第31話 時間


「――一閃だった。巨大な魔力の奔流が本陣を焼き払い、そして誰もが死に物狂いで逃げた。戦おうなんて誰も思えなかった。何も出来ずみんな死んだよ」


 身体を震わせながら、彼女――パラマは語った。


 復興中のリテルフェイドでたてられた仮設住居の中、シロとツェシカの対面に彼女は座っていた。見つけた時には馬の上で気を失っており、脱水症状も起こしていたが、保護されていくらか寝た今では、いくらか血色も良くなっている。


 乗っていた馬の毛並みや、着ていた鎧から考えて、どこかの貴族の出だろうことはすぐにわかった。見つけた時の酷く乱れたブロンドの髪からでさえ、育ちの良さがにじみ出ていた。


「運がいいの、お主」


 パラマが喋りだしてから、一言も口を開かなかったツェシカが言った。


「愛馬がお主を落とさないように上手く運んでいなければ、同じように死んでいただろうな」

「……そう、だな。あの子には感謝してもし足りない」

 

 命を預ける相棒であり、大事な財産でもある馬は農民はもちろん騎士、貴族の間でも、とりわけ大事にされる存在だ。彼女もそうして愛馬に愛を注いできたのだろう。

 

「なぁ、ツェシカさ」

「なんじゃ、ひそひそと」


 それはそれとして、パラマの言葉を聞いてシロ的に引っかかったことがあった。

 念のためツェシカの耳元で小声で質問をしてみる。


「王の禁猟区ってさ、ツェシカが住んでいた場所だよな」

「どうじゃろうな。まぁ、近かったとは思うが、妾の住んでいる場所がその禁猟区の中に含まれていたかはわからんの。どうせ王の、とかなんとかいってるが、要は管理しきれん広大で危険な場所くらいの認識だったんじゃろ。妾が住んでいることも知らなかったように思うぞ」

「……まぁ、危険生き物が住んでる場所って意味では何も間違ってはいないだろうけどな」

「くくっ、違いない」


 パラマから得られた情報から、その王の禁猟区が、以前ツェシカが襲われ、それからしばらくカルダを観察していたあの一帯を差していることがわかった。


 もっとも、気になるのは場所ではなく、あれほど長期間同じ場所にカルダが留まっている理由だ。


 身体の一部を変化させ、魔力を定期的に放出する、あの行動。


 あれはまるで――。


「……私も随分休ませてもらった。返せるものは多くはないが、何か手伝えることはないだろうか」

「手はいくらあっても足りん街じゃが、大丈夫か? 求めているのは単純な肉体労働ばかり、病み上がりには少しキツイぞ」

「私は、昔から休むよりも身体を動かしている方が調子を戻しやすいたちでな。そのおかげか怪我も病気も長引いたことがない」


 ――調子を整えたり、あるいは身体の調整?

 

 それは例えば陸上選手がゆっくりフォームを確認するように。

 もしくは格闘家が動作や型を繰り返すように。

 あるいは手術後のリハビリで、身体の動きを思い出させるように。


 肉体と精神のズレを調整しているとしたら? 

 そしてもしそれが真実だとするなら、一体何を意味しているのか。


「インシローク殿」


 考えにふけるシロをまっすぐ見つめて、パラマが言う。


「何も持たぬ身なれど、助けられた恩を返したい。是非こき使ってくれ」

「そんな重く考えなくていいよ。ここは仮宿。居場所のない人間がいるところだ。帰る場所があるなら、さっさと帰った方が良い」


 シロの言葉が思いもよらないものだったのか、パラマは目をぱちぱちとしばたたかせる。


「……心遣い痛み入る。本当なら、何の恩も返すさず帰るわけにはいかない、と言うべきなのだが」

「ま、実際問題、キミの馬はもう少し休ませた方が良いから、少なくともあと一日くらいはここにいるべきだとおもうけど」

「何から何までかたじけない……もし何か私に手伝えることがあれば遠慮なくいってくれ。出来る限りの事はやりたいんだ」

「だからそんな気負わなくていいってば」

「そうはいかない。騎士として」

「……それじゃ、街を出ていく時に少し頼み事をするかも」

「もちろん、承ろう!」

 

 頼み事の中身を確認することなく、胸を叩いて了承するパラマ。

 彼女のその溢れんばかりの真面目さを、シロは嫌いではなかった。そういった資質が、厳しい時代に突入するこの世界ではとても貴重で重要なものだとわかっていたからだ。

 

※※※


「……お主はああいうのがタイプなのか?」

「は?」


 子供たちの世話を任せたパラマと別れ、中央に立つ一番大きな建物へと向かう道すがら、何やらツェシカがぼそぼそとした声で訊ねてきた。


「なんというか、ああいう、馬鹿っぽい、あぁ、溌溂とした感じの奴じゃ」

「馬鹿っぽいって」

「……にやにやとしまらない顔しておったぞ」

「言い方に悪意ない? まぁ、もちろん悪い印象は持ってないけど」 


 彼女が教えてくれたこの国の状況は、シロが想定していたよりもずっと悪い。

 この段階で王たちが、カルダの寝床まで踏み入り、その上で何も出来ずに壊滅させられたということは、シロにとっても、この国にとっても何一つプラスがない。


「元々、彼女にはちょっと頼みたい事があってさ。だから愛想よくしてただけだよ」

 

 それはさておき。

 リテルフェイドの街の復興は至って順調、どころか好調極まりないと言っていい。

 自転車操業状態だった資材物資もジルチの寄付のおかげもあり、僅かながら余裕が生まれ、生活も安定し始めている。いくつもの仮設住居が立ち並び、田畑にも芽が生まれ、見栄え的には立派に集落と呼べるだろう。

 パラマのようにぽつぽつと流れてくる人も吸収しながら、気が付けば、全人口は五十人を超えていた。


「それよりツェシカ」

「なんじゃ?」

「この街そのものを儀式場にしようと思ってる」


 ツェシカが驚き眉を顰める。

 

「……正気か? この街を犠牲にすると」


 シロが言っている儀式場とは、カルダを吸血鬼化するための術式を施す場所にするということ。シロにとっては最初から考慮に入れていたことだ。だからこそ、復興している現在の街は儀式上に転用しやすいように意図されている。

 だがそれは即ち復興したこの街を、子供らが、迷い人達が集まったこの場所を再び戦場にし、無に帰すことに他ならない。


「吸血鬼化の儀式を知る吸血鬼がいて、大量の魔晶石があって、既存の支配階級が不在。ここより良い条件の場所は元々殆どなかったよ」


 最初からそれを見据えての復興だったが、もちろんそれでも候補地の一つだった。ここはあくまで儀式の実験場として、儀式場はカルダの下へ赴き用意することがベストだった。

 だが新王軍やカルダの動向、それに幾つかの推測がそれを許さなかった。


「何よりも時間がない」


 シロの考えが正しければ、あるいは彼の中にいるウルスの試算が間違っていなけ れば、カルダがじっとしている時間はもう過ぎた。


「約77時間後に、カルダはここに来る」

「……は?」

「確率は六割くらいだけどね」


 ウルスの算出したカルダの行動予測で、もう少し細かく言えば62.111%。しかも正確には来る、ではなく通過する、だ。

 国の中央にほど近いこの場所を、カルダが横断するに過ぎない。手を出さなければ何事もなく通り過ぎてくれるかもしれない。


「だからここで戦う」


 敵に比べれば貧相な武器しかない。

 国に比べれば驚く程非力だった。

 それでも、戦える武器は彼の手元にあった。


「72時間で準備を終える」


 それはあの怪物と対峙するには、あまりに少ない時間だった。


「最低限準備は手伝ってほしいけど、ツェシカも逃げていいぞ。あー、でも出来れば子供らも連れて行ってくれると助かる」

「……正気じゃないな」

「それはどの部分に対して?」

「何もかもじゃよ。ここを儀式場にするのも、三日であの怪物と戦う準備を整えようとしているのも、一人で戦おうとしているのもじゃ。成功するわけがない」


 人やそこらの魔獣と比べればツェシカもまた最上位の種、頂点捕食者の一人である。その彼女をして異常としか思えないカルダを一人で相手にするなど、とても正気とは思えないだろう。しかも戦場は、場魔晶石を除けば大した資材物資もろくにない街なのだ。

 状況を考えれば考える程、戦いになるわけがないことがわかる。


 その上、だ。冷静に策を考えれば、吸血鬼化の術式が成功したとして、カルダが望み通り何かしらの弱点を得た時には、その怪物は今までよりもはるかに強い存在になっているはずである。無謀どころの話ではなかった。


「ミスっても、人的被害は一人だよ」


 そう返したシロの言葉に、今度こそツェシカは絶句して足を止めた。


『まぁ当然の反応ですね』

 

 ウルスもまた、シロの言葉に呆れた様な口調で言った。


『吸血鬼の力は有用です。この街の住人、魔法を覚えた子供だって十二分に使い道があります。わざと勝率を下げるような行為は只の自殺ではありませんか』

『まぁ、それはまったくもって正しい意見なんだけど』


 国を滅ぼすかもしれないような相手だ。対処できなければ遠からず自分たちの命だって刈り取られるかもしれないのだ。無理やりにでも巻き込んだって文句言われる筋合いは確かにないのかもしれない。


『ま、それは俺達だから言えること、俺達だから考えられる未来だし。何よりも俺がやろうとしていることがまっとうな手段とは言えないしな』


 吸血鬼化とは条件的な進化術式。弱点を定義させることで、種としての格を上げる儀式魔法だ。弱点の誘導はある程度できるが、対象が対象だけに万全ではない。その上、少なからずあの怪物が強化されるのだ。彼のやろうとしていることは、他人から見れば、はた迷惑な自殺志願者としか思えないだろう。


『それに儀式場の起動まではなんとか手伝ってもらうし』

『魔法が使えないのですから、当然ですね』

『でもきっといい勝負になると思う』

『それは主の仮説が正しかった時のみです』

『俺の仮説が正しい確率は?』

『可能性も何も、仮説と推論の積み重ねのみ。確率が出せる程証拠は揃いませんよ』

『ならこれではっきりするな。俺たちの仮説が正しいかどうか』

 

 脳内でシロとウルスがそんなやりとりをしている間、ツェシカが何かを考えこんでいるようだった。


「死ぬ気か?」 


 しばらくして、顔を上げたツェシカが言った。


「勝つ気だよ」

「それは問の答えになっとらん」


 答えになっていない言葉で逃げようとしたがすぐに捕まってしまった。


「……死んでも、勝つつもりだよ」


 だが言葉に出来たのは、それだけだった。


 そうして、復興した街は再び戦地になることが決まった。

 

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人工知能と英雄と、滅びゆく異世界。 伊佐村ひさき @hisaki_y

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