三 遺石
ぼんやり考え事をしながら浴槽の湯を手でちゃぷちゃぷやっていると、師匠が帰ってきた物音がした。エテンは慌てて湯から上がって、馬鹿みたいな白い鳥のローブを着て居間に戻った。いつか白い衣を着るのがずっと憧れだったが、こんな形で叶えられて欲しくはなかったなと遠い目をして思う。
「おや、思ったよりぶかぶかだなあ」
「エテン、なにそれ……」
ファロットが目を丸くして、クスッと笑うと「可愛い」と言った。君の方が可愛い──なんて絶対言えないので、「師匠が、これしか貸してくれなかったから……」とそっぽを向いてぼそぼそ言う。
「会議って、何の会議だったんですか?」
尋ねると、師匠は「今後の対策」と言って、手にした紙束を振って見せた。
「それよりエテン、まだちょっと煙の匂いがするよ。ちゃんと石鹸で洗ったかい?」
「あ、いえ」
「もう一度入っておいで」
「ええ……? 夜にもう一度入りますから」
「……まあ、いいか。でも君がちゃんと毛布に包まるまでは、私は一言だって話さないからね」
何か教えてくれるつもりらしい。ぱあっと笑顔になったエテンが毛布を肩に掛けて暖炉の前のソファに座ると、苦笑しながら隣に座った師匠がエテンの頭に手を伸ばした。陽光色の光が小さな魔法陣を描く。魔術師としてはありふれた色だが、暗い影色をしたエテンの魔力と違って、キラキラした綺麗な色だ。呪文が唱えられると、金とも黄ともつかない淡い淡い色の魔法陣がふわっと赤く色を変えて、エテンの髪を綺麗に乾かした。
「ありがとうございます」
「いいや。……暖炉の火は怖くないね?」
「え? あ、はい」
「ならいい」
「……あの、魔力変換式ってどうなんでしょう?」
「ん?」
エテンが身を乗り出して唐突に意見を求めると、師匠は訝しそうに首を傾げた。
「魔力変換式が……どうしたの?」
「犯人がいろんな術を使う理由です。風持ちでしか有り得ないような強い気の催眠術を使ったり、水持ちにしか使えないような強力な水の浄化術を使ったり、今度は遺体が骨になるような強力な火まで」
魔力変換式とは、色持ちの魔力を作り出す──つまり人間が大なり小なり皆持ち合わせている陽光色の「光の魔力」を、鮮やかな色をした火や水の魔力に変換できる魔術のことだ。水と火、風と土のように相性の悪い魔力同士は流石に変換できないが、気から水へというような変化なら可能である。
これを使うことで、その属性の力を持たない人間でもある程度強力な術を使えるようになるのだ。今代の賢者様が作った術だとかで、魔法陣の色がまるでその属性の魔力を使ったかのように赤や青に変わるのが特徴だ。
「目のつけどころはいいと思うけど、やはり『目』達は総じて、あの火事を起こせるような大きな魔法陣は見ていないと言っていたよ。それに動きを封じる催眠術は、いまのところ魔術で再現不可能と言われている。複数犯だと考える方が無難じゃないかな」
「……でも、そんなやばい人が月の塔にそう何人もいます? しかも強力な術の使い手ばかり」
「まあ、確かにね。それもあまり現実的じゃない」
「じゃあ、僕の加速増幅陣を、僕より先に小型化して、魔力変換式を組み込んだ人がいるとか」
「君、自分の魔法陣が『目』の人にとってどれだけ目立つか、知らないで言ってるだろう? 激しく点滅しながらぐるぐる回って、どんどん光が強くなっていくんだよ。どれだけ小型化したとしても気づかれるんじゃないかな」
「ですよね」
自分の編み出した術が悪用された可能性が消えて、エテンはほっと息をついてソファの背もたれに寄りかかった。それを師匠が目を細めて見守り、そして手にした紙の束をひらりと目の前にかざして見せる。
「やはり、トナの遺石は見つからなかったそうだ。『目』達が一通り見て回った現場の記録があるんだけど……これを読むだけで大人しくしていられるなら、見せてあげる」
「いいんですか!」
エテンがガバッと立ち上がって手を伸ばすと、師匠は「大人しく」と言ってエテンに座るよう手で示した。今のは子供っぽかったなと思ってチラチラとファロットを見ながら座ると、彼女は呆れたようにエテンを見ていて、またやってしまったとがっくりする。今日はなんか、こういうのばっかりだ。どうにかして挽回しないと。
「……やっぱり、大したものは見つかってないんですね」
「そうだね。全て燃えてしまったようだ──おっと」
ソファに深く座り直した拍子に座面から転がり落ちそうになった小箱を師匠が受け止めて、机の上に置き直した。
「ありがとうございます」
「大切なものだろう、そんなところに置くんじゃない」
「はい」
「なあに、それ? エテンの宝物?」
ファロットが興味津々の顔で覗き込んできたので、エテンは「ああ、これは……」と言いながら銀の小箱の蓋を開けようとした。が、すでに師匠とエテンで埋まっている二人掛けのソファの隙間に無理やり入るようにして彼女が隣に座ってきたので、思わず頭が真っ白になって動きが止まる。
「エテン、早く」
「あ、うん」
右半身に意識のほとんどを持っていかれながら蓋を開くと、そこには真っ白くて透けるように薄い絹に包まれた、小さな小さな透明な石が三粒。
「……あ」
宝物の正体がわかったらしいファロットが、気まずそうにもぞもぞした。
「左から父、母、兄だ」
「うん、あのね……ごめんなさい、エテン」
「ううん。たまにはこうして光に当ててやらないと」
一つ取り上げて窓から差し込む朝日に透かすと、母の遺石はやわらかな乳白色に光った。
「……動物の魔石はみんな水晶みたいな透明なのに、どうして人間のは少し白っぽいんでしょう」
エテンが呟くように言うと、師匠が首を傾げた。
「人間だけが死を恐れ、拒み、閉ざされた未来に絶望するからだと神典には書かれているけれどね。科学的な解明はされていない」
「……そんなこと、書いてありましたっけ」
「あまり有名な箇所じゃないけれどね。エテンも、神典は一通り読んでおいた方がいいよ。一種の歴史書だから、魔術の歴史についても結構詳しく読み取れる」
「へえ、そうします。……でも、ちょっと詩的ですね」
「詩的?」
師匠の問いに少し微笑んで、エテンは手の中の家族だったものをじっと見つめた。
「ええ。つまり人間の心の動きが、この宝石の色になっているってことでしょう? 遺石は元々魔力が凝縮されたものだと言われていますが……この白が本当に恐怖、いえ、感情の色なら、魔法や魔術にも術者の心が通っているのかなって」
みな恐怖し、絶望して死んだんだろうな。それも当然のことだ──そう考えて少し切なくなった心を口には出さずに、エテンは敢えて明るく笑った。隣でちょっと泣きそうになっているファロットをなんとか元気づけたかったからだ。
「君こそ詩人のようだよ、エテン」
師匠が小箱の縁にそっと触れ、エテンを見つめると微笑んで「……美しいな、とても」と囁いた。
「ありがとうございます」
「それで、こちらの箱は?」
「えっ! あっ、それは」
エテンが部屋から持ち出してきた二つの小箱のうちのもう片方、水色の宝石が嵌め込まれた
「それより、朝食が冷めるんじゃないですか」
「保温皿に入ってるから大丈夫だ」
「なあに? 今度こそ宝物?」ファロットが瞳をきらりとさせる。
「え、いや、その」
「可愛い箱ね」
「ふむ……ファロット、男の子にだってひとつやふたつ秘密くらいあるものだ。そっとしておいてやりなさい」
エテンが焦っているの見た師匠が、妙に含みのある笑みになってファロットに言った。
「男の子の……秘密」と眉を寄せて復唱するファロット。
「見せます! 見せますから!」
なんだかとんでもないものを隠していると誤解されそうな気がしたので、エテンは喚くようにそう言って箱の留め金を外した。中から薄い紙に包まれた小さな羊皮紙のカードや銀のナイフ、携帯用の短いフクロウの羽ペン、紫水晶のブローチなんかが出てきたのを見て、ファロットがあっと声を上げる。
「これ、私がエテンにあげたやつだわ」
「……うん」
今までファロットにもらった誕生日や祝祭の贈り物を仕舞ってある箱だった。どんどん頬が熱くなるのをごまかそうと手で顔をあちこち触っていると、箱にあしらわれた淡い海色の石にそっくりな目をした少女が、嬉しそうにはにかんだ。
「……そんなに大事にしてたんだ」
「いや、その……もらったものだし、一応」
「エテン、私からのプレゼントは?」
師匠が拗ねたように、しかし顔は爆笑寸前といった様子で尋ねた。
「師匠のは本とか服とか、大きいのが多いじゃないですか。万年筆はちゃんと持ってきましたよ──あ、ローブのポケットに入れっぱなしだ」
「そうか、入れっぱなしかあ……」
「師匠!」
エテンは吹き出すように笑い出した師匠を睨みつけ、一緒になって笑っているファロットを見て顔を赤くした。彼女はまだエテンの隣にぴったりくっついて座っていて、触れ合っている肩の部分を彼女にバレないように、一瞬だけチラッと見る。ああ、どうしよう。朝食もこのまま隣で食べるのかな?
数日部屋に帰れないと言われた時は困ったような顔をして見せたエテンだったが、実は朝から晩までファロットとずっと一緒だと考えて、かなり舞い上がっていた。
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