勝利条件

 山道をバイクで駆け上がるのは、中々スリリングだった。声を噛み殺す龍征は、必死に崎守三尉にしがみつく。日は完全に沈み、バイクのライトが激烈に闇を照らしていた。


「崎守、さん、あと、どのくらい」

「舌を噛むぞ。それに、もう道に出る」


 無茶なショートカットもこの男にかかればこの通り。実は大道司光にバイクを教えたのは、他ならない崎守その人であることを龍征は知らない。この二人は昔馴染みらしいが、どちらも詳しく語ろうとはしなかった。


「お、どっか出たぞ!」

「この山道がそのまま採石場に続いている。後少しだ」

「待ちなッ!」


 速度を緩めた崎守を、後ろから原付が抜き去る。警戒してバイクを止めた崎守に、木製のバットが振り下ろされる。三等陸尉のアッパーカットがそれを粉々に打ち砕いた。


「お前は……じゃじゃ馬よっちゃんッ!? しかも何か乗ってるしッ!」

「取ったんだよ、免許をなぁッ!? あとその呼び方は止めろ、二度とするな」


 ナックル吉田だった。突然の攻撃に、崎守は反射的に動いていた。とにかく無力化する。その素速い挙動を制したのは、龍征。ビビって尻餅をついた吉田は、それでもガンを飛ばし続ける。


「……君は、あの時の」

「崎守さん、なんかワケアリみたいだぜ。煙に巻けねぇ気迫がある」


 ナックル吉田は、想いを秘めた少女は立ち上がる。


「喧嘩だぜ。ふっかけた喧嘩は、受けるんだろ?」

「……そんな状況じゃないってことくらい分かるよな?」

「こんな状況だからこそ、だ。採石場、見てきたぜ……あんなところに、アンタは行かせられない」

「お前、バカか? 俺は星獣に対抗出来る力を得たんだ。俺が行かないとダメだろ」

「行かせられない」


 吉田は両手を上げて立ちふさがる。拙いファイティングポーズ。殴ってでも止める。そんな意思表示。


「なんで、そこまで」

「だって! 行ったらアンタまた死にかけるんだろ! 圧勝でぶちのめせる相手じゃないんだろ! 死んじゃうんだぞ! アタシは嫌だ! だから止める! もうアンタが死にそうになるのは見たくないんだ! アンタじゃなくてもいいんだよ! もっとスゴくて、星獣とずっと戦ってきた完全無欠のヒーローに任せとけよ! アタシたちは! もう十分奪われた! これ以上星獣に付き合ってやる義理なんざねぇんだよ! アタシは西蔵町のドンだ! これ以上の犠牲はぜってぇ許さない! だから、止める! これがアタシだあッ!」


 自分で自分を張れなきゃ嘘だ。少女は立ちふさがる。


「俺に勝てると?」

「勝てる勝てないじゃない。そんなんで引っ込めちまうのは、『自分』じゃない」

「……カッ! お前のそういうとこ、確かにドンだよ……ッ!」


 崎守三尉は事の成り行きを見守るようだ。彼は龍征が戦場に立つのはやや反対の立場だった。もし、引き返すという選択肢を採るのならば、きっとその選択を尊重するだろう。少女が、犬歯を剥き出しに凄んだ。溢れる決意が、威圧となって龍征の前に立ちはだかる。

 ここから先は、絶対に、通さない。


「だかな」


 しかし。しかしである。龍征にも、あった。立ちはだかる少女に劣らない『自分』が。譲れないものが。

 完全無欠に気高くも、実は完璧ではなく、実は可愛らしいところもあると知った、あの青い剣。彼女に託されたのだ。任されたのだ。今はそれが堪らなく嬉しい。認められた気がして。そんな『自分』を貫きたい。


「俺は、西蔵町の救世主だ」


 龍征は拳を構えない。殴り合えば、龍征が殴り勝つ。しかし、それでは本当に勝ったことにならない。龍征は直感で理解していた。

 殴って倒して、それで勝ったことにはならない。

 これは、信念と信念との戦いだ。

 ふっかけられた喧嘩は受けて立つ。挑まれたら受け止める。それは、龍征のコミュニケーションツールでもあった。ぶつかり合って、理解する。だから、逃げる訳にはいかない。


「んだよ、意味分かんねーよ」

「てめえも救ってやるって言ってんだよ」


 認めさせる。『自分』を張って、『自分』を通す。


「俺は絶対に負けない。絶対に死なない。絶対に戻ってくる。それは、絶対に……絶対だ」


 勝つための条件。敵を倒すだけではない。その重みを龍征は実感していた。立ちはだかる、この強大な敵。龍征自身を想ってくれるからこそ。龍征は吉田の頭にぽんと手を乗せる。


「心配してくれて、ありがとうな。あと、ごめん。その心配は、俺が弱いからだ」


 でも、と。


「安心しろ。俺は誰にも負けないぐらいに強くなる。応援しろよ、俺はヒーローだぜ?」


 かぶりを振る少女に、龍征は力強く笑いかけた。


「お前が挑み続けた男だ。俺は勝つぜ」

「やだよぅ……行くなって……アタシはもう、失いたくは…………」

「言わせねえ」


 男は、横に並ぶ。

 女は、止められない。


「生きて、勝って、帰る。それが、たった一つの勝利条件だ」


 止められない。これほどまでの決意を示されては。涙が溢れて止まらない。進ませることにもはや後悔はなかった。泣きじゃくる吉田は、それでも笑顔を浮かべてみせた。悔し涙。それでも、意地があるのだ。


「止められねーよ……そんな顔されたら」

「立派になったろ。だから、安心して任せとけ」


 本当の敗北。この背中はもう止められない。

 胸が熱い。心の蔵がドキドキと脈を打って張り裂けそうだ。感情が溢れて止まらない。顔面が真っ赤に噴き出しそうだった。訳の分からない気持ちに翻弄され、少女は微笑んだ。


「行けよ、負けんな」

「応ッ」


 満を持した、とはまさにこのことだろう。龍征には、その心中には、一片の曇りすらもなかった。


「天道、いい男になったな」

「……よせやい」


 妙な気恥ずかしさに龍征が照れる。茶々を入れられ、申したくなる物もあったが、彼には頼みたいことがある。


「崎守さん、俺たちのドンを頼むよ」

「御意に仕った」


 ボロボロと泣き崩れるナックル吉田を、このままにはしておけない。歴戦の三等陸尉であれば、任せるに不足ないだろう。今やいい兄貴分になった崎守が力強く頷く。


「自分の足で、走れるな?」

「元よりそのつもりだぜ!」


 崎守が龍征の背中を押した。その背中が、勢い良く走り出す。少年は、信念を胸に成長する。覚悟を秘めた男を張るのだ。山道を走って、走って、走って走って走って。道を抜けようとしたまさにその瞬間、横合いから鋭いライトが龍征を照らした。


「なッ!?」

「む――天道か?」


 ドライブ1の韋駄天姿。暗い山道を無茶なショートカットで越えてきたらしい。接敵かと慌てて構えた龍征が、拍子抜けとばかりに尻餅をつく。


「……なんだその様は。というか何故追い付く。崎守さんと一緒ではなかったのか?」

「話せば長いんスけど……大事な野暮用です」


 正直に白状する。誤魔化す理由が微塵もない。立ち上がる男の目は真っ直ぐに。既にここから採石場は見えていた。


「要するに、道草くっていた訳だな」


 木陰にバイクを止めて、光は龍征に並んだ。


「――けど、良い顔してるから許すッ!」


 二人が並んで、見据える。

 山の中腹辺りの窪地。ぽっかりとクレーターのように広がる採石場。そこに数十体もの星獣が散開していた。動かぬ脅威は何かを待っているかのように。そして、その中心には仁王立つ鎧の姿が。


「先輩、今度は遅れを取りませんよ」


 龍征が緊急コードでドライブ3を着装する。目が合った。それは向こうもこちらを見ているということ。


「応――往くぞ」


 採石場に飛び込む二人の戦士。決戦大一番の幕が、斬って落とされた。

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