「おかえり、おかあさん!」

 少し狭いアパートの一室で、首から緑色のカードのような物を提げた子供は帰ってきた母親にそう言った。

 母親は子供を悲しげな目で見ると、「ねぇ、○○?」と呼びかけた。

「お母さん、仕事でしばらく帰れないの。だから、しばらく向かいのおばさんの家に居てもらってもいい?」

 母親のその問いに子供は頷いた後、笑顔で返した。

「だいじょうぶだよ! ぼくももう5さいなんだから!」

 子供のその言葉を聞いた母親は、その目に涙を浮かべると、子供を抱き締めた。

「わっ、おかあさん! どうしたの?」

 子供がそう聞いたが、母親は何も言わずにただ子供を抱き続けていた。

 彼女の首には、子供と同じ緑のカードが提げられていた。







「えっと、要するにこの国に入るには、その検査をしないといけないの?」

 コンクリートのような素材で作られたであろう十メートル程の壁。その隣にある管理所で、麦わら帽子を被りワンピースを着た少女は難しい顔をしながら、管理所の受付に居る職員に質問をしていた。その職員はファッションなのか、緑色のカードを首から掛けて、マスクを着けていた。

「はい、旅人様。この国では感染症対策や薬物取締のため、入国希望者の詳しい身体検査と所持品の確認を行う決まりがあります」

 職員は少女の問いかけに対し、作り笑顔でそう応えた。

「心配せずとも検査はすぐに終わりますし、所持品も危険性のある薬物等が無ければ全てお渡ししますよ」

 少女がそれを聞いても安心した様子は無かったが、少し考えた後「……仕方ないか」と呟いた。

「分かった。その検査は何処で受ければいいの?」

 少女がそう聞くと、受付とは別の職員が管理所の扉を開け、「検査室まで案内します」と返した。少女はその様子を見てため息をついた後、渋々といった様子で所持品の入った革袋を受付の職員に渡した後、管理所に入った。


「こちらです。付いてきて下さいね」

 管理所の中は隅々まで掃除が行き渡っており、清潔感が感じられるだろう。…あくまでも、普通の内装なら。

 そこは純白の空間だった。椅子やテーブル、床や壁といった全ての物が白く塗りつぶされており、冷たささえ感じさせた。

「ここは外部と接触する場所ですからね。特に徹底した清掃活動が行われます。内装を全て白くしているのは清掃時にゴミが見えやすくしているんです」

 職員は歩きながら、やや自慢げにそう話した。

「ここが清潔に保たれる事で、この国の制度は守られているんですよ」

 そんな話を右から左に流していると、程なくして「着きましたよ」と職員が言ったのが聞こえた。


「……はい、これで検査は終了です。数分程で結果は出ますので、外の椅子でお待ち下さい」検査官にそう言われた後、少女は検査室から出た。

 検査は検温や聴診、採血といった一般的な物だったため、受付の職員の言うように時間は掛からなかった。しかし、少女にとってそこは大した問題ではない。彼女にとっては数分間も数年間も、今更大した違いは無いのだから。

 彼女にとっての一番の問題点は、彼女の『体質』である。

「『体質』の事、バレなきゃいいけど……」

 少女は椅子の背もたれに身体を預けながら、そう呟いた。その時、関連性が無い一つの疑問がふと頭に浮かんだ。

「そういえば、あの二人が首から掛けてたあれ、何なんだろう……」

 少女がその事について考え出した時、扉が開かれる音と共に先程の検査官が少女を呼んだ。

「お待たせしました。検査結果が出ましたので、お入り下さい」

 少女はそれを聞くと、椅子から立ち上がり再び検査室に入った。

 検査室の椅子に少女が座ると、検査官は笑顔で言った。

「おめでとうございます。貴方は特に目立った症状はございませんので、入国が許可されました。所持品についても持ち込みが禁止されている物はございませんので、消毒処理が終わり次第返却します」

 少女は内心では少し安堵しながらも、それを悟られぬように、「ありがとう」と答えた後、先程の待ち時間の間に生まれた疑問を聞いた。

「ところで、貴方が首に掛けてる緑色のカードって、一体何なの?」

 検査官はその問いに対し、こう答えた。「……ひょっとして、貴方はこの国の制度についてご存知ないのですか?」

 その通りだった。少女が何も答えずにいると、検査官は「解りました。それでは、簡単に説明を行いましょうか」と言って、緑のカードを手に取り、少女の前に持ってきた。

「これは国民証です。この国の国民である事を証明する物で、国民証があれば国内での医療費や生活費は保証されます。と言っても、そう言った公的な保証を受けるには、この国の制度に同意する必要があるんですけどね」

 少女は検査官の話を聞くと、首を傾げた。

「貴方達が言っている『この国の制度』って、一体何?」

 その問いを聞くと、検査官は笑顔のままこう言った。



「全国民の義務的な臓器提供ですよ」



 その国を一言で言うのなら、確かに「清潔」だろう。見える限り全ての建造物が管理所内のように白く塗りつぶされており、所々に設置されている浄化装置のような物が自らの役割を行っていた。

 少女は案内された宿泊施設で、部屋の窓からそんな純白の風景を眺めていた。

 この国では入国者は滞在中、国が定めた宿泊施設でしか宿泊が出来ないらしく、少女は管理所から出ようとした時に職員にここへと案内されたのだ。

 少女は床に革袋を置き、テーブルの上に帽子を載せた後、ベッドの上に寝転び、検査官が言っていた事を考えた。

「義務的な臓器提供か……」

 管理所の職員曰く、この国の国民は一部を除いて30歳になると国に招集され、安楽死の後に全ての内臓を摘出される。そうして『提供』された内臓は、他の国が臓器移植や臨床試験の為に高値で購入するらしい。

 臓器提供は国によっては神やら教義やらの関係でタブーとされる場合もある。そんな臓器提供を公的に、しかも義務として行うのだから、如何にこの国が特殊なのかが分かるだろう。

 どうしてこの国はこのような制度を取り入れたのか。この国の住民はどう思っているのか。

「…まぁ、実際に見てから考えよう」

 彼女は寝転がりながらそう呟いた後、瞼をそっと閉じた。





 少女は夢を見た。

 昔の夢だ。

 緑色の薬品と共に、彼女はガラス管から流れ出た後、べちゃっと音を立てて地面に落ちた。

 彼女は瞼を薄く開くと、そこには白いガウンのような服を着た男が少女を見下ろしていた。

 少女は気付いた。この人が私を作ってくれたのだと。

 彼女は男に抱きつく為、腕を伸ばした。それが子が親に愛情を示す方法の一つだから。

 しかし、男は苦虫を噛み潰したような顔で少女を見ると、何処からか鋼の槍を取り出し、それで少女を串刺しにした。

 男は忌々しげに舌打ちをすると、こう言った。

「……失敗作が」



 カーテンの隙間から、部屋に朝日が入る。その光は、未だベッドで眠る少女をも照らす。

 眩しさに耐えかねた少女はむくりと起き上がると、伸びをした。

「……」

 嫌な夢を見た気がする。しかし、それがどんなものだったかは全く思い出せない。彼女はしばし夢の内容を思い出す為に頭を働かせたが、数分もしない内に考えるのを諦めた。

「そんな事よりも、この国を見に行こう」

 少女はそう呟くと、テーブルの上に置いていた麦わら帽子を被り、革袋から銀貨の入った袋を取り出すとワンピースのポケットに突っ込む。

「よし、こんな物で良いかな」

 そう言った後、彼女は部屋のドアを開けて玄関ホールに出た。





 少女は宿泊施設から出ると、気の向くままに国の中を歩いた。と言っても、彼女の足では行ける範囲は限られているが。

 お菓子屋や本屋、雑貨屋等をぶらぶらと覗いた後、遅めの朝食を取るために、彼女は目に付いた近くの喫茶店に入った。

 少女は窓際の席に座ってメニューを手に取ると、それを見た。

「あ、フルーツサンドがある。美味しそう……」

 少女がそう呟いた後に、喫茶店のドアが開く音がする。彼女が音の方を見ると、そこには一人の青年が居た。『国民証』が首に掛けられている為、彼もこの国の住民だろう。青年は少女の方に歩いて来ると、彼女に話しかけた。

「ねぇ。相席してもいいかな?」

 少女が彼に「良いですよ」と言うと、青年は「ありがとう」と返して彼女の向かいの席に座った後、パンケーキと紅茶を頼んだ。

 少女はフルーツサンドとオレンジジュースを頼んだ後、青年を見ると「何で相席しようとしたの?」と聞いた。彼は運ばれてきたきたお冷やを一口飲むと、「国の外の話を聞くためだよ」と答えた。

「この国の国民は国からの許可が無ければ国外には出られないから、こうでもしないと直接話は聞けないんだ」

 聞いてもいい?と青年は少女に言う。その目は純粋な好奇心に溢れていた。少女はしばし悩んだ後、「……いいよ。この後、特にする事も無いし」と答えた後、国の外の話を多少美化しつつ話した。

 青年は面白そうに少女の話を聞きながら、所々で彼女に質問をし、彼女はそれに対する答えを話した。

 少女が一通りの話を終えると、テーブルに注文した物が運ばれて来た。

「いやぁ、国の中に居ると聞けない話ばかりで面白いよ。この国は素晴らしいけど、国の外を自分で見てみたくなるな」

 青年はそう言ってパンケーキを切って口に運び、呑み込んだ。

 少女はフルーツサンドを一口食べた後、「貴方はこの国についてどう思うの?」と聞いた。

 青年はそれに対し、「もちろん、この国は素晴らしいよ。国民証があれば国から生活費は出るし、住居も提供されるしね」

 青年がそう言った後に、少女は続けた。

「例え、自分が国に殺される事になっても?」

 彼女がそう言っても、青年は「もちろん。自分が死ぬ事でこの国や他の国の為になるからね」

「……」

 その言葉を聞いた少女は黙り込み、フルーツサンドを再び齧った。

「国の政治は人工知能が適切にやってくれるしね。本当に楽で素晴らしいよ」

 青年は心の底からそう信じ切っている顔でそう言った。

「なるほどね、ありがとう」

 そう言った後、少女はオレンジジュースを飲み、フルーツサンドを流し込んだ。その後勘定を済まして彼女は喫茶店を出た。


 翌日。少女は革袋を持ち管理所に向かった。正直この国で見たい物は全て見たと思う。それだけだ。

 管理所では昨日の受付職員が少女を見て、「おや、もう出国ですか?」と言った。

 少女が頷くと、職員は「解りました」と言ってドアを開けようとした時、少女のワンピースの裾が引っ張られた。彼女が下を見ると、少女よりも幼そうな一人の子供が彼女を見上げていた。

「ねぇ、おねぇちゃん。おかあさんをみなかった?」

 彼女はそれを聞くと、首を振った。

「そっか。おばさんにね、おかあさんはそとにおしごとにいったっていったんだ。だから、おかあさんをまってるんだ」

 子供はそう言うと、少女に「もしおかあさんを見かけたら、ぼくはげんきだってつたえてね」

 少女は軽くため息をつくと「……分かった」と言った。子供はその言葉に顔を明るくした。

 少女は子供が見えなくなると、一人呟いた。

「どうやって内臓から元の人間を見分けろって言うの……?」

 彼女のその言葉が聞こえたらしく、職員は苦笑いしていた。


 彼女は管理所から出ると、革袋を手に持った。元々この国は何となく立ち寄った国だったが、この国の制度と考え方は正直彼女には辛かった。

 彼女は管理所から少し歩いた所にある海岸に行くと、そこに停めてあった古びた小舟に乗った。

 もう、この場所には用は無い。

 しかし、彼女はすぐに行こうとする事が出来なかった。

「…………」

 少女は小舟の中で座り込むと、目を閉じた後にしばらくの間踞っていた。


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