恋人への間違いメールを受け取った件

久野真一

間違いメールを受け取った結果

「【元気でやっていますか?】……なんだろう?」


 春の夜、ベッドに寝っ転がりながらメールをチェックしていると、見慣れないタイトルのメールが受信トレイに届いていた。


「スパムメールかな……」


 知り合いを装ったスパムメールはよくあること。特に、このメールみたいに相手の名前を指定しないタイプのスパムは実に多い。しかし、腑に落ちないこともある。この手のスパムメールは、もっと興味を惹く件名にするものなのだ。「元気でやっていますか?」なんて平々凡々な件名はあまりみない。


「一応、見てみるか」


 幸い、怪しげなリンクがあるタイプのメールじゃないようだ。迷惑メールとマークして見ないことにするのは簡単だったけど、興味を惹かれた僕はメールを開いてみた。


【こんばんは、夜桜。俺だよ、俺。夏野進夜。なんか、改まってメールを書くとなると、何書いていいかわからないもんだな。丁寧語にするかタメにするかも迷うし】


 開いたメールの冒頭はそう始まっていた。


(あ、これは間違いメールだ)


 と即座に理解した。送り主は、夏野進夜というらしい。素直に読むのなら、夏野進夜なつのしんやだろうか。これが、深夜だったらまるで駄洒落のような名前だけど、「進」になっているのは、子どもが変な名前でからかわれないようにというせめてもの配慮だろうか。


 などとどうでもいい想像を膨らませる。人からよく変わっていると言われるのだけど、僕は、こんな風にして、ちょっとした文面の背景にある人間ドラマを想像……いや、空想するのが好きだったりする。


 ちなみに、僕は、春野与太郎はるのよたろうと言う。京成大学けいせいだいがくに通う工学部2年生。メールアドレスは、haruno_yo@qmail.comだ。haruno_yotarouだとちょっと長いかと思って、haruno_yoにしてみたら、幸いにしてまだ取得されていないアドレスだった。


【そっちが札幌に引っ越して、そろそろ1週間ってところか。元気でやってるか?北海道だと、4月はかなり寒そうだけど、大丈夫か?お前、昔から寒さに弱いから少し心配だよ】


 どうやら、メールの本来の受け取り手たる夜桜さんは北海道の札幌に引っ越したらしい。確かに、首都圏、メールの送り主がそうかはわからないけど、に比べると、北海道のこの時期の気温はかなり低いはずだ。


(にしても……)


 送り手である夏野さんと夜桜さんは大層親密なようだ。メールで丁寧語にしてないこともそうだし、昔からという言葉からすると、幼い頃から仲良くしていたのだろう。仲の良い男女……桜なんて名前がつくくらいだ、たぶん女性だろう、がこうしてメールのやり取りをしている様を想像すると、微笑ましい。おそらく、高校生か中学生くらいだろう。

 

 興味を惹かれた僕は、さらにメールを読み進める。


【ちなみに、俺の方はまあ元気でやってる。昔から一緒だったお前がいない生活は寂しいって思うことも多いんだけど。って、こっ恥ずかしいこと書いてるな。でも、メールだと書けてしまうんだから、不思議なもんだ】


 読んでる僕の方が赤面してしまいそうな程に恥ずかしい文面だ。夏野さんと夜桜さんは、引っ越しを機会に遠距離恋愛になったのだろうか。


【あ、そうそう。こっちの方は、桜が咲き始めたよ。毎年、夜のお花見をしたあの桜なんかは、もう少しで満開ってところだ。メールに添付しとくから、良かったら見てくれ】


 毎年、夜のお花見とはなんとも風流なデートだ。夜桜、なんて名前だ。彼女さんも桜には特別な思い入れがあるのかもしれない。毎年ということは、昨日今日付き合い始めたわけでもないのか。少し羨ましいな。


【他にも色々書きたいことはあるんだけど、とりあえずこのくらいで。札幌がどんなところかとか、転校先の高校のこととか、色々気になるんで、返信待ってる】


 メールはそう締めくくられていた。添付された写真を見てみると、夜の暗い景色に一本だけ立った大きな桜が神秘的だ。


 メールを読み終えた僕は、胸の中が不思議と暖かくなるのを感じていた。別段、人間関係で困っているわけでもないけど、こうまで親密な相手というのは居たことがないので、少し別の世界にも感じられる。って、あれ?


(これ、放置したらまずいんじゃ)


 なんでこんな間違いメールが来たのかはわからない。しかし、状況から見て、彼氏さんが彼女さんのメールアドレスを間違えたのは確実。このままだと、届かぬメールのせいで二人の仲は……なんてことすら考えられる。


(よし)


 さすがに、これを放置するのは寝覚めが悪い。意を決して、差出人たる夏野さんに僕は、返信をすることにした。


【はじめまして、夏野進夜さん。春野与太郎と申します。大変言いにくいのですが、私は夜桜さんではありません。おそらく、メールアドレスを間違って送られているかと思います】


 ここまで書いて、続きの文面をどうしようかと迷う。


【これは憶測ですが、夜桜さん……という名前から推測するに、偶然似たメールドレスになってしまったのかと思います。それと、たまたまですが、プライベートなメールを読んでしまうことになってしまってすいません。それでは】


 もうちょっと書き足そうか迷ったけど、相手は見知らぬ他人。踏み込みすぎるのも失礼というものだろう。


 その翌日、


【Re:Re:元気でやっていますか?】


 という件名のメールが届いていた。差出人は夏野さんのようだ。


【はじめまして、春野さん。夏野進夜です。まずは、すいませんでした。間違いメールを受け取ってしまって、困惑されたかと思います。】

 

 メールは、そんな風に始まっていた。通常の、礼儀をわきまえた丁寧なメール。昨日のフランクな文体と比較すると、やはり彼女さんとは相当親しいのだろうなと実感する。


【ただ、見間違いではないかと、夜桜からのメモを何度も確認したのですが、haruno_yo@qmail.com としか読めません。これは、どういうことなのでしょうか?夜桜がスペルミスをしたということでしょうか?正直、初対面の俺から言われても困ってしまうかもしれませんが、何か思い当たる原因があれば教えていただけると助かります。】


 夏野さんからのメールには、どことなく必死さが漂っていた。それもそうだろう。遠くに引っ越した彼女の連絡先がわからないのだ。動揺もするか。でも、ふと思ったことがある。


(電話をかけてみればいいのでは?)


 まさか、交際相手の電話番号を知らないということもないだろう。


【夏野さん。どうも、春野です。メールアドレスの件ですが、正直、思いつく可能性はいくつもあるので、わからないというのが正直なところです。ただ、ちょっと思ったことなのですが、夜桜さんに直接電話されてはどうでしょうか?】


 そんな文面のメールを送った。数分後には、


【春野さん、夏野です。素早いご返事ありがとうございます。彼女の電話番号に先程かけてみたのですが、どうもつながりません。実は、彼女が引っ越す前に、ガラケーからスマホに機種変したという事情があるのですが、たぶん、電話番号も変えたのをうっかりしてたというところだと思います。彼女は、ちょっとそういうドジなところがありますから】


 そんな返事が返って来た。必死さの程が伺える。電話番号まで変えた、となると、これは少し厄介だ。夜桜さんと夏野さんに共通の友達がいれば、正しいメールアドレスか変更後の電話番号を知っている可能性もあるけど……。と、そもそも、件のメモというのが気になった。


【夏野さん、春野です。電話番号については、夜桜さんと夏野さんに共通のご友人がいれば、そこから教えてもらうといったこともありえるかと思いますが、その前に、メールアドレスのメモが少し気になりました。そこから、何をミスしたのかわかる可能性もありますし、不躾ですが、メモの写真などをお見せいただく事は可能でしょうか?】


 メールアドレスで誤認しやすい典型的な文字というのがいくつかある。たとえば、o小文字のオー0ゼロ1イチI大文字のアイと言った具合だ。ひょっとしたら、その辺りではないかという憶測だ。これを応用して、パスワードの強度上げるという話もあるけど、それはさておき。


【春野さん、度々ありがとうございます。メモを撮ったものをお送りします】


 送られてきた、メールアドレスのメモ写真を開いてみる。すると……


(ああ、たぶん、oと0を間違えたやつだ)


 と瞬間的に気づいた。oにしてはやけに縦長だし、大文字のOにしても、少し不自然だ。形も0の方が近い。


【夏野さん、メモ見ました。おそらくですが、これは、haruno_y0@qmail.comだと思います。o小文字のオー0ゼロを見間違えたということではないかと。試しに、このアドレスに確認メールを送ってみてはいかがでしょうか?】


 もし、これで駄目だったら、友達の線から当たってもらうしかない。さらに数分後。


【春野さん、大変ありがとうございます!ちゃんとメール届きました!本当に、お手数をおかけしました。それと、見知らぬ俺のために協力してくれてありがとうございます!】


 そんな、喜びのメールが届いた。多少なりとも関わった僕としても、寝覚めが悪い出来事にならなくて良かった。そう胸をなでおろしつつ、返信の文面をしたためた。


【夏野さん、メールが届いたようで、良かったです。手間についてはお気になさらず。それよりも、遠くにいる彼女さんを大切にしてあげてください】


 こんなところか。ちょっとした善行が出来たと思うと気分がいい。


【春野さん、色々ありがとうございます。ただ……ちょっと誤解を招いたようなのですが、夜桜は彼女ではありません。ちょっとした昔馴染みという奴です。もちろん、仲がいいことはいいんですが、男女の関係ではありません】


 さらに数分後、届いたメッセージは予想外のものだった。あれだけ親しそうな文面に、こうやって必死になっているのに、彼氏彼女の関係ではなかったのか。


【ところで、春野さんはどこにお住まいでしょうか?できれば、直接お会いしてお礼がしたいのですが……】


 続く文面を見て、随分律儀だなと感心した。たかだかこれくらいの事に、会ってお礼とは大げさだ。一瞬、断ろうと思ったけど、少し相手に興味が湧いた。


【神奈川県内に住んでいますよ。お近くでしたら、食事でもご一緒しましょうか】


 だから、そんな返事をしたためた。


【実は、俺も神奈川県内なんです。では、今度、食事をご馳走させていただくということでどうでしょうか?】


 ということで、彼と会うことになった僕。それから、電話番号も交換して、さらに、何の気の迷いか、夜桜さんまで、自分の恩人として紹介されてしまった。


 さらに、2年後の春-


「しかし、縁というのも奇妙なものだね」


 三人での食事の席の中。ふと、思ったことをつぶやく。


「何がですか、与太郎さん」


 向かいの進夜君が不思議そうな目で見つめてくる。


「いや、元はといえば、進夜君が間違いメールを送ってきたことが発端だろ?それが、夜桜さんも交えて三人で食事していると思うとね……」


 連絡先を交換した僕は、彼らに先輩として、大学生活のあれこれを教えている内に何やら憧れられてしまったらしく、紆余曲折の末、二人揃って僕と同じ大学に入学してきたのだ。そんな彼らは新1年生で、僕4年生だ。


「ほんと、あの時は助かりました」


 改めて、頭を下げられる。僕としては、少しくすぐったい。


「ほんとよ、もう。せめて、あの時、すぐに確認メール送れば良かったのに」


 口を尖らせて文句を言う夜桜さん。肩まで伸ばした長い髪に、彼に言わせると愛想の無い顔。スレンダーな割に、出るところは出てる体型。うちの友達に聞いても、きっと10人中が10人美人だと言うだろう。


「いやいや、そこは夜桜も同罪だろ。0のつもりなら、斜線入れるとか、やりかたがあっただろ?」


 負けじと進夜君も抗弁する。


「はいはい。乳繰り合うのは、二人っきりの時にね?」


 微笑ましくて、ちょっとからかってみる。


「ち、乳繰り合うって、与太郎さん、下品ですよ……!」


 頬を赤らめて抗議してくる夜桜さん。彼女ではないと言っていた進夜君だけど、大学に入学を機に付き合い始めたと聞いている。


「そ、そうですよ。そ、そんな、エッチなこと……」


 二人とも、いったい何を想像したのやら。初体験もまだなんだろう。そんな彼らが微笑ましく思える。


「とにかく、二人とも、改めて入学おめでとう。今日は僕の奢りだから、好きなだけ食べていいからね?」

「本当にいいんでしょうか?」


 少し遠慮気味の進夜君。


「こういう時は、遠慮し過ぎる方が失礼よ。ですよね?」


 言いつつ、こちらに視線を送ってくる彼女。


「夜桜さんの言う通り。好きなだけ食べてくれた方が、奢った方としても嬉しいもんだよ」

「じゃあ……。麻婆豆腐と、棒々鶏、皮蛋、それと……」


 メニュー表を見ながら、食べたいものをどんどんあげていく彼女。小柄で細身の身体に似合わず健啖家だというのは、進夜君に紹介された後に知ったことだ。


「おいおい。さすがに、少しくらいは遠慮しろよ」

「いや、別にいいよいいよ。思いっきり食べて食べて」

「ほら、与太郎さんもこう言っているじゃないの!」

「でも、ものには限度ってものがだな……」


 賑やかな言い合いを始める彼ら。


(仲良きことは美しきかな)


 昔馴染で今は恋人でもある二人。

 彼らの仲の良い言い合いを眺めながら、僕はひっそりと心の中でつぶやいた。

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