星獣襲来

 星獣。

 未知の岩石が凝り固まって生まれた怪物である。その姿は遙けき過去から確認されているとのことだが、ここ十年程でその活動が異常に活発になっている。一種の超常災害に過ぎなかった事例が、世界各国緊急の課題として立ち塞がったのだ。

 その活動は日本国にて顕著な活動が見られ、一定期間で自然崩壊する身であれど、神出鬼没な脅威に日本政府は苦渋を舐めさせられてきた。理由は不明。原理も未だ不確定。崩壊と共に原子分解を起こして空に消えていく怪物が相手だ。決定的な対策は打てず、その戦いは長く苦しいものとして今も続いている。


「こんなクソ田舎にも星獣が……!」


 燃える町。人の悲鳴。非日常の光景に龍征は絶句していた。その背中が力強く叩かれる。


「ぼさっとするな。死ぬぞ!!」


 竜玄老人が龍征を一瞥する。たったそれだけで金縛りが砕け散った。老人と少年が目配せして頷き合う。


「貴様の高校が緊急避難先に指定されていただろう。シェルター化されていると聞いている」

「ジジババも多いだろ。俺も避難誘導に加わるぜ」

「よくぞ言った」


 言うや否や、竜玄は駆け出した。年寄りが多く住む区域だ。龍征も反対方向に走り出す。民家が並ぶ中、一軒一軒声を掛けて回る。喧嘩に明け暮れた体力は伊達ではない。今こそ自分を貫く時だった。

 自衛隊の緊急車両が駆けつけたのが見えた。ここから歩いて高校に向かうのに約三十分。龍征は方針転換して見つけた人を自衛隊車両に案内した。


「……ぇ、て…………す、けて、たすけて……」


 声が聞こえる。小さく掠れた声だ。星獣が暴れた後のようで、瓦礫の山が積み上がっていた。民家がいとも簡単に。その事実に龍征の背に戦慄が走った。ガキの喧嘩とは比べものにならない。

 野太い、地響きのような咆哮が上がった。


「ここで……こんな時だからこそ、自分を貫かなくちゃ嘘だよな!」


 自分を奮い立たせる。龍征が走り出した先、崩れかけた家の中。両親が共働きの河合さん家だ。一人娘はまだ小学生だったはずだ。一人どうして、学校に行っていないのか。そんな疑問は後回しにして、龍征は崩れたブロック塀を跳び越えた。

 見つけた。マスクを付けたおさげの女の子が、倒れたタンスに足を挟まれている。


「無事か!?」


 龍征は叫んだ。突然現われた不良少年に女の子はびくりとしたが、必死そうな表情を見て安心したようだった。


「お兄ちゃん、あたし、風邪引いてて、あのね、お父さんもお母さんも今いなくて、どうしたらいいのかって」

「こうするんだよぉッ!」


 駆けつけて、龍征はタンスを蹴り上げた。それなりの重さがあった桐タンスが妙に静かに浮かび上がった。すかさず自分の身を間に入れてその身で女の子を庇う。


「さあ、逃げるぞ」

「…………すごい」


 目を丸くする女の子を担ぎ上げて、倒壊しつつある家から脱出する。荒い息を整えながら、お姫様抱っこに持ち替えて訊く。


「怪我はないか?」

「あ、うん。足が痛くて歩けないかも」


 熱でもあるのか顔を赤くしてそっぽを向く女の子。龍征はその様子に歯噛みする。


(クソ、俺がもっと早く駆けつけられたら!)


 そんな後悔は先立たない。龍征の胸に頭を擦りつける女の子に不調を見たか、額に焦りの汗が浮かんだ。最も近い緊急車両はどこかと辺りを見回す。どこかチグハグな光景は、見る者を和ませるところがあったかもしれない。

 しかし、そんな空気は次の瞬間に吹き飛んだ。


――グォォォォオオオオオオオオン!!!!


 その雄叫びは轟音だった。荒ぶる生命の咆哮。まるで、強烈な電気信号が脳天に落ちたかのようだった。強烈苛烈な生命力がビリビリと場を圧迫する。威圧が重力となって襲いかかる。

 生命体としての上下関係。それをはっきり感じた。

 龍征が辛うじて屈しなかったのは、腕の中の女の子が涙を浮かべて見上げていたからだ。ちっぽけな意地が龍征の足を折らせなかった。止まっていた呼吸を静かに再開させる。顔を上げて、目の前を見て。巨大な岩石獣と、目が合った。


「これが、星獣……?」


 実物は初めて見た。三メートルに届く巨体。ゴツゴツした岩石が凝り固まったずんぐりとした体躯。短い手足、岩石の割れ目から覗く目、異様に長い尻尾。

これが特別指定変異災害、星獣。生ける災厄なのだと直感で理解した。

 星獣がその短い腕を振るった。何度か死にそうな目にも遭ったことのある龍征だからこそ、『ヤバイ』というサイレンが頭の中で鳴り響く。女の子を抱えて傷つけないように勢い良く右に跳んだ。すぐ背後の地面に亀裂が走る。


「無事、か?」


 受け身を取る余裕はなかった。まともに背中を強打した龍征は苦痛に顔を歪めながらも、にやりと口角を上げる。ここで張らねば意地ではない。この子だけは守り通さなければ。強くそう思った。


(それが自分を貫くってことだよな、じいちゃん)


 ぎらついた笑みを浮かべる龍征に、この子は果たして安心しただろうか。小さく頷いて大人しく身を預ける女の子は、龍征の顔をじっと見上げていた。

 龍征は立ち上がって星獣を睨み付ける。凄まじい破壊力だったが、動きは鈍かった。落ち着いて見極めれば逃げられる。震える足をぶっ叩いて不敵な笑みを浮かべた。


「お兄ちゃん、頑張って」

「おうよ、二人で生き残るぞ」


 直後、銃声。それも一つや二つでは無かった。浴びせるような弾丸の嵐が星獣に直撃する。火力攻撃を物ともしない星獣だが、気は逸らせた。龍征たちと離れていく。


「こっちだ少年!」


 呼ばれて振り向くと迷彩服の男が手を伸ばしていた。その装備は間違いなく自衛隊のもの。被る鉄帽の下で、精悍な顔つきが見え隠れする。龍征は呼ばれるままに走った。隊員は手で方向を示すと、背中を守るように後ろに続く。

 大の男がこんなにも頼もしい。その事実に龍征が震えた。こんな格好良い大人になりたいと思った。しばらく走った後に男が静止を促した。細い路地の途中だ。安全圏まで避難したという判断だろう。

 龍征は気づけば息も絶え絶え、汗だくだった。対する男は軽く息を整えて額の汗を軽く拭っただけだった。


「君がその子を守ったのか。よくやった」


 男が表情を変えずに龍征の頭を撫でた。くすぐったいようなむず痒いような感触を覚えて、龍征が下を向く。ずっと龍征にしがみついたままの女の子と目が合った。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 真っ直ぐ見つめられて龍征が照れる。上と下の挟み撃ちで頭がこんがらがってきた。


「おう、任せとけ」


 全然任せられなさそうな表情でそっぽを向きながら言う。


「くっく、面白いな君は。私は崎守三尉と言う。一個小隊を率いている身だ。君は?」

「天道龍征……です。天惺高校三年生です」


 不登校の不良であることは黙っていた。


「だが、何故こんな時間にこんなところに? まだ授業中だろうに」

「……不登校の不良ッス」


 そうか、と崎守三尉は頷いた。表情の変わらない男だった。龍征にはそれが硬派に見えた。重そうな小銃を抱えながら、腰の水筒を龍征と女の子に手渡す。二人が喉を潤すと、自分は口も付けずに仕舞った。

 まだ、危機的状況は終わっていない。集中が途絶えかけていた龍征ははっとした。


「俺はもう動けますよ」

「……無理はするな」

「無茶ぐらいします。この子だけは早く避難所に」

「落ち着け。車両の手配をしている。もうすぐ助けが来る」


 囮を引き受けてくれた部隊は星獣を仕留めきれないだろう。ここはまだ危険地帯だと、遠くから聞こえる咆哮が教えてくれた。果たして待ちの時間はあるか。車の音が路地まで響いてきた。

 焦りが龍征を動かし、女の子を抱え上げながら立ち上がらせる。崎守三尉の静止が間に合わなかったのは、突如通信が入ったからだ。それも、緊急のサイン。


「救助車両が、襲われた……? 星獣は複数いるのか?」


 爆発音。崎守三尉が駆け出した先で見たのは、二メートルにぎりぎり満たないくらいの、人型の岩石。二足歩行の怪物の前で立ち尽くす学ランの少年。行動は素早かった。

 発砲音は一つ。跳弾や流れ弾を避けるために、足元への威嚇射撃。要救助者を引き離すように星獣を引き付けて走る。


「おい!?」

「走れ天道!! その子をちゃんと助けるんだろ!!」


 その言葉に、龍征の足が縫い止められた。腕の中では女の子が不安そうにこちらを見上げている。


「駆け出せ!!」

「はい!!」


 龍征は弾けるように走り出した。足が絡まり、転びそうになる。震えを気力で押さえつけて、足を動かす。走る。とにかく走るのだ。途中で車両に出くわさなくても関係ない。腕の中の震える女の子だけは助けて見せる。貫き通すべき、意地だ。


(とにかく避難所、高校まで急げ、絶対に止まるな、走れ、急げ、進め――!!)


 咆哮が聞こえた。破壊音が聞こえた。悲鳴が聞こえた。

 炎が上がった。煙が上がった。瓦礫が跳ね上がった。

 目の前に、あの二足歩行の星獣がいる。


「ちくしょう、ちくしょうちくしょう何でだよッ」


 その右腕から赤黒い血を垂らしながら。龍征はついに膝を着いた。着いてしまった。真っ黒な靄が左胸から溢れていき、その身をじわりじわりと染め上げる。小さな温もりが、ぎゅっと掴んできた。それを手離さないように強く強く抱き締めた。


「大丈夫。大丈夫だよ、お兄ちゃん」

「ごめん……ごめんな」


 星獣が、石柱のような腕を振り上げた。温もりを庇うようにうずくまる龍征の目から、大粒の涙がぼたりぼたりと流れ落ちる。



「――――未熟なり、龍征」



 龍征が世界で一番頼りにしている声。その次に聞こえたのは、岩石が砕け散る音だった。


「半端に挑んで半端に逃げる。常日頃から自分に向き合い、貫き通せないから、いざというときに足が鈍るのだ」

「じいちゃん……なにやってんだよ」


 龍征の口元に笑みが浮かんだ。何故か上裸のその肉体には、無数の傷と火傷跡が踊っていた。鋭い眼光が一瞬だけ龍征を包み、すぐにまた片腕を失った星獣に戻される。

 散らばった石屑が、星獣の腕に集まっていく。壊しても壊しても無限に復活する怪物。龍征の表情が鈍った。だが、竜玄の屈強な肉体が映す影も一際濃くなったのだ。


「ウツケがぁ!! その子を守るのだろ!? はよ走らんか!!」


 岩の拳と肉の拳がぶつかり合う。老躯が瓦礫に沈んだ、が、砲弾のような飛び蹴りが星獣の頭部に直撃していた。岩石が少し欠ける。血液混じりの呼吸で老戦士が悲痛な声を上げた。


「ウツケが! ウツケ! 走れ! はよ! 速く行かんか!」

「じいちゃん、俺、俺はッ!」

「逃げて! 生きろ! 生きて、自分を貫け!」


 お前は儂の、唯一の家族だから。

 駆け出す龍征の背から、そんな言葉が聞こえた。涙が流れ、荒い呼吸に血が混じる。極限状態で、龍征の肉体も限界を迎えつつあった。それでも走る。女の子が、力強く龍征を掴んだ。


(この子も戦ってる。ここで、ここで貫けなきゃ、俺は――誰でもなくなっちまう)


 視界が黒く染まっていく。自分の足が動いていないことに気付いたとき、龍征は絶叫した。炎の中で、動かない身体でもがきながら、這うように、二人で、前に。


「――――ここまでよくやった」


 力が完全に抜けて、ぐったりと地面に身体を押し付けた。その声に、安心を感じたからだ。もう大丈夫。そんな確信があった。薄れる意識の中、龍征は炎の中を見つめていた。二体の星獣と誰かが戦っている。剣を振るう戦士が戦っている。あの炎の中で戦う戦士は何者なのか。それを確認したくて、必死に顔を上げようとした。

 その直後の記憶は、廃墟と化した町の中では無かった。

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