シュークリーム

真花

シュークリーム

 無限の彼方まで続いていると信じていた青空にひびが、地鳴りのような音と共に入って、目を見張る間に巨大な裂け目になる。空の縁を押し広げるようにそこから顔を出したのは船? 見たことのない大きさ、形、材質、それはここに居る全ての視線をきっと集めながら、進入する。

「助けだ!」

 同じ畑でくわを振り上げたまま固まっていた野本のもとが上げた声で、事態を理解する。遠くの方でも野本と同じように「助けが来た!」と言う声が聞こえる。俺は立ち尽くしたまま、どうするべきかを考えて来なかった訳じゃない、それでもいざ眼前に巨船が現れると、迷いが俺を覆う。野本が駆け寄って来た。

筑紫つくし、来たぞ、ついに来たぞ。俺達の代で来た。何をしてる、さっさと準備をするんだ」

 言うだけ言って、野本は鍬を放って、彼の家に向かって駆けて行く。

 取り残された俺は、まだどうすればいいのか分からない。


 

 息子が五歳になった日に、村長に呼ばれて彼の家を訪ねた。

「筑紫。子供が五歳になったときに、この村では一人前として扱う決まりになっている」

 聞いたこともない決まりだった。村長は人払いをしていて、彼の家の中には俺と彼だけしか居ない。何か大切な用事があって呼ばれたと言うことは薄々感じていた、まさかこれだけと言うことはないだろう、俺は村長の目を真っ直ぐに見詰めながら言葉の続きを待った。その決まりの理由を尋ねたかったけど、質問は全部聞いた後ですべきだ、口許を引き締める。

「子供が出来て、育って初めて、人間は自分より大切なものがあることを知る。その大切な者のためにでなければ、秘密を命を賭けては守れない」

 俺は息子が居なくても秘密は守れる。見縊られたものだ。俺はとっくに一人前だし、大事な約束を破るような人間じゃない。俺のことをじっと見ている村長の視線が俺の中に黒いカスを一枚ずつ積み上げ始めた。話が終わるまでにどこまで高くなるだろう。

「一人前のお前に、秘密を伝える。絶対にその時が来るまで、一度たりとも口外してはいけない。同じ一人前同士であってもだ。もし、秘密が漏れたら、この村の全員が、死ぬ」

 死ぬ、全員が死ぬなんてことがある訳ない。批判のこころが顔に出たのだろう、村長がニヤリと笑う。全て予測通り、お見通しだぞ、と書いてある。

「だから秘密なのだ。つまり、お前の息子が人質だ。何一つ嘘はない。この村の掟は分かるな?」

「決められた範囲より外に出てはいけない。と言っても、その範囲は俺達が生きている範囲よりずっとずっと遠いところまで広がっています。だから、旅に出るのでなければその範囲を越えることはあり得ません。よって、旅も禁止されています」

「それに違和感を感じたことはなかったか?」

「子供の頃には向こう側に何があるかを空想しましたが、青年以降は、特に興味は持たなかったです」

「その範囲の端には、壁がある」

「壁?」

「ここは大きなドームの中なんだ」

「ドーム」

 つまり、ドームの中であることを隠すために範囲の端まで行ってはいけないと言うことになっていた、そう言うことだ。掟破りは死刑だから、誰もやらないけど、その罪の重さが村長の話の信憑性を高める。腹の中に乗っていた黒いカスの上に、血の色をした花びらがふわりと乗る。俺達はこの村で完結している。それでも何千人はいる、もっとかも知れない。学校も農耕も交易も結婚も、全部村の中でやっている。それは外に出る必要がないからではなくて、外に出られないから。積極的に集まっていた集団だと思っていたのに、囲い込まれた集まりだった。俺は村の外の世界に興味がなくなるように、躾けられて来ただけなのかも知れない。家族を持ってこころの中心がそこになったのは、仕組まれたものなのか。ドーム。外がある。それは一体どんなところなのだろう。

「外にも世界がある。どうなっているかは儂も分からない。それでだ、筑紫」

「はい」

「掟を守らせるだけならこの話を一人前にする必要はない。ここからが本題だ。……儂等は、幽閉されている。これは罰なんだ。永遠にこのドームの中に、それなのに生きてゆくことは出来る条件が整っている中に、幽閉されているんだ」

「それは、俺達が罪人と言うことですか?」

「儂等が罪を犯した訳じゃない、儂等はその子孫だ。だが、話は単純じゃない。政治犯なんだ。つまり一部の権力者にとっての犯罪者集団だった。絶対悪ではない、立場が違えば、全く罪ではない。殺しもせず、半永久的にドームに閉じ込めると言う罰の与え方こそが見せしめなんだ」

「だとしたら、監視がある筈です」

「その通り。監視はされている。村の中で唯一監視から外れているのがこの部屋だ」

 全部見られている。成長もセックスも喧嘩も死も、まさか、外の誰かはそれを見て、娯楽にしている? 腹の中に溜まっていたものが、ぼ、と燃える。

「俺達はおもちゃですか!?」

「監視が業務なのか、道楽なのかは分からない」

「どうすれば」

「仲間が助けに来る。それを儂等はずっと待っている。必ず来る。だから、来たときには、家族を連れて速やかに仲間と脱出するんだ。いいか、家族単位での行動より大きくは取るな。もし置いて行かれたら慰みものになるか、殺されるかしかない」

「助けが、来る」

「そうだ。いつ仲間が来てもいいように、構えをしておけ」

 だから子供が出来たらなのだ。俺は自分の息子を殺すようなことは絶対にしたくない。漏れれば全滅する、それはつまり監視側は俺達が助けを待っていることを知らないと言うこと。これは監視者に対しての反抗でもある。俺達は何も知らないフリをして生活をしながら、監視者の存在を知って、それを裏切るような計画の一翼を担っている。もし救助が成功したら、監視者も無事では済まないだろう。静かに普通に生活する、秘密を持って、そう言う戦いの形。


 いつも誰かに見られていると言う意識は当初は煩わしかったが次第に知らない誰かであり自分達に干渉することはないと考え至ったら、無視することが出来た。俺は変わらずに生活をする。妻と喧嘩をしたりセックスをしたり、息子と遊んだり農作業をしたり、友人と酒を飲んだり。秘密は妻にすら言えない。恐らく、妻も村長から話をされているけど、それは分かっているけど、漏れるリスクが恐ろしい。

 助けを待つ、と言う気持ちで日々を送ると消耗する。だからすぐにやめた。見た目上は元に戻って、でも秘密のことについては考える。今、村は大きなトラブルもなく、上手く回っていると思う。物質的にも豊かだし、病気で死ぬことはあっても、殺しとかは一切ない。それぞれが役割を持って、やりがいをそれなりに感じながら生きている。このままで、何がいけないのだろう。

 一度もたげた疑問は執着の強いガムのようにこびりついて、何度も反芻される。俺は今の生活に満足している。外の世界に何があるのかは分からないし、外の人が俺達を助けなくてはと考えるのも、それはそれでエゴのような気がする。先祖は約束したかも知れないけど、俺達は何の打ち合わせもしていない。外に、俺達の今の生活以上のものがあるのかだって不明だ。外の生活の方が絶対にいい、と言うことこそ押し付けだ。たとえここよりも物質的に豊かだったとしても、その中で生きることこそが最上と言うのは思い上がりなんじゃないだろうか。いや、誰もそんなことは言っていない。ただ、ここから引き摺り出された結果、今より幸福になる保証はないし、俺が外に出ることを望んだことなど一度もない。監視だって本当にあるのか分からないし、何もして来ないならあったって構いはしない。俺は生まれ育った故郷で、愛する人と愛する子供と生きる、それで満足なんだ。

「そうか。俺は今の生活に満足しているんだ」

 来るかも分からない助けのことは本格的に無視しよう。考えが纏まったとき、俺は自宅のテーブルで本を構えていた。本の内容は頭に入っては来なかったけど、思考の触媒としては優秀だった。息子が続きの居間で遊んでいて、妻がお菓子を作っている。

「出来た」

 跳ねた声が聞こえて振り返ると、妻は職人の笑み。

「何を作ってるんだい?」

「シュークリームよ」

「お、いいね、一つ頂戴」

 シュークリームを頬張って息子を眺めて、やっぱりこの生活を壊したくはない。



 長老の家に行って八年が経って、俺は農作業をしていた。空が割れた。野本は長老の言葉通りに迅速に動いた。でも、俺は立ち尽くす。あの救助船こそが、俺達の生活を壊した、敵なんじゃないのか。俺は家族と静かに生活をしていたかった。でも、あんなのが突っ込んで来たら、もうここで生きてゆくことは出来ない。ここはもう廃墟になるしかない。だから、もう、俺の生活は、消えたんだ。

「何でだよ!」

 空のような壁に向かって怒鳴る。

「お前さえ来なければ、俺達は平和に暮らしていたのに」

 でももう来てしまったのだ。ドームは破壊されつつある。未練に竦むより、息子と妻を守ることを考えなくてはならない。俺に選択肢なんて最初からなかったのだ。人質は妻子だから、俺は自分の考えよりも二人のことを優先させる、村長の仕込んだ通りだ。

 俺は自宅に走る。家には妻が息子と待っていた。

「行こう。助けが来た」

「はい」

「パパ、助けって何?」

「着いたら話すよ」

 船は何本ものタラップを地面に下ろして、そこにはゴツゴツした格好の人が何人か立っていた。遠目に見て、そのタラップを村の人が何人も登っているので、敵船ではないと考えられる。

 息を切らしながら、タラップの下に着く。

「日本軍です、助けに来ました」

 むくつけき男ははっきりとそう言った。俺達は登る。船の中は広くて、窓の横に腰掛けた。いずれ、大音量の呼び掛けがあり、それが終わって十五分くらいで、船は後ろ向きに発進した。艦内放送によると、乗せた人数と村の人口が一致しているので全員が搭乗したと判断したとのこと。ドームの中の村は、本当に廃墟になるのだ。俺達はこれからどこへ連れて行かれるのだろう。どんな生活をするのだろう。生きていけるのだろうか。家族と離れずに済むのだろうか。俺達を助けた日本軍ってのは何なのだろうか。不安と疑問が交互に胸と頭の中を泳いで、そのしぶきで少しずつ落ち込む。俺はあの村で生きていたかった。でも妻も息子もここにいる。過ぎた、取り返せないことを想って沈んでも意味がない。俺は一番大事なものを失っていない。

 息子の手を握る。

「ねえ、パパ、見て」

 窓から見るドームは、シュークリームのようだった。



(了)

 

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