第19話 光の中で彷徨う

光だった――。


目の前を覆う光。永死に魂砕された者達が閉じ込められる魂の牢獄。

カイサは死んだ。


どのくらいの時間、自分がここにいたのかも分からない。あてもなくただ延々と光の中を彷徨う。


死とはこういうものなのだと思った。不死の言う通りだった。

死は本当にあっという間に訪れて、自分の無力さを知り、何の抵抗も出来ずに、死に飲み込まれる。


ちっぽけな癖に、全てを知ったように振る舞い、全てを手に入れたように踏ん反り返り、そして全て終わってから気づく。



本当に何も残らなかった。全てを失った――……。



意味があるのだろうか?意味はあったのだろうか?

カイサは光の中を彷徨った。

記憶の粒子が粉雪のように飛び交う。それに触れる度に記憶のイメージが浮かび上がる。



辛いことしかない。



記憶は全て死狼餌の時代のものだった。同じことの繰り返し。苦しいことの繰り返し。涙が頬を伝う。



生まれてきたことに意味は――……。



そこには様々な心の記憶があった。永死に魂砕された者達の記憶。


楽死の記憶に触れた。楽死の子供時代。三匹の子供の死狼達。狂死と悲死と楽死が野原で蝶を追いかける。楽しそうだ。


悲死の記憶に触れた。悲死は早くに両親を亡くしたようだ。熊に殺された両親の傍ら、まだ心を持っていないのか涙も流さず、しきりに泣き叫ぶように遠吠えをしている。狂死が熊を追い払う。


狂死の記憶に触れた。狂ったような雄叫びを上げ人間と戦っている。武装した密猟者の軍勢にものともしない狂戦士。


永死に魂砕された死狼達の記憶に触れた。永死に魂湖を奪われ挙句に殺される、その激怒とともに戦いながら死んだ。


知らない人間の記憶に触れた。家族がいた。ただ愛があった。


そこには全ての感情があった。永死の魂の中にある魂砕された者達の人格と記憶と感情。今はもうなくなってしまった命。しかし確かにそれらはこの世界で唯一無二の輝きとして存在した。


カイサはクシの記憶を探す。


「クシだー!クシが来たぞ!」


見つけた。カイサは手を止めてその記憶に入り込む。カイサはクシと呼ばれていた少女を見てゾッとした。その場で茫然と立ち尽くす。そんなはずない。

クシは病気だった。全身が獣の毛で覆われていた。


「あの子に近づいちゃダメって言ってるでしょ!」

「あの子、遺伝子の病気らしいわよ」

「もしかして、アムブラス症候群?」

「気味悪いったらありゃしない」


クシに向かって皆が石を投げ付ける。


「よるんじゃねえ。病気がうつるだろ」

「死狼女だ、食われるぞー」

「死んじまえ!」


クシの顔には何の感情もなかった。いや、顔が髪の毛のような毛に覆われて顔が見えなかった。ただ一人で何の声も発さずそこを通り過ぎる。



次の記憶は劇場だった。華々しい音楽と過剰なほどの演出の中、一人の少女がステージに立つ。


「今日ご覧に入れますのは人型の二足歩行の死狼。死狼餌の売女と死狼の間に産まれた悪魔の少女。その名も〝苦死(クシ)〟です!」


ドッと歓声が沸いた。いや悲鳴だった。笑い声も。それに紛れて罵詈雑言も。

それは見世物小屋だった。



「良かったな、クシ。死狼の力は生まれつきの難病も治すそうだ。死狼餌になればその見た目も良くなる」


クシの隣の団長と思しき人物が言う。しかしそこには腹黒い笑み。脇にはお札のはみ出したアタッシュケースがずっしりとその存在感を放ちながら腰を据える。


「ではここに署名を――」



最後の記憶。クシが鏡を覗き込んでいる。トイレの手洗い場。クシはもうカイサの知っている少女だった。


「逃げ出そうなんて思うなよ」

「次の町まで時間がない。早くしろ」

「後、十秒で入るぞ。さっさとしろ!」


それはカイサとクシが輸送中の馬車から逃げだそうとしたあの夜、その移動中の休憩時間の記憶だった。鏡の前でクシが自分の顔を真剣に覗き込んでいる。


「笑うってこう……かな……」


それは仮面のように無機質で不気味な引きつり笑いだった。口は震え目には涙まで浮かんでいる。およそ笑ったことなど、これまでで一度もないのだろう。両手で顔をパン生地のようにこねくり回す。


「カイサって女の子、凄く怖いけど根はいい人そう」

「何を独りでブツブツ言ってるんだ!早く出てこい!」


クシはおもむろに血の付いたナイフを長いスカートの裏から取り出した。

カイサが勘づいてクシの後ろを見ると便器にはぶちまけたように血の跡があった。

「もしかしたら、こんな私でも受け入れてくれるかもしれない」

やや夢見心地でぼんやりと、ナイフを見る。


「初めての、友達――――」




クシが光の向こうから歩いてきた。

カイサは顔に凍てついたような蒼白さを見せ、もはや呼吸すらも忘れてしまったように絶句している。あの夜のクシの姿のまま、目の前に可憐な少女が立ち止まる。クシが口を開いた。


「私、カイサは聞いてなかったから、もう一度言うけど、故郷ではいつも一人だった。一人も友達がいない。親もいない。みんなが私を嫌って化け物扱いした」


「違う………」


胸が軋む思いがする。後悔で心臓が杭で抉られるように痛い。自責の念で肺が潰れるほどに苦しい。自分はなぜあの時――。


「違う、そうじゃない。私はあなたのことが嫌いだった訳じゃない。ずっと冷たくしていたのにはわけが――」


分かってると、無垢で濁りのない声だった。一瞬で消えるカメラの閃光粉のように眩しくも儚い笑顔。


「だって、だってカイサは私に優しくしてくれた。こんな私のために笑ってくれた。あんなに優しい笑顔、本当に生まれて初めて見た」


そして真摯としおらしさの入り混じった眼差しを向け頬を染める。

「だから、カイサは生まれて初めて出来た友達」


涙が溢れた。頬を伝い、零れて、落ちて、いくら流しても涙は止まらない。

体を震わせ自分より小さなクシを抱きしめる。

胸に顔を押し付けこみ上げてくる想いを身も蓋もなく曝け出した。何回も何回も繰り返し謝る。


「ごめん――ごめんなさい。私も友達なんて一人も出来たことなかった。他人とろくに会話もしたことがない。それでも見栄張って、カッコつけて、自分を守って、そのくせ分からなかった。初めて出来た友達にどう接していいか分からなかった。ただ――ただただ怖かった」


クシがカイサの肩に手を置きゆっくり身を引く。

「永死を倒さないといけないんでしょ?私を殺さないといけないんでしょ?」


カイサは頷く。


「クシ、聞いて、私は、あなたと私は――……」


クシは首を振る。


「いいの、カイサ。もう行って。あなたは生きなくては」


突き放すように。それがお互いのためだと。もう会うことはないのだからと。

カイサは涙を拭いて言いたかった〝その言葉〟を飲み込み、体をしおらせてクシを背に歩き出す。


後ろで声がした、はっきりと、確かに聞こえた。振り向くともうそこにクシはいなかった。


「それと、カイサ分かってる。私とカイサは〝一番〟の親友よ」





永死は、その傷一つない肥えた体を持ち上げると悠然と歩き出した。永遠の命と絶対的な力を手にした今の彼には全てがゴミ同然。魂湖に目もくれず、また何一つ未練を残すことなくその楽園を手放す。


「人間に復讐。残すはそれだけ」


魂湖の結晶化を解いたのはせめてもの森の死狼達への償いだった。永死はもうここに帰ってくる必要はなかったし、またそのつもりもなかった。去り際に魂湖のほとりで息を引き取ったカイサという哀れな死狼餌を見た。


「お前に罪はない。許せ――」


永死は痛恨にも似た悲壮を滲ませカイサを背に歩き出す。その時だった。


体が金縛りにあったように固まった。指一本、肉根一本動かせない。息を喉から絞り出すも声がかすれるだけ。背中の肉根が意志に反して動き出す。


身の毛もよだつ恐怖に顔を歪ませるが、それでも目を端に動かすのがやっと。どうすることも出来ずに、身を震わせ不本意にもそこに居座る。


背中の肉根がピンと張った。周りの魂器に肉根が突き刺さったのだ。光覆のような光が魂器を覆う。その光はやがて集結して後ろの、恐らくカイサの横たわった場所へと収束していく。


それは魂器との魂交による肉体再生だった。さらに魂砕で永死の中に圧縮されたカイサの魂が肉体の中へと戻っていく。

間違いなかった。カイサが――そしてこの金縛りの最たる原因は、

そこでようやく声が出た。


「まさか……今、俺の中に眠るクシという死狼餌……」


カイサのトゲで貫かれた傷が、体が、音を立てて復元されていくのが聞こえた。


「何が……どうなっている……俺の力が……魂器の力が……あいつの体に流れ込んでいく」


永死はただ恐れ戦く。前足が勝手に地を蹴り、飼い主に甘えた猫のように腹を見せひっくり返った。そこで永死はカイサの姿を目の当たりにした。


カイサは死闘の末ほぼ裸だった。しかしそれはどうしようもないことだ。彼女もそれを恥じらう様子はない。


「なんだ!これは!?動けん……体が言うことを聞かん」


恐怖の絶叫を上げる。肉根が永死をグルグル巻きに拘束する。カイサが起き上がった。


「おい!待て‼取引だ!取引をしよう‼魂湖を全部やる!ここにある魂器も全て……」


そこで永死はカイサと既に取り引きしていたことを思い出した。



『戦って勝ったものが〝全て思い通り〟に出来る』



―――――もはや、これまでか。


そして、そこから先、永死は何も言えなかった。彼の口がひとりでに開いたからだ。まるで折りたたまれた蝶番が開き切るように、裏返ったように、口が大きく開かれる。




魂胞が露出した。




私は何のために生まれてきた?

私は何のために生きる?

何のため?

誰のため?




声がする。沢山の人の視線が突き刺さる。




『餌だ』

『可哀想に』

『こいつ人を殺したぞ』

『人殺しだ』

『私は誰かのために生きたい』

『あなたは生きなくては』

『〝生きたい〟からだ』




「私は〝意味〟を持って生まれてきた。それは餌でもない。人を殺すためでもない。ましてやどこかの誰かを助けるためでもない」



「私は、私のために、私の幸せのために、泣き、笑い、悩み、怒り、葛藤しながら戦い、私の人生を生きる。その〝全て〟が――私の生まれてきた意味」



クシのナイフを魂胞に突き立てた。



「 私の生きる意味だ 」

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