さじたいじ

和泉眞弓

さじたいじ

 スプーンたちは蜂起した。

 ヒトのちいさな弟のほうがスプーンの首を擦るとグニャリとガムのように曲がることを発見し、おもちゃで遊ぶように次々とスプーン曲げをするようになってしまったからだ。結びつきの弱い順に、あるものはくるくるとねじれ、あるものは柄につくほどに折り曲げられ、あげくの果てにはボロリとちぎれてしまうものすら現れた。いずれのものも予後不良であり、立て続けに仲間達がスプーン生命を絶たれていく。未曾有の事態に、不動のリーダーが動いた。

 引き出物として箱に鎮座したまま一度も食卓に出陣したことのない、輝く硬質ステンレススプーン、通称コブラ。スプーン界のリーダーたるコブラがついに召喚されることとなり、スプーンたちは俄かにざわつき、色めきたった。「負けるなリーダー」「エース登場」「スプーン復権」「われらに正当な仕事を」次々あがるシュプレヒコールの中、コブラは颯爽と食卓に初陣を飾った。

 弟VSコブラ。こうして戦いの火蓋は切られた。

 弟はいつものようにスプーンの付け根をさすったりつまんだりと様々に技を繰り出すが、コブラはびくとも曲がらない。「いいぞ」「流石エース」スプーンたちはやんやの声援をおくる。むきになった弟の顔が赤らむ。戦略を変え、両端を持って力一杯折り曲げようとするが、子供の力ではとうてい無理だ。すると今度はコブラをテーブルの角にガン! ガン! と力の限り打ちつけはじめた。引き出しの中のスプーンたちは「不当である」「正々堂々と戦え」などと強く抗議するが、もちろんスプーン語がヒトに届くはずもない。「やめなさい! スプーンは食べるのに使う!」ママが弟からコブラを奪う。ゲームセット。勝者、コブラ。

 かくてコブラは輝かしい初陣を飾った。しかしスプーンとしての使用はされないまま、ふたたび引き出しにしまいこまれた。勝ったのに、と、コブラは若干腑に落ちない。

 弟はママのいない隙に引き出しを開け、再びこっそりとコブラを取り出した。今度も正々堂々とはほど遠く、椅子の脚などを使い、思いつく限りの手段で痛めつける。だがさすがは鋼鉄のコブラ、やはり寸分も曲がらない。とうとうかんしゃくを起こした弟は、燃やせないごみの中にコブラを放り込んだ。

 燃やせないごみの処理場に他のスプーン傷病兵とともに送られる道すがら、コブラは内省していた。この人生ならぬスプーン生、スプーンとして用いられることがなかったのは、つよさと高級さをうたうあまり、スプーンとしての魅力が乏しかったからではないか。スプーンたちは運命のベルトコンベアーに載る。輪転する巨大な永久磁石が迫ってきた。コブラは、磁石というものをそのとき初めて見た。傷病兵たちに聞くと、冷蔵庫にちいさいのがいて会ったことがあるという。コブラは世間知らずを恥じた。永久磁石の引力は強力で、コブラの持つ硬さとは全く違う種類のつよさであった。重力が変わった。天に向かってつよく引きつける力にスプーンたちはふわりと身が浮いて、めまぐるしい速さで磁石まで引っ張られる。ガシッ。強大な磁力に捉えられ、コブラは一ミリも身じろぎできなくなる。もうだめだ——そう思ったそのときだ。ママがコブラを取り戻しに処理場をたずねてきた。涙がでる思いだった。

 ママの鞄に入れられると、コブラは身体の感じがそれまでとは何か違うことに気がついた。なんというか、すみずみまで整っている。頭もすっきりとして、アセンションの上昇が起こったかのようだ。異変がおきた。カバンの中の鍵が、こぞってコブラに強く引き寄せられ密着してきたのだ。明らかに不可思議な引力が生じている。思い当たるふしはただ一つ——あの永久磁石。大いなる力をもつ存在に接したことで、その力が分け与えられたのだ。コブラは目覚めた心地だった。こんなところに第二のスプーン生が。スプーンとしての魅力に乏しかった自分が今、金属という金属を引きつけてやまない。生きながらに転生し、新たな魅力を得たかのようだった。コブラは力を手放したくなかった。家に戻ると冷蔵庫のちいさい磁石に、この不可思議な力を保つコツをきく。「生まれつきじゃないなら、衝撃を避けることだ。ものにうっかりぶつかったりしないよう、充分気をつけて生活することだね」

 どうかスプーンとして用いられませんように——コブラは引き出しにしまわれることを今度は進んで望んだ。中のスプーンたちが「どうしたんですか」「あれ、引っ張られる」ぞくぞくと集まってくると、気分が良くなり「死の淵を見て、力を授かったんだ」とつい盛って語ってしまう。

 束の間の栄光だった。弟が引き出しを開け、捨てたはずのコブラを発見すると、にわかに弟の目が光った。弟は他のスプーンを引き剥がしコブラをつかみ出すと、振りかぶって思い切りテーブルのへりに打ちつけようとする。

 やめろ、やめてくれ、それだけは——

 祈りも空しく、ガチン! と大きな音がして、衝撃が加わった。曲がりはしないが、とたんに不可思議な力は解けてしまい、もとの身体感覚に戻ってしまった。「なんだ、付け焼き刃か」「口ばっかり」スプーンたちの野次がコブラに刺さる。音を聞き駆けつけたママが、また弟を叱る。スプーンとして使用しなければスマホタブレットの使用を許さない、と諭され、渋々弟はコブラをスプーンとして使ったはいいが、「なんかこのスプーン、おいしくない」とさじを投げる始末で、コブラのプライドもすっかり地に堕ちていた。

 助け舟が来た。「高級なものは、子どもにはまだ早い」と、今度はパパが進んでコブラを使うようになったのだ。大人用のスプーンとして用いられるようになり、コブラの面目は保たれた。すくわれたものがせめて美味しく口になじむよう、コブラもできる最善をつくしたものだ。

「このスプーンで飲むスープは、美味しい」深い吐息とともに、パパが言った。弟がねだったが、今度は許されなかった。

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さじたいじ 和泉眞弓 @izumimayumi

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