―Ⅰ― カーソン村

第1話 半年後…

八月なのに汗ひとつ掻かない。


清々しいほどの盛夏を迎えた死狼の森を前にカイサは踵を返す。


あれから半年が経った今でも、やはり不死の温もりはかけがえのないものだったと思い知らされる。


幾千本の木立の群生。等間隔で連なるそれらは巨壁となって死狼の森に入る者達を拒んでいるようだ。


風にそよぐ葉の音が、それはまるで遠い記憶の潮騒のように、烏合の束となって耳の奥に心地良く響く。


そんな爽やかな木漏れ日の中――まるで魂を砕かれたような虚ろ目で、死狼の森の前を右往左往と徘徊するカイサの姿があった。


要するに、今のカイサの心は冷えに冷え切っていた。それもそのはずだった。


「ね、ねえ……カイサ、そろそろ帰らないと――」

「分かってる」


やや俯き加減の即答の後に唇を噛んでお茶を濁す。


「分かってる」ともう一度だけ口を動かすと、日の傾きから自分達がすでに二時間以上ここで過ごしていたことに気付く。


いくら粘って毎日ここに来ても、不死との出会いから半年――その間一度も会いに来てくれなかったあいつが今日、今この瞬間に、この場所に姿を現すとは思えなかった。


イチナの言う通りそろそろ帰らないとまずい。作業をサボっていたことがまたバレてしまう。


「あいつ……」


刹那の諦めの後、舌打ち交じりの独白。死狼の森に親を殺されたと言わんばかりに一本一本の木を睨みつけると、イチナの顔が恐怖に引きつっているのに気づき、また目を伏せる。


空回りし続ける自分の想いと非対称の現実をまざまざと見せつけられたようで、あまりの虚しさから胸が張り裂けそうになる。


自分から会いに行けば良い話だった。しかし不死は確かに自ら会いに行くと言っていた。


そう、あいつから言ったのだ。その上、半年も待たされた挙句に今になって私からのこのこと不死に会いに行ったとなれば、それこそどんな屈辱的なことを言われるか分かったものではなかった。


それならばまだ会わない方がましだ。


最初に不死に触れるときは、光覆をまとった本気の頭突きと決めた。


少し怒りが収まり「ごめん」と言う。この素直さも、半年前の自分には考えられないほどの成長ぶりだった。


あの頃の自分を知っている誰かがもし今の自分を見たならば、時間と人の成長の偉大さについて数秒ほど感慨に耽るだろう。


しかし――。


やはりと言うべきかカイサは死狼の森、そしてその奥にいる不死に〝大きな中指〟を立てると振り返ってはにかみ笑う。


「イチナ、行こう」





資材を運ぶ合い間に潰した数時間の遅れを取り戻すのはもう無理だと、思考の片隅にチラつく不死と格闘しながらも、今日はどれだけ成果を出せるかを計算して、やはり憂鬱な気分にしばしの間だけ浸る。


死狼の森を引き返すと山のように積まれた巨木の群を物色する二人。いつものようにイチナは上機嫌で大木に飛び乗る。


こいつは本当に手伝う気があるのか――とキッと睨むとしょげかえってしまうので今では見なかったことにするのが通例となった。


「……イチナ。それとこれ、縄紐結んで」

「りょーかい」


余裕綽々でカイサが引きずる巨木に跨ったままイチナが言う。


「お、今日は三本も。順調にゴリラ化が進んでるね」


棒切れのような腕をブンブンと振り回して力こぶを作るイチナ。憎めないというかなんというか。こういう所は嫌いではないのだが。


「女の子にゴリラはひどくない?」


そう言ったカイサの腕と足に自魂交の光が集中する。


「ところでその光覆っていうやつ、便利だよね。自魂交って言うんだっけ?」

「死狼の魂と人間の魂と魂胞ってやつがあれば出来るんだって。私もよくはわからないんだけど」


カイサの運ぶ大木を見やると、イチナはにへらっと笑って見せる。


「でも、こんなに沢山の資材を運べる生き物なんて大型死狼くらいしかいないよね。私も光覆欲しいなー」


カイサは褒められているのか、貶されているのか分からずに顔を顰める。


「まあ、私は死狼と人間の中間みたいなもんだけど。でも光覆ってのはその死狼の力を利用したものなんだって」





カーソン村。それは南の大国の辺境の地。


死狼の森を抜けてその先、南西の方角に小高い丘を超えるとミニチュアのように小さな家々が扇状に立ち並ぶ景観が広がる。


可愛らしい赤茶屋根の一軒家が三十件ほど。


村の裾には広々とした田園地帯が広がり、その周りに針葉樹林が針山のように突き出す、豊かな自然に囲まれた林業で生計を立てている村。


春には命の息吹が森を包み込み、夏には魔物のような猛暑が押し寄せ、秋には小川の透明感で、冬には命が土へと還る、季節の色彩が色鮮やかな自然に囲まれている――そんな村だった。


ニワトリや豚などの家畜もいて一応自給自足でも生活することは可能だが、それだけで村人全員の衣食住が成り立つはずもなく、カイサは死狼餌の力の一つでもある自魂交を発揮して村の力仕事の全般。


つまり家の補修や木の伐採と運搬、猛獣の退治までも請け負い、日々の労働の対価として住む場所と食料を分けて貰っているのだが――。


村の入り口付近。遠路はるばるやって来た商人、旅人を装った密猟者、隣街の途中に宿を借りに来た観光者。


大通りの雑多な人々に紛れて待ち構えていた村長の孫娘のリンとその取り巻きの女の子達がカイサに向かって野次を飛ばす。


「怪力のカイサだって。ほんとウケる」

「ねえ、怪力。あれやってよ、あれ」

「あの手刀で大木を真っ二つにするやつ?」

「私は鼻息だけで、草刈りするのがもう一回見たい」

「あっはははは、そんなのやってないじゃん。まあいいや、ねえ、怪力やってみて?」


村長の孫娘というだけでついたペラペラの〝極薄な泊〟。普段から威張り散らしている嫌な奴。そしてその甘い汁に群がる腰巾着。


吐き気がするほどの嫌らしい構図を目の当たりにしたイチナが、居ても立っても居られないと声を荒げカイサを庇う。


「ちょっと!流石にそれは言い過ぎじゃない⁉カイサは村のために色々尽くしてくれているのに――」


イチナの弁護を断ち切るように中央に仁王立ちする女の子――村長の孫娘のリンがずいっと一歩前に歩み出た。


「カイサだって!怪力のカイってこと⁉」


リンがうすら寒い笑みを顔に張り付けながら言った。カイサ達には笑いどころが全く分からないその〝いつも〟の鉄板ネタをリンが披露したところで取り巻きの女の子達も大笑いで後に続く。


ここは相変わらずの馴染みの光景である。


「てかさ。怪力って人間じゃないよね?」

「死狼餌って魂胞とかいうキモい臓器持ってるんでしょ?」

「えーやだー。キモいー」

「イチナ。そんなやつとつるむの止めなよ」


ここも馴染みの光景である。


リンが足元の小枝を拾うと、大仰な奇声を張り上げながらもやしのように細い腕を大きく振りかぶり、いつもカイサが大木を切り倒すときに放っている一撃を模倣するような手刀を小枝へと浴びせて見せた。


小枝はポキっとやる気のない音を立てて簡単に折れてしまう。


「怪力……どう?……私だって……これくらい出来るんだから」


リンは肩で息をしながら誰でも出来そうなその芸当になぜか威張って見せた。


「あはははっ、やばい。今の怪力に激似」

「ウケる。でも私は怪力の顔の方がもっと怖いと思う」

「リン、次は鼻息、鼻息で芝刈りやって!」


ここまでが〝いつもと同じ〟馴染みの光景である。


カイサはそんなリン達に相反して、挑戦的な笑みをたたえて言った。


「鼻息で芝刈り、そんなに見たい?」


胸に光覆を集めて鼻から突風を巻き起こすと、空を割るような甲高い声で女の子達は吹き飛ばされる。


「はい。芝刈り完了。行こうイチナ」


カイサは巨木を引きずりながら歩きつつも振り返り、リンを筆頭に捨て台詞を吐くいじめっ子達を見る。


やはり村八分という言葉があるように、自分のようなよそ者に冷たい人もいるのだ。

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