第10話 黒翼の巨人

《お姉ちゃんなら止められる! だってお姉ちゃんはあの巨人だから! お姉ちゃんなら止められる! だってお姉ちゃんはあの巨人だから! お姉ちゃんなら――》


 高校生だったカラスがぶつかる瞬間、美理は翼を広げ凧のように上空へと舞い上がった。

 その下でタイヤが大きく鳴る音が響き、次いで金属がぶつかる轟音が空気を震わせた。


 美理が高速道路を見下ろすとバスは道路を塞ぐ形で止まっており、フロントの左部分は道路沿いのコンクリート壁に突き刺さっていた。


《悠! 悠!》


 美理が頭の中から呼びかけるが返事はない。

 彼女は翼を広げるとバスじへ滑空した。

 

 衝突したバスは左フロントピラーが内側へくの字に湾曲しており、ヒビとカラス達の血や黒い毛にまみれたフロントガラスは運転席の乗降口階段にだらりと垂れていた。


 美理がガラスが外れた窓枠に飛び乗りると室内を見渡して妹の姿を捜した。

 呻き声や泣き声がする中。妹は衝突の衝撃で二つ後ろの座席に飛ばされていた。

 

《なんでこのバスに乗ってるの!? なんで、なんでこんなことをしたの!》

 

 その声に天井を向いていた妹の目が動き、美理に向いた。


《琴音叔母さんを守りたかった。お姉ちゃんみたいになりたかった》

《悠! しっかりして! あなたが死んだらあたしは! あたしは!》


 復讐カラスとなった姉の顔を悠が見つめる。


《だから私、カラスにはならない》


 そう言った悠が瞼を閉じると動かなくなった。


 美理が甲高い声で鳴き出した。

 それにバスの乗客たちが怯えた悲鳴を上げる。

 バスから飛び出した美理がまばらに雪の舞う空を目指して上昇してゆく。

 そして狂ったように鳴き続けた。

 それは魂の底から発する悲痛に満ちた叫び声であった。


     ◆


 バス事故から一年が過ぎた。

 私は今、アーチ状の屋根がある商店街を歩いている。

 

 今日はクリスマスということで、天井に設置されたスピーカーから流れる音楽はクリスマス一色だった。

 

 目当ての店に入ると注文していたクリスマスケーキを受け取り、再び商店街の雑踏へ足を踏み入れた。


 暫く歩いて足を止めた。

 そこは去年、姉と共に入り込んだ狭く薄暗い通路があり、つかの間過去の思い出に引き込まれた。


 あのバス事故による運転手や乗客の怪我は私に琴音さん、尚美を含め、全員軽症で済み、医師の判断では二、三日の入院で問題ないということであった。


 そして私は琴音さんに尚美と同じ病院に再び入院することになった。

 忌々しい尚美、だがその変化には戸惑いを隠せなかった。

 

 一人息子の死に追い打ちをかけるバス事故のショックでいっきに老け込んだような顔だった。


 それを前に、燻っていた黒い怒りが急激に薄まった。

 遼の死への悼みの言葉をかけると、尚美は疲れきった声で何度も「ありがとう」と繰り返した後、嗚咽した。


 その後、私は尚美の病室に顔を出すようになった。

 琴音さんにそのことを言うと「あんた偉いね」と目を丸くされたが、姉がいつ尚美を襲ってくるか不安だったからだ。


 琴音さんは度々仕事仲間(女性が女性を接待するスナックということをそこで初めて知った)と私の部屋へ顔を出すと、同室の患者さんも巻き込んで賑やかに騒いだので、すっかり看護士たちから目をつけられてしまった。


 でも私はそれが嬉しかったし、琴音さんの仕事仲間たちも大好きになった。


 冗談で行われたスナック「マルセイユ」への面接試験に琴音さん達と腹を抱えて笑ったが、やはり姉のことが頭から離れることはなかった。


 程なく琴音さんと尚美さんは予定通り退院した。

 でも私だけは治りかけの両足に大きな衝撃を受けていた為、更に数日長く入院した。


 そして次の日に退院というところで、再び姉の姿を見ることになった。

 テレビの臨時ニュースの画面、空に墨汁をまき散らかしたようなカラスの大群が映る。

 遠くから撮影するカメラが移動する黒い塊を追う。

「数千どころではありません、数万数十万のカラスの群れです」という男性レポーターの声。

 青空を侵食するように進んでいく黒い大群の下に森や煙突のある工場が映り出した。

 黒い大群があまりにも巨大過ぎて、それらがミニチュアみたいに見える。

 

 カメラが切り替わった。

 それはどこかの窓ガラスからの映像で、煙突を背景に数え切れない程のカラスが互いに正面から激突したり、掴み合ったまま地面に落下していく場面が流れる。

 それに合わせて現場のリポーターであろう、英語の音声が字幕と共に流れた。


『この大規模なカラス同士の争いは、ここロサンゼルスだけではありません。全米中、世界中で起こっているのです。それを我々はなす術もなく、ただ見ているだけです。人を襲うカラスの間でいったい何があったのでしょうか? それは神のみぞ知ることなのかもしれません』


 そこでカメラがスタジオに戻った。

 

「日本でもカラス同士の争いが各地で起こっています」


 女性キャスターがそう言うと、全国のテレビ局がとらえたカラスたちの争っている映像が次々と流れた。

 自分の住む地方テレビ局が撮影した映像に身を乗り出す。


 黒い翼の奔流のなか、ほんの数秒だが焦げ茶色の頭部をしたカラスが他の数羽と正面から勢いよく衝突し、錐もみ状に激しく弾き飛ばされる映像が映った。


お姉ちゃんだ! お姉ちゃんはルピタさんを知っていた。

だからあの計画に――――


「凄惨な争いです。勢力をめぐってでしょうか? それともカラス達の間で何か変化があったのでしょうか?」


 女性キャスターの声を耳に悠は両手で顔を覆って泣いた。

 

 お姉ちゃんは復讐に勝って巨人になったんだ。

 そして――そして――今度こそ本当に死んじゃったんだ。


       ◆


 自分を呼びかける声で、クリスマスで賑わう商店街へと意識が戻った。


 声の方へ顔を向けると、通りの中央に自分と同年代の女性が四角い箱を両手に立っていた。


「どうかお願いします」


 箱には途上国へのボランティア団体の名前がある。

 財布を取り出すと参考書資金や今月使う費用を差し引いたお金を募金箱に入れた。

 

 一年前とは違い、今の自分にとってお金は必要なものだった。

 

 「ありがとうございます」と言う声に軽く手を上げると、白い息を吐きながらバス停へと向かった。


 以前住んでいたマンションは半年以上前に引き払った。

 カラスに襲われて死んだスナックの常連の物件で、その常連が死んだ以上愛人である琴音さんが出て行くのは当然の成り行きだった。


 引っ越したアパートはマンションに比べるとくたびれたものだった。

 それに琴音さんが何度も謝ってきたが、私にとっては琴音さんと共に住めるというだけで満足だった。

 

 後で気づいたが、琴音さんは自分を大学に入れる資金の積立てを睨んでこのくたびれたアパートを選んだのだ。


 私は学校やアパートで勉強を続ける傍ら、バイトで得た収入で琴音に食事をご馳走したりした。

 これが私の未来へ向けた生き方だった。

 そして過去、つまり姉へ向けた生き方はこうだ。


 世界中のカラスと対話できる者達が立ち上げたインターネット上にあるサイトの会員になり、カラスたちの思いを世に伝える活動に参加した。


 ときには自分と姉のこと、ルピタのこと、そして浄化計画の話を一般の人々が訪れた集会で語ったりした。


 今もカラスは人を襲撃し、それに対するカラスの浄化計画も続行中のようだった。


 バス停に並んでたらスマホが鳴った。

 コートのポケットから取り出すと、琴音さんからだった。


 二人で行うクリスマスパーティー用に調理していた照焼きチキンが焼き焦げチキンになってしまったので出来合いのチキンを買ってきて欲しい、という内容だった。


 白い溜息を吐き、スマホをしまうと再び商店街へ歩き出した。

 そんな私の上を、澄んだ声をあげながらカラスの群れが飛んで行った。


 <終>


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黒翼の巨人 こーらるしー @puru

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