第5話 詰んでいる。

 穴掘りする機械ことシロ、仕事を失う。

 

 それはこの世界に来て三日目の事である。ちなみに解雇されたわけではない。

 穴掘りという仕事が終わったのだ。臨時のお仕事なので当然の事。なんなら急を要する備えの仕事、早く終わるにこしたことはない。


 とはいえ、それはあくまで雇用側の理屈で、仕事を求めるシロにとっては仕事を失ってしまったことに変わりはない。


 他の臨時の仕事をとればいい、と思うかもしれないが、大人数を抱えた仕事が一つなくなったのだ。当然、他の仕事募集に人が殺到するわけで、何のコネも繋がりもないシロではまともな稼ぎの仕事などそうは得られない。

 

 異世界もまた、世知辛い世の中である。


『たっっっか!』

『パンの値段が、昨日の倍になっていますね』


 それに街の中で、食料の高騰が止まらない。シロが働き始めた時よりも既に価格は三倍近い。あれほど厳しい肉体労働で得た一日の給料よりも、一日の食事の方が高いのだ。こんな状況では、安い仕事など受けられるわけもない。

 

 幸いにして、豊富な地下水のおかげで水不足の心配はないようだが。状況は日に日に悪くなっていっていた。


 いっそ、このまま――。


「…………」

「無言で背後に立つのやめてもらえます?」

「……スマナイ」


 臨時の仕事斡旋所前で立ち尽くしていたシロの背後に、いつの間にかヴィガルが立っていた。


「俺に何か?」

「……グレア様ガ呼ンデイル」

「へぇ」

「暇ナラ付イテキテホシイ」


 その言葉に、シロは少し悩んだ。

 どうして、と思うかもしれないが、このタイミングだ。何かしらの援助や、仕事の斡旋である可能性は非常に高い。それ自体は喜ばしいことだが、なにぶん街の状況がよろしくない。


 これからの事を考えると、グレアにはいろいろと面倒を見てもらった身でもあり、心苦しくもあった。


「まぁ、仕事もないので暇ですよ暇。どこへなりとも付いていきましょう」


 だが、結局断りはしなかった。一度しか会ったことはないが、グレアは権力を楯に何かを強要する人物には見えない。断るにしろなんにしろ、直接会った方が誠意ある対応だと言えるだろう。


 背を向けて、無言で歩きだすヴィガル。その背を追って、シロも歩き始めた。


『……増えてるな』


 都市リテルフェイド。国内の物流を担う動脈の一つといえる交易都市だそうだ。普段から人と物の流れは激しいそうだが、現在はその比ではないだろう。


『出ていく人間もそれなりに多いようですが、それ以上逃げてくる人が多いようですから』


 物資も底をつき始め、仕事も多くはない。ここに滞在していても多くを望めないのは、街を見れば誰でもわかるだろう。体力気力があるものは、噂や血縁を頼り別の場所へ行く。だが何もない人間は、もしくは何もかも失った人間は、ただ待つ。


 死ぬか、救われるまで。


『片づけが追い付いていないのでしょうね』


 それは細い脇道や、建物の壁にぽつりぽつりとある。まるで眠っているように死んでいる人々。


 遺体は腐り、やがて病魔が蔓延るようになる。そしてまた人が死ぬ。悪循環だ。解決方法はあるが、それはきっとこの街だけでは無理だろう。外の協力、支援を待つしかない。


『詰んでるな』

『詰んでますね』


 この街が機能不全に陥るのは、そう遠い未来の話ではないだろう。


『少し急いだ方がいいですね』


 巻き込まれる前に、火事場からは撤退を。



※※※



 再び訪れたグレアの屋敷だが、前に来た時とはずいぶん雰囲気が違っているように感じられた。


 警備の兵の数が増えており、全体的に物々しい。しかもその増えた兵というのが、鎧を着てなかったり、着ていてもサイズがあっていなかったり、一言でいうと見栄えが悪い。流れの傭兵なんかを雇って、人数だけかき集めましたという感じだ。


「スマナイ、俺ハコレカラ仕事ガアル」


 屋敷の玄関で、ヴィガルが申し訳なさそうに、目を伏せながら言う。


「――ここから先は私が案内いたします」


 そう言って出迎えたのは獣人のメイドだった。獣人とはいっても、ヴィガルとは違って、その顔は猫科ではなく、只の人のそれに近い。人との違いは、頭に生えている獣の耳、そして尾てい骨腰の下から服を突き破って飛び出している尻尾くらいだ。形状からして、狼族あたりだろうか。


 獣人の中には、ヴィガルのように人間種以外の顔を持つ者と、ジルチのように一部に特徴を残している者の二種類がいる。これは只人とのハーフというわけではない。血や種族によって違いはあるが、彼らは二つの顔を持っている。普段をどちらの顔で日常を過ごしているかは、個人の好みや、種族の文化等によって異なるようだ。


「グレア様のメイドをしております。ジルチと申します」


 耳も尻尾もそして長い髪まで真黒なメイド。服まで白と黒で構成されたシックなメイド服なこともあり、真っ赤な瞳が強く印象に残った。


 深く頭を下げたその腰には剣を佩いていた。


 ヴィガルがそのメイドに軽く会釈をすると、すぐに背を向けて早足で去っていく。統治者側に仕える者として、今は仕事などいくらでもあるのだろう。


「…………それではこちらへ」


 ヴィガルが去った後、ジルチの顔から笑みがさっと消えた。その目は冷たく、とても客人に向ける態度ではないだろう。つまりは、シロは彼女にとっての客ではないということになる。

 

『これいきなり斬りつけられたりしない?』

『その可能性は少ないかと』


 そもそも、そんな事される理由が思い当たらない。もし何らかの理由でシロを斬り殺すつもりだとしたなら、真昼間にヴィガルに呼びつけさせるような行動はしないだろう。

 とはいえ人間が全員確率通り動いてくれたら世話はない。世の中にはトンデモない愚行を犯す輩もいるわけで。


「グレア様の下へお連れ致します」


 無表情なメイドが背を向けて歩き出す。

 今更引き返すわけにもいかない。シロは気持ち少し距離をとって、彼女の後について行った。

 会話はまったくない。外から聞こえる雑音や、風が揺らす窓の音が酷く耳に残った。


 だが意外なことに、ジルチはそれからすぐに口を開いた。


「……一つ、よろしいでしょうか」


 生活サイクルや建物の構造上、人目に付きにくい空間というのはどうしても出来てしまう。長年務めたメイドならもちろん熟知しているだろう。ジルチとシロがいるそこ。一階と二階を結ぶ階段の踊り場も、そういう場所の一つなのだろう。


 足を止め振り返ったメイドの目には、隠す気もない敵意。その手は無情にも腰の剣の柄に伸びていた。


 どうやら低確率を引いてしまったようだ。

 

「忠告をしておきます」

「……脅しの間違いでは?」

「グレア様に何を言われても断りなさい」


 剣を引き抜き、ジルチは言い放つ。シロの言葉はガン無視である。


「あの方は誰にでもお優しい。いえ、優しすぎます。貴方の事情は聞いています。なるほど。まだ同情の余地はある。しかしもう我々には貴方を助ける余裕はない」

「……あぁ、なるほど」


 剣を突き付けられながら、シロはその行動の意味を察する。

 ジルチにはわかっているのだ。この街が陥っている状況が、それが行きつく先に支配階級の人間にどんな危険が待っているか。

 メイドはただ主人を護ろうとしているのだ。

 

「御忠告どうも」


 シロはにへらと顔に笑みを浮かべて、両手を上げた。


「丁度良かったよ。実は俺も断ろうと思っていたんだ」

「……」

「本当だよ?」


 その軽口を、ジルチは信じていないようだった。しかしその言葉に偽りはなく、紛れもなくシロの本心。彼は既にさっさとこの街を出て行こうと考えていた。金銭の問題はあるがしかし大した問題ではない。生きていくだけならそこらの山にでも入れば、いくらだって生き延びられる。シロにはそれだけの知識も経験もあった。


 そもそもグレアの申し出がなんであれ、時間を要するものは断る腹積もりだったのだ。短期間で出来るようなものなら受けようかな、くらいのものである。

 元々断るつもりだからこそ、ヴィガルが声を掛けてきたとき、迷ったのだ。色々してもらったグレアやヴィガルを鉄火場に置いて、さっさと逃げるつもりだったから。


「忠告はしましたので」


 剣を鞘に納め、ジルチはまるで何事もなかったかのように背を向けて階段を上りはじめた。

 シロは幾分か軽くなった心で断りの文言を考えながら、その後に付いていった。


 

※※※



 案内された場所は、以前と変わらない部屋。グレアの仕事部屋、所謂執務室なのだろう。

 ジルチがノックをして来訪を告げ、入室を促される。


 彼女の体には不釣り合いなほど大きい机の向こう側、堅い皮の椅子に座っているグレアが居た。机の上には幾つも紙や本が散乱している。


「お待ちしておりました」


 曇りのない満面の笑顔。街の状況を思えば、いっそ能天気にすら感じられるほどだった。

 シロの背後、閉められた扉の前にはジルチが立っている。


「今日はお呼び立てしてしまって申し訳ありません」

「いえ別に……暇だったので」


 呼び出した事を謝るなど、思わず心配になるほどに彼女は律儀な領主といえた。こんな領主だからこそ、ジルチのようなものが近くに居るのかもしれない。


「それで私を呼んだ用件はなんでしょうか?」

「そうです! 私、インシロークさんにお願いがありまして!」

「お願い?」

「えぇ! もし宜しければ私の下で働いてくれませんか?」


 驚きはしない。グレアからあんな忠告を受けた後なのだ。それは想定の範囲内であって、意外なものではなかった。

 

「俺を、雇うと?」

「え、えぇ、お嫌ですか?」


 グレアはシロの反応が芳しくない事に気付いたのだろう。その顔に陰りと困惑が見えた。

 

「俺に一体何をしろと? 貴方には俺が雇うほど価値がある人間に見えますか?」

「そんな卑下なさることはありませんよ。貴方の仕事ぶりは聞き及んでおります。疲れ知らずで、一言も文句も洩らさず、穴を掘り続ける、まるで穴掘りをするために生まれたような人だと」

「………………えぇっと」

「私も貴方が働いている姿を拝見しております。あれほど普請が早く終わったのはまさしく貴方の力が大きかったと」

 

 なるほど、真面目に働きすぎるのも考えものである。


『流石は穴を掘る機械ですね』

『うっさいわ』


 はてさて断るとしても、シロは記憶喪失の身だ。下手なことは言いづらい。また嘘を完璧に付けるほどこの世界の情報もまだ持ち合わせていない。


「あの……何かご都合が悪い事でも?」


 しばし言葉を探しているシロを、グレアが不安げに上目遣いで見つめていた。

 

「……あの傭兵のような者たちも、そうやって雇い入れたのですか?」

「え、あ、外の方たちですか? はい。お恥ずかしながら、人手が足りておらず」


 それは嘘だと、シロにはわかった。この街は人よりも物資が圧倒的に足りていない。それは支配階級であるグレアたちも例外ではないだろう。それでも無理をして兵を雇う理由は、民衆を制御できなくなった時の、つまるところ暴動対策。


 暴れっぽい連中を囲うことで、暴動そのものを抑制する効果もある。身内にそういった連中を抱え込むリスクもあるが、物資が本当に足りないことさえ伝われば彼らとてむやみに暴れる理由はないし、何よりなんのリスクもない策が取れるような状況ではない。

 実際、シロは悪くない策だと思う。


「お断りさせていただきます」

「え?」


 ではシロを雇おうとしているのも、その策の内だろうか。グレアがどう思っていようと、答えは否だ。それが策の内であるなら、ジルチはあんな脅しをかけてはこなかったはずである。ただ体力があって、仕事ぶりが真面目なだけの人間を雇っている余裕など、この屋敷にはすでにないのだ。


 ジルチというメイドが言ったように、やはりグレアという少女は、この領主様は優しいのだ。

 仕事が真面目だとか、体力がすごいとか、そんな理由で記憶喪失の青年を支援する理由が見つかったから。だから彼女はこんな申し出をしてくれたのだろう。それは素晴らしい美徳で、素敵な長所だ。


「あ、あの! 理由を伺っても宜しいですか? あ、もしかしてお知り合いが見つかったとか?」


 ありがたい事に、グレアはこちらを慮った言葉をかけてくれている。

 適当に彼女の言葉に頷けば、この話は終わるだろう。それで全て済む。誰も傷つかない。心苦しくない。本当にありがたいことだと言えた。

 

 あとはそのまま街を出て行くだけ。それだけの話。


「――この街は詰んでいる。底に穴のあいた、沈みゆく船です。長居したがるのは行くあてがないか、気力がないか。時世を読めないかでしかないでしょう」

「…………え」


 グレアは何を言われたのか理解できない様子で、困惑していた。

 だがシロは言葉を止めなかった。


「物資が不足し補給の当てもないなかで、貴方はよく領主をやっている。でも、貴方が自分の身を案じるならさっさと親族を頼って逃げるべきです。領主の座など適当な誰かに任せてしまえばいい。全部終わった後、無事だったなら、権力でまたどうにでも出来ることです」

「おい貴様っ!」

「あんたも、主の身を案じるなら無理矢理にでも連れ出してしまうべきだよ。死んだら何の意味もない。この街の現状なんて、どうせ誰にもどうする事も出来やしない。だったらしょうがないだろ? 主を生かすことを第一に考えるべきじゃないのか?」


 領主への不敬に対し抜剣しようとしたジルチにも、シロはそう言葉を投げつけた。

 ジルチの動きが止まったのは、それがあながち間違いだとは思えなかったからだ。気付いていたはずだ。気付いていないわけがない。そうでなければ彼女はシロにあのような脅しはかけていない。

 でも、グレアが諦めていないから、最後までそれを信じていたかったのだ。


「――言いたいことはわかりました」


 俯かせていた顔を上げた時、グレアの顔は何の感情も映していなかった。努めて無表情を装ったのだろう。だがそれでも漏れ出る感情全てを止めることは出来なかった。

 怒り。

 善良で無垢な少女が、それゆえに隠しきることが出来なかった感情だった。


「お帰り下さい」


 静かに告げられた言葉は決別の言葉。それも当然といえる。

 いかに真実だろうと、正論だろうと、彼の言葉をグレアが聞き入れるはずはない。受け入れられるような人間なら、今、目の前に彼女は座っていなかった。


「ジルチさん、送ってあげてください」

「……はい」


 冷静さを取り戻したのか、返事をしたジルチの顔にも怒りが浮かんでいる。こちらは隠す気など微塵もなさそうだった。


「あー、大丈夫です。一人で帰れます。というか、斬り付けられそうなんで一人で帰ります」


 返事は待たずに、シロは踵を返し部屋の扉へと向かった。

 ジルチとすれ違う時、強烈な殺気と小さな舌打ちが贈られる。シロはそれをにへらと笑って受け流して、部屋を出た。


『無駄に怒らせただけでしたね』

『だろうね』


 脳内でウルスと会話しながら、シロは早足で廊下を進んでいく。このまますぐに市に向かい必要なものを揃えて、出来るだけ早くこの街から出ていくつもりだ。


『グレアには九割九分、意味はなかっただろうけどさ。でも言わないよりは、一分くらいは逃げてくれる確率は上がったんじゃないかな』

『そうでしょうか?』

『言葉には力があるからね。無理と言われればそっちに心が傾くもんだ』

『言葉のせいで意固地になられてしまう可能性もありますよ』

『そうかもね。まぁどっちかといえば、あれはグレアじゃなくてジルチに向けた言葉だから』


 グレアに意味があったかと言われれば、おそらくないだろう。だがジルチには、多少の効果はあったように思える。主のために客人に剣を突き付けてくるような女だ。グレアを想うなら本当に、無理矢理にでも逃がそうとする可能性は十分にあり得る。


『今の俺に出来るのは精々こんな事だけだよ。惨めだね』

『ですが、それが普通なのでしょう』


 かつてのように魔法さえ使えたのなら、いくらか解決の手段はあった。だが今の彼に、この街の問題をどうにか出来る術はない。

 なまじ経験だけはあるから、出来ないことだけははっきりとわかってしまうのだ。

 

 それからシロは金銭のほとんどと引き換えに衣服と装備を整えて、直ぐに街を後にした。






 結論を言うなら、シロの言葉は全て正しかった。

 否、シロの言葉よりも、現実はもっとずっと厳しかった。


 これより十四日後、グレアが治める街リテルフェイドは陥落する事になる。

 想定していた暴徒や賊といった人の仕業ではない。


 王都を落とした魔獣に襲われ、応戦虚しく、街は二時間で焦土と化したのだった。




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