前兆 ――中江の足取りを調べる私――


 会議室には東さんと毬恵さん、副市長の岩根さん、病院長の草森くさもりさん、外科部長の田辺たなべさん、内科部長の園川そのかわさん、呼吸器内科の橋本はしもとさんに加えて、総看護師長の秋永珠子あきながたまこさんも来ていた。


 珠子さんは慎蔵先生の末の妹となり、医師免許も持つ変わり種の看護師である。そのテキパキとした行動力と医師顔負けの医学知識は、慶新大病院の外科内科の看護師全員を束ねる存在として、病院長の草森さんからも一目置かれている。


 我々が入室すると、慎二先生の上司と成る園川さんが言った。

「病院長、外科部長、それに東市長までこんな時間にご同席いただき、ありがとうございます。本日は秋永先生からパンデミックの危険があると連絡を受け、お集りいただきました。いつも冷静な秋永先生の言葉だけに、これは捨て置けないと思った次第です」


 園川さんは、四七才で慶新大医学部の教授にして内科部長と、相当の切れ者らしい。慎二先生に外科から内科への転属を勧めたのも園川さんと言うことだ。細面の顔に似合わず胆力もあり、病院長からの信頼も厚い。この集まりも慎二先生の話を聞いて、病院幹部を即座に召集するなど、迅速で強い行動力も併せ持つ。先ほどの召集の挨拶から、慎二先生に対する大きな信頼も窺える。


「ありがとうございます。事態が重大なのでまず状況をお伝えします。本日十五時ごろFCH建設チームの三上さんより、吐血患者が出た、症状的に普通の病気ではないのではと、相談の電話を受けました。三上さんは私の友人で、現在は私の実家で暮らしています。私は症状を詳しく聞いて、危険な感染症ではないかと疑い、感染症対策をした四名で現場に向かいました」


「なぜ、医者でもない三上さんが普通の病気でないと思ったんだ?」

 外科部長の田辺さんが不審な顔で訊いてきた。想定できる質問だ。

「実は三上さんは私の娘を交通事故から救うために、脳に大きなダメージを受けてしまい、記憶が失われています。しかし、記憶は断片的に蘇りつつあり、高度なIT能力と豊富な医療知識を持つことが分かっています。そこから推測すると、過去は相当腕のいい医療系機器のSEだったと推測されます」

 慎二先生は打ち合わせ通りに、私の推測される過去を話してくれている。


「その三上さんが本日亡くなられた中江さんの症状を見て、過去に自分が見た危険な感染症を思い出したのです」

 上手な導入だった。とりあえずここにいる人は慎二先生の言葉を疑っていない。もともと周囲の信頼の厚い人なのだろう。

「それで秋山先生はその感染症について目星はついてるのかな?」

 園川さんが話を引き戻してくれた。本来ならウィルスの遺伝子解析をして、キメラであることを証明するのが手っ取り早いが、この時代の遺伝子解析は相当な時間がかかり、この場には間に合わない。


「正確には分かりませんが、症状的にはエボラ出血熱じゃないかと思います」

 エボラと聞いて、周囲にどよめきが起こった。実際に発症しているコンゴでの致死率は八割から九割、あまりにも感染から死に至る時間が短くて、他地域に拡散しないと言われている感染症である。

「エボラはないだろう。その中江さんは最近アフリカへ渡航したんですか?」

 病院長の草森さんが皆を代表して質問した。動かざること山のごとしの雰囲気が漂う草森さんだが、エボラと聞いてさすがに否定の声をあげた。


「中江さんはFCHの管理プログラムの開発で、最近は藤沢市から動いていません。しかし昨夜、中江さんの旅行仲間である青田春海さんが、中江さん宅を訪れて泊まっています。三上さんの話では、青田さんは旅行から帰って来て、直接中江さん宅に訪れたということです」

「どこに旅行したか分かっているんですか?」

 園川さんが先ほどよりも低い声で質問した。

「それは今のところ分かりません」

「発言いいですか?」

 毬恵さんが手を上げた。


「昨夜、三上さんから連絡を受けて、青田さんの旅程を可能な限り追ってみました。彼女は先月の八日に日本を発って、まずトルコに入国しています。その後ブルガリア、ルーマニアを経由して最終的にウクライナ迄足を延ばして、昨日の朝帰国しています。それから中江さん宅に直接向かったと推定されます」

「なんだ、アフリカには行ってないじゃないか」

 外科部長の田辺さんがいかつい顔をくしゃくしゃにしながら、ホッとしたような表情を作って、明るい声で言った。


「ウクライナですか?」

 それまで沈黙していた橋本さんが初めて発言した。橋本さんは慎二先生の同期で、インフルエンザなどの感染症のスペシャリストだ。

「ウクライナでエボラの感染例が出ているのかい?」

 園川さんが少し顔を曇らせながら聞いた。橋本さんは園川さんを見て、軽く頷きながら話し始めた


「先月の国際学会でロシアの研究者から聞いた話です。ウクライナのチェルノブイリ立ち入り禁止区域は、現在野生の動物の楽園となっていて、特に狼は急激にその数を増やしていました。ところが今年に入って急速にその数を減らしていて、放射線や疫病など様々な原因が予測されています」

「チェルノブイリって、あの原発事故があったところですか」

 岩根さんが反応した。原発推進派の笹山代議士の秘書として、立場上原発建設のために様々な根回しを担っていたが、彼の本音は原発に対し懐疑的であった。


「そうです。二五年前に人類史上最大の事故を起こしたあのチェルノブイリです。彼からこの話を聞いたときは、即座に放射線による狼の遺伝子異常を思いつきました。ただ次の瞬間に彼の口から出た原因はもっと衝撃的でした」

 会議室にいる全員が固唾を飲んで、橋本の次の言葉を待った。

「原因はエボラとインフルエンザの二つの遺伝情報を持つ新種のウィルスが発生したことでした。彼らはそのウィルスをキメラウィルスと呼んでいました」


 この情報は私にとっても衝撃だった。キメラウィルスはこの世界では、百年も早く登場したことに成る。やはりこの世界は別次元の空間であることを思い知らされる。

「なぜ、ロシア政府はそのウィルスのことを世界に発表しないんだ。ウクライナはこのことを知っているのか?」

 田辺さんが息を荒くして言った。


 橋本さんは首を横に振りながら、肩をすくめて言った。

「さあ、共産圏の政府が発表しないのは、いつものことじゃないですか。私に教えてくれた研究者も、部外者で直接この件にはタッチしていません。ただ噂話程度に聞いた話を、研究者仲間の私に特別に教えてくれただけのようです。ただ詳細は分からない中で、遺伝子異常は放射線が影響しているのではないかとは言ってました」


 中江さんの死の原因がそのウィルスだとすれば、日本中を巻き込む感染被害が起きる。その可能性が全員の口を重くした。

 重苦しい雰囲気の中で、再び慎二先生が話し始めた。

「だいたい情報は出尽くしました。この辺でいったん情報を整理して次のアクションを決めましょう」


 慎二先生の提案に全員が同意した。

 キメラウィルスの正体を、私の素性を隠したままで、どう伝えるかだけが難問だったが、橋本さんのおかげで、どんなウィルスかは伝えることはできた。

 感染地の目安もついた。私としては役割を一つ果たした気分だ。


「富士沢市でウィルス感染によって、同時刻に二人の人間が無くなった。そのウィルスはエボラ出血熱の症状に非常に似ていて、発症からすぐに意識不明になり、その後六時間以内に死亡している。二人のうち一人はウクライナに渡航して帰ってきたばかりで、ウクライナには同様のウィルスが存在する可能性がある」

 慎二先生が事実を話すのに合わせて、私がパソコンにタイプし、正面のスクリーンに映し出した。


「気になるのは、他に感染者がいるかどうかだな」

 園川さんが穏やかな声で一番恐れていることを言った。

「それから感染した場合の治療方法と、治療に当たる人間に必要な備えも知りたいですね」

 珠子さんは看護師長らしく、現場での対応に思いが行くようだ。


「感染ルートは再確認する必要があるな」

 草森さんの重々しい発言に対し、橋本さんも続けた。

「もし青田さんがウクライナで感染したとすると、中江さんに比べて発症時期があまりにも長い。もちろん体質的な要因もあるだろうが、疑ってみるべきかもしれない」

「もし国内で同じ時期に二人が感染したとすると、ウクライナのキメラウィルスの可能性はなくなるな」

 田辺さんが嬉しそうに発言すると、園川さんがまた穏やかな声で発言する。

「もしキメラウィルスでないとしても、二人の人間が発症してその日のうちに死んでいる。危険なウィルスであることは間違いないですね」

「そうか……」

 一条の光がすぐに消えて、田辺さんが声を落とす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る