二 スズラン



「とにかく……普通の炎じゃなかった。火の魔力で赤く輝く、魔法の炎だ」


 緑の瞳の鷲族が言った。彼はファロル──ファロットと呼び名が似ているが、彼の本名は「フェン・フィライ」でファロットは「ファリア・ルティア」なので全然違う。全く、鷲族の呼び名はどうしてこんなにみんな似通っているのだろう──「目」の一族の長である彼は、見張り中にこの火災をいち早く発見し警鐘を鳴らしたらしい。そういえば、ルセラの事件の第一発見者もこの人だったと聞いた気がする。


「それはみんなわかってるさ。あの火力を魔法なしで出そうと思ったら、ばかでかい機械式のふいごと、燃料が樽で必要だ。魔法陣は見えたか?」

 バロウと名乗った魔術師が腕を組んで尋ねた。彼は消火のために集められた水持ちではなく、火の魔力持ちだったが、多少火傷を負いにくい体質をしているため、人命救助の役に立つのではと考えて駆けつけたらしい。学者ばかりのこの塔には珍しい、筋肉のついた立派な体格をしている。


「いや、見えなかったよ。温室から下を見てたけど、なんの前触れもなく突然、巨大な炎が出現したんだ」

「段々燃え広がっていったんじゃないのか。じゃあ、魔術を使った場合は陣も相当でかいはずだ。『目』の『瞳孔』ともあろう者が見逃すはずねえな」

「そうだね」

「あんたが共犯者じゃなければ」


 バロウが睨むようにファロルを見たが、ファロルは少しの動揺も見せずに肩を竦めて「そう無闇に、信頼関係を崩すようなことを言わない方がいいよ。ルヴァルフェンサが二人目の犠牲者を出した以上、僕らは三人目を出さないために助け合わなきゃならないんだから」と言った。


「誰が犠牲者を出したって?」

「『ルヴァルフェンサ』。遺石の蒐集しゅうしゅう家って意味らしい。ルセラの事件については少し噂になったからね。一部の魔術師達がそう呼び始めてる」

「そりゃまた、洒落た呼び名だな……詩人にでもなった方がいいんじゃないか?」

 バロウが吐き捨てるように言った。彼女の惨たらしい死にいきどおっているのだ。普段は全く協調性のない魔法の使い手達だが、思ったよりも互いに仲間意識を抱いているらしい。


「……で、トナの遺石も奪われてるかどうか、これから探すってわけか」

「うん。でもそれは君達の仕事じゃない。それに関しては僕らに任せて、下の談話室に移動してくれるかな」

「そう馬鹿正直にお前らを信用していいと、どうして言える?」

 バロウが顔をしかめて言ったが、ファロルは「長老の決定だよ」と取り合わなかった。


「とにかく現場を荒らさないようにしてほしい。五層下の談話室をあたためてあるから、バロウはエテンを連れてってあげてくれるかな」

「あ?」

 バロウがきょとんとした顔になって振り返った。そして、床に座り込んでいるエテンを見て目を丸くする。


「おい坊主、顔が真っ青だぞ……煙を吸ったのか。おい、風持ちのやつ! 酸素を吸わせてやれ!」

 さっと誰かが駆け寄ってきて、口元に手がかざされた。すると少しひんやりした新鮮な空気が鼻と口を覆って、吐き気が幾分ましになる。


「意識はあるな。頭痛は? 吐きそうか?」

「気持ち悪いけど……大丈夫です」

「よし、なら軽症だな。抱えるぞ──お前は、こいつの吐き気がおさまるまでずっと酸素係な」

「わかった」

 女性の声がして、バロウに抱え上げられた。ぐったりして目を閉じていると昇降機に乗り込む音がして、廊下を進み、どこかの部屋のソファに横たえられる。


「おい、エテン。起きてるか?」

「……はい」

「今お前の師匠を呼んでるから、もう少しそうしてろ。俺は後始末を手伝ってくる。おい、坊主を頼んだぞ」

「ええ」


 エテンが目を開けると、長い栗色の髪を背中に流した女性魔術師が少し微笑んでエテンを見下ろした。トナと親しそうだと思っていたあの人だ。

「顔色はかなり良くなってきたわ。煙を吸っただけじゃなくて、緊張もあったんだと思う。もう少ししたら水を飲みなさい」

「ありがとう」

 エテンの視線に戸惑いを感じたのか、彼女は「ラーシアよ」と名乗ってにこりとした。


「お礼を言うのは私の方よ、エテン。私の部屋、彼女の部屋の隣なの。燃えなくて済んだのは……あなたのおかげ」

 語尾が涙声になった彼女を見上げると、ラーシアは「ごめんなさい」と言って顔を背けた。

「……いい子だったわ。明るくて、いつも楽しそうにしていて……私、あの子が大好きだった」


「ルセラの事件について昨日彼女に話を聞いて……電離気球を一つもらいました。今度、僕の論文について意見をもらう約束も」

 エテンがぽつりと言うと、ラーシアはわっと顔を覆って泣き出しそうになって、その寸前で持ち堪えると潤んだ青い瞳をエテンに向けた。きれいな人だな、と場違いに思う。


「……図書室に彼女の論文が、全部あるわ。今度場所を案内してあげる。トナはもういなくなってしまったけど、彼女の研究はきちんと残されているから……あなたは、そこから学ぶことができる」

「ええ、そうします」


 エテンが答えると、ラーシアは今度こそソファに突っ伏して泣き始めた。酸素の供給がなくなったが、気分はかなり良くなってきていたので、まあいいかと思って体を起こす。


 水差しからグラスに水を注いでいると、バタバタと音がして談話室に師匠達が駆け込んできた。

「エテン! 君はまた無茶をして!」

 ちょっと驚くくらい怒った顔をした師匠が、白ローブを翻して駆け寄ってくるとエテンの顔を覗き込んだ。


「頭痛は? 吐き気は? 目眩は? 火傷はしていないね?」

「大丈夫ですよ、師匠。ちょっと煙を吸っただけ」

「それが一番問題なんだ! 全く……全く君は」

 師匠は握った拳で軽くエテンの頭をゴツンとすると、立ち上がって部屋中の窓を開けて回った。涼しい風が吹き込んで、気温は下がったが気分がすっとする。


「一日安静にしていなさい。探偵業も今日はお休みだ」

「……はい」

「私が見張ってるから」


 ファロットがソファの隣に上がり込んできて、ぎゅっとしがみつくようにエテンの腕を握った。エテンは途端にその他のことをなんにも考えられなくなってしまったが、ファロットが師匠そっくりのすごく怒った顔でエテンを見つめたので、顔を赤くしながらそれを困って見つめ返した。


「どうして逃げなかったの。水持ちでもないのに火元へ飛び込んでいくなんて、ばかよ」

「……ごめん」

「こんな風にエテンが危ないことをするなら、探偵の助手なんてやめるわ」

「ごめん、もうしないから」


 すっかり弱って少女の言いなりになっている彼を、いつの間にか泣き止んでいたラーシアが少し面白そうに見ている。悪かったな、情けなくてとエテンは思ったが、それを口に出せるほど気が強くもなかった。





 トナの部屋の上下三層は例によって封鎖されるとのことで、彼女の部屋のひとつ下に住んでいるエテンは着替えを取りに帰ることもできないまま、数日師匠の部屋に居候することになった。とはいえ不便といえば研究資料が不足していることくらいで、ローブは師匠が貸してくれると言うし、その他生活に必要なものは鷲族が新品を届けてくれた。

 不満があるとすれば、ニコニコ顔の……名前が思い出せないが、青い目をした「目」の青年が届けてくれた下着が水色の小鳥柄で、靴下がポンポンのついた黄色い毛糸製だったことくらいだ。冗談もいい加減にしろと主張したが、彼が不思議そうに「あとはピンクの苺柄と、大きく後ろにヒヨコがついてるのがあるけど……交換する?」と尋ねてきたので諦めた。師匠曰く、鷲族の下着の趣味はみんな大体こんな感じで、毛糸の靴下は長老の趣味らしい。


「鷲族はみんな……もしかして、ファロットも」

「私は違うわよ! スズランとか……違う! そうじゃなくて!」

 真っ赤になったファロットが「もうやだ!」と叫ぶと、居間の奥の扉を蹴るように開けて自室に飛び込んでいった。スズラン……と一瞬考えそうになったが、師匠の冷たい目を見てピッと背筋を伸ばす。


「女の子の秘密を暴こうとするのは感心しないな、エテン」

「別にそんなつもりじゃ……すみません」

「君にそういうのはまだ早い」

 いや、来年には成人なんですが……と思ったが、口に出したら余計怒られそうだったのでやめておいた。


「罰として、今日の君のパジャマはこれだ」

「えっ」

「白になると、定期的に長老がくれる。鷲族御用達の商人から仕入れるらしい」

「えっ」


 非常に手触りの良い、真っ白でもこもこした前開きのローブだった。幅の広い両の袖が鳥の翼のような形になっていて、後ろには尾羽のような尻尾がついている。

「師匠も……これ、着たんですか?」

「……一度だけだよ」

「へえ……」

 すらっと背が高く、くすんだ金髪に青っぽい目をした、エテンから見ても結構かっこいい師匠がふわふわの鳥の寝巻きを着ているところを想像して、だいぶ混乱した。


「……じゃあ、私は長老達と打ち合わせしてくるから。君はお風呂に入って、安静にしておくこと。食事は後で私が持ってくるから」

「あ、はい」


 ごまかすような早口で師匠が言って、そそくさと部屋を出ていった。エテンは手の中の鳥ローブをもう一度見て、煙の臭いの染みついた袖をちょっとかいでから、隣の浴室に向かった。エテンの部屋がある「灰」の居住層では共同の大浴場しかないのだが、「白」の階層には各部屋に浴槽付きの風呂場があるのだ。籠の中に着替えを置いて、エテンは初めて入る浴室を覗き込み、小さく「あ」と口を開けて居間に戻る。


「……ファロット、さっきはごめん」

 コンコンと扉をノックしながら言うと、幼馴染の少女は「別に……もういいから、金輪際口にしないで」と不機嫌な声を返した。気まずいなあと思いながら、エテンは小さな声で頼み事を口にした。


「それで……あの、申し訳ないんだけど」

「……なあに」

「お風呂に、お湯、張ってくれないかな」

「そっか、魔導式だものね」


 怒った声がストンと普段通りの調子に戻り、すぐにファロットが部屋から出てきた。両手を肩のところに持ち上げて目を泳がせているエテンを見て、「もう怒ってないわ」と苦笑する。

「うん……ごめん」

「いいからもう黙って。忘れて」

「はい」


 しおらしく彼女の後に続いて、浴室に入る。ファロットが壁に取り付けられている魔導石に触れた。石に刻まれた魔法陣に魔力が通ってぼうっと輝くと、連動している浴槽の底から湯が湧き始める。最新式のお洒落なやつだ。火と水は魔力的に相性が悪いので本来は「湯を出す魔術」など存在しないのだが、これは水を出した後に火で温めるよう魔法陣が二層式になっているので、まるで最初から火で温められた水が出現しているような不思議な見た目になるのだ。


「毎日練習してるんだけど、発現しなくてさ……どうしてなんだろう?」


 こういう言い訳は格好悪いとわかっているのに、できない自分がどうしても恥ずかしくてエテンはもごもご言った。しかしそもそも魔術というのは、特定の紋様を描いて魔力を流すことで、魔力持ちだが魔法の才能がない者でも自在に魔法を扱えるようにしたものだ。つまり魔力の量としてはそこそこ持ち合わせているエテンが魔術を扱えないというのは、本来ならありえないことだった。いや、稀に魔力を体外に出しにくいという体質の者もいるが、エテンは特にそういったこともなく、魔法陣に魔力を注ぐところまでは皆と変わらずにできている。「どうして」という彼の疑問は当然のものでもあった。


「お父さんや長老達が調べても、誰にもわからなかったんでしょう? でもエテンはちゃんと、それをばねにして結果を出してるじゃない」

「そ、そうかな……」


 エテンが俯いてもじもじすると、ファロットはふっと微笑んで「ゆっくり肩まで浸かるのよ」と言い、浴室を出て行った。また情けないところを見せてしまったかもしれないと落ち込んでから、のろのろと服を脱いで浴槽に体を沈める。


「……いいなあ、専用のお風呂」

 共同の風呂では、どうにも落ち着くという感じにはならない。こんな風に毎日ゆっくり一人で入浴できたらすごく優雅だし、なにかもっと面白い考えだって思いつきそうなのに。


 エテンはもうひとしきり「白の部屋」の贅沢さを羨んでから、ふうとため息をついて目を閉じた。今は少し火事のことを思い出すのがキツかったので、それを頭の隅の方へ追いやると、自分の研究について思いを馳せる。


 エテンが「加速増幅回路」の研究をしているのは、彼が魔術を使えないからだった。普通、使いたい術が使えないという場合、術者達は事前に魔石に補充しておいた魔力を吸い出してエネルギーを追加するが、エテンにはそれすらもできない。


 エテンが作り出そうとしているのは、そんな彼でも発現させられる魔法陣だった。


 人が魔法陣を扱う時、そこで何が起きているのかは具体的には解明されていない。陣を描いて、そこに魔力を流して、呪文を唱えて──そのどの段階に「発現のカギ」があるのかは、よくわかっていないのだ。エテンは陣を正確に描ける。魔力を流せる。呪文を唱えられる。ならばなぜ、エテンの魔法陣はうんともすんとも言わないのか?


 何かその解明に繋がりはしないかと、そういう縋るような思いで、彼は「勝手に魔力が増幅する魔法陣」を作ったのだった。加速増幅陣は、魔力を緻密に回転させることで大きな力を生み出し、絶縁線によってそれを急速に食い止め、また強く回転させ……と繰り返すことで、段階的に力を高めてゆくことができる。


 それは結局エテンにとって無用の長物になってしまったが、しかし魔石による補充がなくとも大きな術を使える手段ができたと、長老を含めた塔の「白」達には絶賛された。


 革命的な発明だと師匠にもたくさん褒めてもらったが、エテンの気はそれほど晴れなかった。それがどんなにすごい術でも、エテンにはまるっきり使えないからだ。研究自体は面白いしそれが認められたのも嬉しいが、彼自身にとっては、役に立たない落書きでしかなかった。





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