第5話(終)

 太陽は段々と西に傾きつつあり、空も清々しい水色から黄色みを帯びたような色の綺麗なグラデーションを描いていた。浜辺から岩場の方へ歩いていると、何頭かの馬が草を食べていた。背中に掛けられている国章の入った布を見た瞬間、ニービスの歩く速度は上がった。岩場の先は真っ暗な空洞が広がり、冷たい空気が肌を刺した。

「オルヒデア、荷物からランプを取り出して、それ以外は馬の近くに置いてこい」

「分かりました」

 オルヒデアは指示通りに荷物を置いてニービスの後を付いて行く。洞窟は奥に進む度、誰かがいる気配がしていた。途中で広い空間に出ると、天井にはキラキラと輝くイーバンゲリウムの原石が水面と反射して、幻想的な空間を生み出していた。オルヒデアが見取れていると、石に躓いて後ろに転けた。その音を聞いて、奥の方から男性の怒声が聞こえてきた。

「誰だ!」

 水を蹴る音が複数聞こえてくる。ニービスは逃げることなく、彼らがこの空間に到着するのを待っていた。松明の火が現れると一瞬眩んだが、それが蘭舞であるとニービスは一目見て理解した。

「よっ。蘭舞」

「――ニービスか」

 一つ結びにした青い髪、透き通る程の白い肌、深海のような瞳を持つ男性。オルヒデアは言葉を失って見ていた。蘭舞はニービスの持つ包みを見て、なぜここに現れたのか事情は知れていた。

「箱庭か。手紙を寄越せば足を運んだのだが」

「お前がマトゥラック海とサングイ・フラトゥリス海を入れてこいっていうから、弟子を連れて来てやったんだろうが!」

「そんな約束だったかな」

「ああ、お前との約束は一度も破ったことない私が言うんだ。間違いない」

「そうか。……ここで立ち話も疲れる。一度出ようか」

 蘭舞は動員たちに指示して調査を続けさせ、二人を引き連れて洞窟を出る。外の風は海の湿気と熱を帯びた温い風で蒸し暑く、洞窟の中にいる方が幾分か楽だと思う程だった。海は段々満潮に近づいてきており、岩場の道はほとんど海水に浸かっていた。ようやく馬たちを待機させている場所まで出ると、座るのに丁度良い岩に腰を掛けた。

「ああ、そうだ。お前に届け物があるんだ。テラにいた商人がとても世話になったからと、お礼の品だそうだ」

 ニービスは小包みを蘭舞に渡すと、ありがとうと言って開けずに仕舞った。次に膝の上で箱庭の包みを解き、蘭舞にその出来を見せた。

「修繕以上の出来だな。さすが。お前に頼んで正解だった」

「直すの大変だったんだぞ? これ、わざと脈をいじった形跡もあったし、下手に戻すと、形そのものが壊れそうだったから、破損箇所をうまいこと繋ぎ合わせて土台を再形成したくらいだ。あとは弟子と一緒に海水と花を集めて回って、今ここにあるってわけだ」

「それはすまなかったな。でもこれで完成じゃない。こいつを入れてほしい」

 蘭舞が取り出したのは、イーバンゲリウムの原石の一部。お世辞にも売り物には出せない程鉱石が少なく、真ん中には窪みがあった。

「それ、不当採取じゃないよな? なんか問題視されてたぞ?」

「その件はヴェティの警備隊に伝えておいた。これは剥がれ落ちたものだ。その衝撃で外側の鉱石は欠片しか残っていないが、中の窪みを覗いてみろ」

 ニービスは蘭舞から原石を受け取り、窪みを覗く。内側には鉱石が詰まっており、そこには宇宙が広がっているような景色が伺えた。

「ほう。これは珍しい……。こんな原石を見るのは初めてだ」

「僕も見ていいですか?」

「ああ、ぜひ見てみるといい」

 オルヒデアはニービスから受け取り、同じように中を凝視する。開いた口が塞がらない程に驚いていた。原石ごと回すと、石の隙間から差し込む光が鉱石に反射し、空間認知が可笑しくなりそうな感覚に襲われる。

「そろそろ箱庭に入れようか」

 オルヒデアは蘭舞に原石を返すと、ニービスに渡して指示する。

「この海水の中に入れてほしい」

「あとで請求するからな?」

 言われるがままニービスは作業を始める。眼鏡を掛けて脈の流れを一時的に元に戻し、海水の中に原石を沈める。砂浜、海水、原石の脈をそれぞれ繋ぎ合わせ、また脈の流れを固める。そして包みに仕舞い、蘭舞に渡した。

「ありがとう」

「お前にはほんとこき使わされたからな」

 眼鏡を仕舞って大きく背中を伸ばす。何ヶ所か音を鳴らして、一気に息を吐き出す。呼吸が整ったところで、蘭舞に質問する。

「なあ、蘭舞。私の所で働く気は無いか?」

「唐突だな。でも俺はこっちの方が性に合っているんだ。各地の水脈を調査して、濁っていたら綺麗にする。そうやって地球っていう箱庭の世話をするのが楽しいんだ」

「地球が、箱庭?」

 オルヒデアは蘭舞の例え方がいまいち理解できなかった。

「ああ、ニービスから聞いているとは思うが、俺は純粋なエルフの血を引いていない。だから他からは邪険されるし、噂だってよく分からん尾鰭が多く付く。だから俺は定住せずに各地を探検して水脈を保守し、名を残さずに『悪しき血』をひっそり終わらせたいんだ。だからニービス。お前の元には行かない」

 ニービスはその言葉を聞いて、心底腸が煮え繰り返っていた。

「誰がお前を『悪しき血』だと言っているんだ! それこそお前の勝手な被害妄想だろうが! お前は本当にご立派な仕事をしていると思う。でも私の知っている蘭舞という男は、そんな『自分自身』から逃げるような奴じゃなかった!」

「ああ、確かに昔の俺は自尊心に満ち溢れていた。でもな、お前がお国仕事から逃げたように、俺にもそれなりの理由がある。我が儘だと思われてもいい。その裏にはどれほどの苦悩を抱えてきたか、お前に分かるか!」

「――!」

 暫く、居心地の悪い空気がそこに居座った。オルヒデアはそんな二人の様子を見て、始めは逃げたいとも思った。けれどここで自分が見届けなかったら、きっと殴り合いになりそうだとも思った。しかしニービスは首を一回転させて、肩の力を無理やり抜いた。

「……分かった。別れてからの時間はお互いに違う場所で生きてきたから、気持ちなんて分からなくて当然だ。だがこれだけは忘れるな。私がどんな思いでこの箱庭を直し、わざわざ海水や花を添えてここまで持ってきたか。――私はお前に会いたかった。できることなら支えたい。次会うことがあれば、私への土産として新しい箱庭を献上しろ」

 ニービスは怒りの涙を堪えながら、草原の方へと歩いて行く。

「師匠……」

「帰るぞ。オルヒデア」

 オルヒデアは荷物を背負い、ニービスの後を追いかける。その姿を見送る蘭舞は、黄昏時の中へ向かっていくニービスを見続けていた。

「やはり、お前には叶わない」

 ぽつりと呟いた言葉は波打ち際に叩かれて消える。そして動員たちを連れて、次の目的地へと馬を走らせた。

 オルヒデアはニービスの様子を伺い、今は声を掛けることを控えた。

「オルヒデア、帰りはレーニスの鳥を使って帰ろう。あいつのせいで一気に疲れた」

「はい」

 オルヒデアはただ、ニービスの言葉に従った。レーニス牧場へ向かうに連れて、ニービスは段々顔が熱くなっていた。

「あーっもー! 私は弟子の前でなんたる羞恥な言葉をあいつにぶつけたんだ。ほんともう、あいつがいると調子が狂う。――オルヒデア! 店に着いた次の日からは、私の発明を手伝え!」

「なんでそうなるんですか! とばっちりにも程がありますよ師匠!」

 宵の明星が各々の行く末を見守るかのように、明るく照らしていた。


約束は箱庭の中に仕舞い込んで

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エングリーブ 星山藍華 @starblue_story

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