邂逅 ――偶然知り合った魅力的な男は政治家だった

 佐川さんは、下条先生と共に生き抜く決意をしてから、二ヵ月の闘病生活を経て、真夏の太陽が照り付ける日に静かに息を引き取った。まだ三三才と若いことが、癌の進行を速めたようだ。


 下条先生は覚悟していたらしく、通夜や告別式でも特に取り乱すこともなく、遺族の手伝いをてきぱきとこなし、気丈に振舞っていた。それでも遺体を出棺するときは、堪えていた涙が溢れ出ていた。


 私は佐川さんとの約束を守り、生前は毎日見舞いに赴いた。通夜の席では下条先生が心配で、ずっと目を離さず付き添った。

 主治医の慎二先生は急患で通夜の席にはつけず、告別式にはなんとか間に合って、私と一緒に佐川さんをお見送りした。


 佐川さんのご遺体を乗せた車が、火葬場に向かうのを見送ったところで、慎二先生と二人で帰ることにした。明日から病院通いも終わりますなどと、慎二先生と話しながら葬儀場を出たところで、私はこれまでにない異様な迫力のある男と遭遇した。

 その男は私たちに気付くと、ずんずん近寄って来た。何事かと思って身構えたが、目の前まで来たところで、何とも魅力のある笑みを浮かべた。


「慎二も佐川先生と知り合いなのか」

 周りによく通る大きな声だった。慎二先生は軽く頷く。

「佐川さんは俺の熱心な支持者だった。ほら、俺の重点方策は教育改革と小児医療の改善だろう。佐川さんは賛同してくれて、熱心に応援してくださってたんだ」

 どうやら二人は知り合いらしい。それもかなり親しいようだ。


「慎二先生のお知合いですか?」

「ああ、柊さん申し訳ない。こいつは俺の小学校からの悪友で、東丈晶あずまたけあきと言います。丈晶、この人は三上柊一さんって言って、なんと木乃美の命の恩人なんだ」

「木乃美の命の恩人か! それは私からもお礼を申し上げます。私はこの街の市長をしておりまして、ぜひ選挙の際は応援よろしくお願いします」


「私は実は記憶喪失で戸籍が分からないから、選挙権がないんです」

「それはお気の毒に」

 東さんは、何とも情けない顔で同情してくれた。

「柊さんは木乃美を助けたときのショックで記憶を失ってしまったんだ。申し訳ないんで、父さんの家で預かってもらっている」

「慎蔵先生の家か。それは食事が楽しみだな」

「良く知ってますね」

「満江さんの料理はずいぶんいただいたからな。いつも美味しくて、こいつが羨ましかったよ」

 東さんはガハハと笑った。


「じゃあ、俺たちは帰るから」

「ああ、またな、今度一緒に飲むか、ハハハ」

 東さんは笑いながら戻って行った。

「良く笑う人ですね」

 あまりに印象深かったので、帰り道でつい声に出た。


「ああ、小さいときからあいつは良く笑った。柊さんのように大人の風はないが、あれはあれで人を和ませるようだ」

「私と比べるのもどうかと思いますが、魅力的な人です」

「あいつも明るく振舞っているが、結構大変みたいだ。市議会は老人が多いからな。青年市長は目障りなんだろう」


 病院に戻っても東さんに会った興奮は冷めなかった。

 私はこの時代の政治が全て人の手によって行われていることに驚いた。そして、機能や権限を単位として、様々な組織が分かれて存在することを知って、更に驚いた。

 まず統治機能が立法、行政、司法と三つに分かれる。そして、国、県、市という単位でそれぞれ独立した組織を持っている。その上行政の執行者は、政治家と役人という二つの集団に分かれるのだ。

 これだけ細かく分類された組織に、各々違う人間が属し、権限と責任を持って機能を遂行していく。これらの組織が統一した意志の下で、機能を遂行することに魔法的な力の存在を感じる。

 今日とうとう魔法使いの一人に出会った。極短時間ではあったが、他の人間にはない力のようなものを感じて、私は興奮した。

 この興奮は仕事が終わって夕食になっても続いた。


「慎蔵先生は慎二先生の友達で市長の東さんって知ってますか?」

「もちろんだよ。しょっちゅうここに飯食いに来てたからな。あいつはいい男だ。会ったのか?」

「今日、佐川さんのお葬式で」

「そうか元気だったか?」

「とても元気でした」

「それは良かった。丈晶も苦労したからな……」

 慎蔵先生は意味深な言葉を残して、それ以上語らなかったので、もどかしさを感じながら私も黙った。


「下条先生は気落ちされてなかった?」

 満江さんが雰囲気を察して話題を変えた。

「ええ、覚悟していたのか、思ったよりもずっと元気でした」

「けじめが大事なんだよ。彼女も全力で佐竹さんと寄り添い合ったから、残酷な結果が出ても受け止めることができたんだ」

 本当にそうだと思った。あの時、慶新大病院で全てを伝えて良かったと思った。

「辛いことにもちゃんと向き合う姿勢は大事ですね」

 私が何気なく漏らした感想に慎蔵先生は深く頷いた。


 翌日、慎蔵先生が東京の学会に参加するので、秋永医院は休みとなった。私は昨日の慎蔵先生の言葉が気になり、詳細を訊くために慎二先生に時間をとってもらった。

 心が逸る中、約束の時間よりも少し早く慶新大病院に着くと、ちょうど出勤してきた斎藤さんに出会った。

「こんにちは! 斎藤さん。これから仕事ですか」

「ええ、今日は日勤なんだけど、昨日佐川さんの告別式に出たから、昼からにしてもらったの」

「いたんですか?」

 まったく気づかなかった。

「ええ、三上さんはずっと下条先生を心配して見ていたから、妬けちゃって声を掛けそびれたわ」

「えっ?」

 斎藤さんは自分で言って顔を赤くしていた。


 三百年近く生きていて、自分にも周囲の人間にも、恋愛など存在しない世界で育ってきた人間には、自分への好意などピンと来ない。

「ハハ、冗談ですよ。まったく三上さんは純粋だから、真っ直ぐに人の言葉を受け取るから、ああおかしい」

――なんだ、冗談か

 顔を赤らめていたが、斎藤さんも根がまじめであまりこういう冗談を言わないから、恥ずかしかったのかもしれない。


 医局に着くと、顔見知りと言うこともあり、すんなりと通された。

「おっ来たか、待ってたよ」

 慎二先生は時間より少し早く現れた私を歓迎してくれた。

「今日は時間を取っていただいてありがとうございます」

 慎二先生の忙しさは半端ではない。慎二先生だけが特別なわけではなく、慎蔵先生の忙しさも併せて考えると、医者は人気職業で医学部は難関だと聞くが、職場環境は決して勧められるもんじゃないと思う。

 人生ほぼ丸ごとプライベートな時間だった自分には、二人の働くモチベーションがよく分からない。

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