最終章 13.支え

「水の精霊なのか……!?」


 この圧倒的な神々しさを放つ大いなる者は、今自分達を明らかに助けた。その白き手に痛々しい赤い火傷を負ってまでこの窮地を救ってくれたのだ。


「どこまで邪魔をするのか……お前もサラマンダーと同じ精霊のはずだ! なぜこいつらに、こんな弱い奴らに味方する……!?」


『……』


 海水で艶やかに体を濡らしたセイレーンは、その問いに冷たい目でヒードをただ見下ろすだけで、何も答えようとはしなかった。


「……くそっ黒魔鳥よ、行けっ!」


 ヒードの掛け声に無数に舞う黒魔鳥が、セイレーン目掛けて上空から勢いよく何度も襲い掛かる。

 その数多の攻撃にセイレーンは大きな波を立て、再び海へ潜り込んだ。

 その荒波で船が大きく揺れ、途端にヒードが船外の海へ飛び込んだかと思うと、すぐに黒魔鳥の背中に乗ったヒードが船下から現れ、怒りに満ちた顔をこちらへ向けた。


「お前たちが私を侮辱ぶじょくすることは決して許されない! 私は黒神チェルノボーグ様に見初められた唯一の王者だ! そして、サラマンダーさえも私に味方してくれる……! サラマンダー! お前の出番だ!」


 ヒードが血走った目でそう言い放つと、ゴル城に這いつくばっているサラマンダーの元へ無数の黒魔鳥と共に飛び立った。


「攻撃が来るぞ!」

 

 数少ない兵士達へエダーが大声で投げ掛けるが、辛うじて残っている船はこの燃え盛る船とあと一隻の船を残して、第一部隊はもう崩壊寸前だった。

 その一隻の船にも炎が燃え盛り、大きく帆柱も折れ、これ以上の航行が出来るのかさえ危うい状態だった。

 

 周囲からまるで切りつけられるやいばのように炎が押し寄せてくる。


「くそっ、この船も……!」


 エダーが悔しそうに帆柱を見上げ、周りの兵士達は樽に入った水を燃えたぎる周囲へ懸命に撒き散らすが、全くその火の勢いは衰える気配がない。


「なんで消えないんだ……!?」


 その道理に反する様子を目の当たりにしながら、燃え盛る炎から腕で顔を覆い、リラを背後へ隠すようにその火から遠ざけた。


『サラマンダーの火はそれでは消せない』


 天から空気中に染み渡るようにセイレーンの声が周囲へ響くと、その水掻きのある右手を上空へゆっくりと掲げた。

 すると、この燃え盛る船の周囲にどんどんと小さな水の雫が現れ始めた。

 その光景は今握っているホリスト鋼の剣から以前に出した水の白魔法と同じものだった。

 この船を中心にその雫がきらめく宝石のように輝きながら段々と広がっていく。


 次第にヒードの手から出されたあの火も、藻屑となった船から燃え盛る炎も、たちまちのうちに小さく消えていったのだ。


 途端に船が勢いよく揺れ、足元がぐらつき思わず甲板に手をついた。すると船首から強い風を顔に感じ、ぶつかるようにこちらへ流れ込んできた。


「なんだ……!?」

 

「船が進んでるわ……!」


 リラが言う通り、この船は今までにない速さで進んでいる。

 恐らく帆船には出せない程の速度で進み、あまりにも激しく上下する船に立ち上がることさえままならない。

 腰を低くし、どうにか体制を整えながら進む先へ目をやると、ゴル城のほうへ向かっているようだった。


「おい、なんで進んでるんだ!?」


「ひえ~! どーなってるんですかぁ~!?」


 近くの縄へ腰を低くし捕まっているエダーと、膝から崩れ落ち帆柱に必死に手を回しているグダンの慌てた声が響く。


『時間がない、急がれよ』


 その声は静かで平坦だったが、揺るぎない思いを感じさせるものだった。


「この声はセイレーンだわ」


 リラと共にこの猛烈な速度と揺れの中、どうにか壁際までたどり着き海を見下ろすと、確かに先ほど見たその姿があった。


「船を運んでいるのか……!?」


 セイレーンは深い海から顔だけを覗かせ、その大きな肩にこの船を乗せ、その輝く鱗を持つ尾ひれで急ぐように海を邁進まいしんしている。

 エダーも自分達の後方から顔を出し、その様子を伺っている。


「……やばいぞ」


 エダーがセイレーンからゴル城へ目を移すと、呟いた。

 その先には無数の黒魔鳥と共に飛ぶヒードの下に、ゴル城を守る衛兵かのようなサラマンダーがこちらに大きく口を開け、その燃え盛る真っ赤な炎を打ち放ってきたのだ。

 その吐き出された長い柱のような炎がこちらに渦を巻きながら進んで来ている。

 そして顔に熱さがかかる距離にまで近付いた時だった。


『サラマンダーよ、邪魔をするな』


 その声が響いた直後、突然海が割れたかのように左右に裂け目を作ったかと思うと、あの火柱を一瞬で覆うように波しぶきとなってかぶさったのだ。


「これがセイレーンの力なのか……!?」

 

 その目前の異常な光景に目を疑った。


『セイレーンよ、お前はなぜそやつらの味方をするのだ』

 

 ゴル城からはサラマンダーの低い声が海原中に響き渡る。


『我は我の好きなようにさせてもらう、サラマンダーよ』


 精霊同士が海を挟みにらみ合い戦っているこの目の前の状況に皆が困惑しているようだった。


「なんで精霊同士が戦ってるんだ……?」


 するとセイレーンが感情を感じさせないその表情でこちらへ振り向いた。


『サラマンダーと我は選択が違う。それだけだ。我はお前たちを援護する。……セーレの為に』


 セイレーンの肩に背負われたこの船は更に速度を付け、急加速した。


「ひえーーー!」


 隣でしっかりと船の柱に捕まり、風に耐えているグダンやリラ、エダー、それに残された数少ない兵士達もこの風や揺れで船外へ振り落とされないよう体を固くさせている。


 しかしサラマンダーの炎がまた押し寄せてきたのだ。

セイレーンが何度も波で打ち消しても攻撃は止む気配がない。


「ぶつかるぞ! くそっ」


 エダーの声が船内中に響く。

 セイレーンの力をはね除けたサラマンダーのその灼熱の攻撃はもう自分達の船に衝突する直前だった。

 

 その途絶えようもない炎を目の前に、セイレーンは右手を顔の前へ突き出し、先ほどの水の結晶魔法を再び発動した。


 同時にこの足は船首に向かって走り出していた。


 セイレーンのその魔法に呼応するかのように、ホリスト鋼から凄まじい光と風を出しながら剣を振り落とし、セイレーンの魔法と共にサラマンダーの炎を切り裂いた。

 水のきらびやかな結晶に包まれながら、左右に割れた火柱の中へ飛び込むようにセイレーンは右手を前へ掲げたまま船を運び続ける。

 周囲には体が解けてしまいそうな程の熱さと、爆風、火の粉が蔓延していた。

 その時、ピキっと耳に触るような音がした。


「お願いだ、耐えてくれ……」


 ――剣にヒビが入っていた。


 その白く輝きを増す剣を握り締め、船首に立ち、今にも飲み込まれそうな熱い炎を切り裂き続ける。


 剣のヒビが意味する事、それはもういよいよ白神ベロボーグの力が残り少ないということなのか。


 この剣がもし壊れるとなるとセーレはティスタは、この国は、世界はどうなってしまうのか。

 真っ赤な炎を睨みながらも、様々な不安が次々に襲い掛かってくる。


 だが、この剣を作りティスタへ渡したセーレの思い、それを受け取ったティスタの思い、そしてその思いを受け継ぐ次世代の者達の思いを今まで幾度なく感じ、受け取ってきた。


「オレが今ここで倒れるわけにはいかない……!!」


 だが、サラマンダーに距離が近付けば近付くほど、火柱の勢いが強くなり、向かい風に体が吹き飛ばされそうになる。


「くっ……」


 すると、背中に何かがそっと触れた。


「ケイスケ、私達があなたを支えるわ……!」


「精神力だけは褒めてやるよ……!」


「ケイスケ様、こんなことしか出来ませんが……!」


 この背中を熱風吹き荒れる中、必死に支えてくれるみんなが今ここにいる。

 リラ、エダー、グダンは、顔を苦痛に歪ませながらも懸命に、そして一緒に耐えようとしてくれている。


 とは違う。


 今は信頼してくれ、助けてくれて、共にこの苦境へ立ちはだかってくれる仲間がいる。

 それだけでとても心強くいられる。


 ゴル城はもう目の前まで来ていた。

 そして燃え盛る身を持つサラマンダーの姿も。


 セイレーンの結晶魔法が、この剣の風に巻き込まれるように無数の雫を取り入れ、そのまま炎を切り裂きながら最後に剣から斬撃のような風を凄まじい勢いで打ち放った。

 それは見事サラマンダーに命中し、ゴル城の城壁がサラマンダーの落下と共に鈍い音を立て、海へ崩れ落ちたのだ。


「やったのか……!?」


 エダーの声の直後、セイレーンは運んでいたこの船を最後にその大きな手で浜辺へ押しやるようにすると、その場で激しく座礁しながら船は停止した。


『行ってくるがよい。我に出来る事はここまでだ』


 全身に痛々しい火傷を負っているセイレーンはゆっくりと深い海へ戻っていった。


「え、今行っちゃうんですか!? 僕達を助けてくれてるんじゃないの!?」

 

「グダン、精霊はこの神界リスターン全体のおさみたいなものよ。特定の誰かに力を貸すというのは、普通じゃあり得ないことなの。どこかの国に加担することはない、はずだった……」


 嘆くようにセイレーンを見送るグダンに、リラももの悲しそうに海を見つめ見送る。


 セイレーンは約百年前クリスタルになったセーレを救い、今もまた助けてくれた。

 だが、敵対するゴル帝国へ攻撃をすることは決してなかった。

 今までのセイレーンの行動はもしかすると、彼女なりの『出来ること』だったのかもしれない。


 水の精霊は、この百年ずっとこの時を待ちわびていたのだろうか。


 

 ――彼女をずっと思いながら。



「上陸するぞ!」


 そのエダーの一声に残り五十名程の兵士達は縄をつたいながら、浜辺へ下り始めた。

 どうにかここまで辿り着いたのはいいが、明らかに戦力不足だ。

 だが、この人数で切り抜けるしかもう方法はない。

 すると獣の雄たけびと甲高く耳に触る気味の悪い鳴き声がいくつも聞こえ始めた。


「……弱い奴は皆死ぬ」


 浜辺に立ちながらこちらを睨み付けるヒードの周囲には、リンガー軍とは対照的過ぎる無数の黒魔狼や黒魔鳥が蔓延はびこっていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る