いたけど、多分……」


 伊井は目を伏せた。


「やめるんだろうな、この病院」


 裕太もうつむきながら考え込んでいた。


「でもさ、そんなことってある? 今まで全く気づかないって」

「あるよ、うちらだって、採用する時医師免許のコピーとか提出したけど、それが本物かどうかなんて調べようがないし、特に誰かの免許を代わり持ってきてたらもう確認のしようもない」


 水野はまだ苦しそうにしていた。


「和気先生、いなくなっちゃうのか……」


 そのタイミングで八反田が医局に入ってきたため、それ以上3人がその話をすることはなかった。

 翌日の朝早く、3人と九条は部長室に呼ばれた。


 


 

 

  

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