最終章 12.バーツの選択

『私はリラよ。よろしくね。君、十歳なの?』


『バーツって言うのね、カッコいい名前ね!』


『私がバーツをちゃんとゴル帝国の近くまで送り届けるから。それまで私があなたを守るからね』


『バーツ、背中怪我してるじゃない! 治療するからここに座って! 大丈夫、痛くないから。心配しないで』



 ――なんや、わいはどないしたんや。

 背中んとこまたズキンズキンして痛いねん。

 リラちゃんにあの時治してもらったんに。

 あのあったかい膝の上で。


 ああ、そっか、リラちゃんをかばったんやな。

 ヒード様から。

 さっきから、リラちゃんとの思い出ばっか頭に浮かぶねん。

 なんでそんなにあったかいねん、なんでそんなに優しく笑いかけんねん。


 分かってんねん、バカな奴やって。

 でも足が動いてしもうてん。

 わいがヒード様からもらったこの神速で、ヒード様からリラちゃんを守るってなんやねん、どういうことやねん……


 でも、それもいいんかもしれんな……

 これがわいの……

 最後の……



「どうなってるんだ……!? バーツがリラをかばったのか……?」


「……ああ、そうみたいだ」


 剣を構えるエダーの鋭い視線は黒煙の中にいるヒードにへ向けられている。

 そんな中、目の前に横たわっているバーツがこちらへゆっくりと振り向いた。

 その表情からはもう先程のような明るい生気は感じられなかった。


「……リラちゃんは無事やで……ケイスケ」


「なぜ……」


「言うたやろ、わいは好きなんや、リラちゃんが……」


 バーツは共に横たわるリラをその震える腕で最後の力を振り絞るように優しく抱き寄せた。

 するとリラがゆっくりと目を開け、目の前のバーツに驚きを隠せないようだった。


「何が起こったの……? 何……、これは血……? バーツの……?」


 起き上がったリラにべっとりと付いている赤いもの、それはバーツの背中から流れ出ているものだった。


「リラちゃんが無事でよかったで……」


「私を助けてくれたの……?」


 リラは驚きと悲しみが入り交じったような表情を作った。

 すると彼女はバーツの背中の傷口を確認すると、直ぐ様両手を当てようとした。


 だが、バーツがしっかりとその腕を掴んだ。


「わいにまた白魔法か……? 優しいなやっぱリラちゃんは……。やけど、無理やで……、わい、魔物やから……」


「そんな……」


 魔物には白魔法が使えないとバーツは言う。

 彼のはだける胸にはその黒い刻印がしっかりと刻まれており、このどうしようもない事実に皆が立ち尽くし、固唾かたずを呑むようだった。

 そして今にも力尽きそうなバーツはリラを優しく見つめ、かすれた声で弱々しくその口を開いた。


「……あったかいな、リラちゃん……またこうやって……、近くにいら、れて……めっちゃ、嬉しいわ……、あの時、みたい、や……、ほんま、大好き、やわ……リラちゃ……」 


 ――彼の握る手がリラの腕から力無く落ちた。


「バーツ……!」


 リラは一言そう呟くと、ピクリとも動かなくなった彼を優しく抱き寄せた。バーツの胸に顔をうずめ、肩を震わせながら泣いているようだった。

 

 彼女の腕の中でむなしくも横たわるバーツの表情はなぜか微笑んでいるように見えた。


 十歳の少年がこの混沌な世界で生きるために魔物となりその力と体を手に入れ、敵であるバーツが最後に下した選択、それは己を犠牲にしてでも愛する人を守る事だった。


 まるでティスタと同じではないか。

『悲しい事はもう繰り返さないでいい』、そう自分に言っていたのに。


「バーツ、お前が繰り返すのかよ……」


 もう、起こってはならなかったはずだ。

 こんなことはもう二度と。


 だが、リラを最後まで守り抜き、眠るように目を閉じた彼を見つめ、一言小さくつぶやいた。


「ありがとな、バーツ……」



 黒煙が段々と晴れ始めた。

 剣を持ち直し、その場所をきつく見据えると、その男と向き合った。


 今、目の前にセーレとティスタを苦しめた張本人が立っている。

 青い髪が肩までかかるその男は、自分とあまり変わらない年頃に見えるが、げっそりとした出で立ちのせいか若々しさは感じられない。

 全身を闇で包んだような真っ暗なローブを身に着け、クマを作った右目の横には稲妻のような形を型どった黒神チェルノボーグとの契約の証が横髪から覗く。


 約百年前に見た、変わらぬその姿を目前に、剣を握りしめるこの手は悲しみと憎しみで震え始めていた。


「馬鹿なやつだ、バーツよ。リンガー王国の王女を庇うとは……。力を授けた私に恩を仇で返すような真似を……。無様な最後だ」


 ヒードが薄気味悪く言い放った。

 その言葉に悔しさと怒りが溢れ返ってくる。


「バーツはお前の為に今まで働いてきた……! お前はまだ十歳だったバーツをこの戦争に巻き込んだんだ……!」


「……お前はティスタの生まれ変わりだな。死ぬか生きるかに年齢なんて関係ない。弱ければ死ぬ、ただそれだけだ。お前はこの世界を分かっていないようだ……。だから死ぬために戻って来たのだろう? 無様なティスタみたいにな」


 その言葉に血が煮えたぎり、我を忘れてしまいそうな程に感情を沸き立てられる。そのままヒードへ向かって剣を大きく振りかざした。


「ティスタを侮辱するな……! 彼はセーレの為に最期まで戦った、戦い抜いたんだ……!」


 剣と剣が激しくぶつかり、とてつもなく重い音が船内へ響く。

 例え、ティスタが最後に倒れた事実がそこにあるとしても、彼の思いだけは誰にも負けなかった、いや、負けていない。まだだ、まだ。


 ――今、自分がここにいる。


 すると、薄気味悪い笑みを浮かべたヒードの頭上に、数多くの黒魔鳥の鳴き声が響き渡った。


「それが、馬鹿だと言っているんだ……!!」


 ヒードの凄まじい力でこの剣ははね除けられ後退させられた。

 すると黒魔鳥の群れがこの船目掛けて次々に襲撃を開始した。

 襲い掛かる大きな鳥のその鋭い爪を何度もこの剣で必死に受け止める。

 エダー達も同じようにこの魔物の群れと険しい表情で戦っている。

 そんな中、バーツの傍から離れられずにいるリラへエダーが叫んだ。


「リラ! お前の助けた少年はお前の為に散った! それがバーツの生き方だったんだ……! しっかり前を見るんだ!」

 

 励ますようにそう声を掛けられると、彼女は手の甲で目をぬぐった。


「ケイスケ様! ここは僕達に任せてリラ様を……」


 空から幾度となく鋭い爪で攻撃を繰り返す黒魔鳥を押さえながらもグダンがそう言うと、ヒードがその様子を見て威圧ある低い声で呟いた。


「ちょうど良い……、試してやろう」


 すると、ヒードのその左腕に一本の矢が命中した。

 先程の魔蜘蛛から辛うじて逃れた船からの援護射撃だった。


「命中したぞ! 打て、打て―!!」


 その船から応戦する声が聞こえてくる。

 だが、何かヒードの様子がおかしい。

 顔色も変えず、痛みさえも感じていないようだった。


「……私にこんな矢が効くと思うのか!?  こんな刃物がこの体を貫けると思うのか!? ははっ」


 刺さった矢を平然と勢いよく引き抜いた。

 その腕からは血がしたたり落ちてはいたが、すぐに止まり、明らかにただならぬ気配を感じた。

 その異様な光景とその言動に、リンガーの兵士達は退くように恐れをなしているようだった。


 するとヒードが矢を飛ばした船へ向かって右手を突き出した。

 右目の横にある黒色の刻印が赤く燃えるように光り始め、まるでその手から生み出されるかのように赤く燃える火の球体が段々と膨れ上がり始めたのだ。


「何だあれは……!?」


 応戦した船の兵士たちがざわつき始めると、ヒードは赤く燃える手を掲げたまま、その船へ向かって叫んだ。


「これが、サラマンダーの力だ……!!」


 次の瞬間、爆発音と共にその船は真っ赤に染まり、この薄暗い空へ燃え上がった。

 こちらの船にまでその熱を乗せた逆風が押し寄せる。

 叫び声や、うめき声、泣き叫ぶような声も響き渡り、たちまちのうちに、暗い海の中へその船が無惨にも崩れ落ちていく。


「まだだ、まだまだだ! 全滅しろ……!! ハハハハハ……」


 次々に他の船にも、火の砲弾を打ち続ける。

 それはまるで灼熱の火で燃え盛る地獄のようだった。

 そしてヒードはこの船の帆柱にもその燃え盛る玉を打ち放した。

 一気にこの船は燃え広がり始め、黒魔鳥と戦うリンガーの兵士達はその光景に青ざめ、気力さえも失いかけたかのように見えた。そんな周囲を見渡すとあまりにも酷い光景だった。


「くそっ、やめ……」


 無数に降り立つ黒魔鳥の鋭い爪での攻撃で、エダーやグダン達さえも身動きがとれないでいた。

 その時、ヒードの背後に向かって、剣を向けて勢いよく走っていく者がいた。

 ヒードはその殺気に気が付いたのか、その攻撃を軽く交わした。


「精霊の力をこんな風に使うだなんて……、サラマンダーが許してもこの私が決して許さない……! 何もかも……!!」


「これはリラ王女。お前の周りは死にゆく人々で溢れ返るな。まるでセーレのように……!」


 リラはバーツの件もあってか、冷静さを失いかけているように見えた。

 そんな彼女へ向けて、ヒードがその燃え盛る手をかざした。

 地獄へと変貌させた炎の砲撃をその手から彼女に打ち離そうとしている。


「ヒード、やめろ……!!」


 そう叫ぶエダーと共に必死に黒魔鳥を薙ぎ払いながら彼女の元へ急ぎ駆け寄るが、数が多すぎてうまく進めない。


「リラ……!」


 黒い塊のような大群を脱け出し、彼女の元へ辿り着いた時にその憎き火の玉が打ち離された。

 リラの肩をギリギリで掴み、その細い体を勢いよく引っ張り寄せると、この全身で彼女を包み隠すだけで精一杯だった。

 背中に熱がかかり、熱風と共にあの火の玉が背後に迫ってきているのが分かった。



 ――だが、何も起こらなかった。



 ゆっくりとその背後へ振り向くと、目の前には想像さえもしたことがない水かきのある大きく白い手があった。

 海底から伸びているその手の持ち主は、次の瞬間激しい水しぶき共に勢いよく海上へ姿を現した。

 まるで天から大粒のシャワーが降りかかるように二人の身体へ打ち付ける。

 その姿は海色の色味をうっすらと帯びた白色の身体を持ち、透き通るような水色の長い髪に耳からは尾ひれのようなものを出した、視界に入りきれない程の女性の姿だった。


「また、邪魔に来たのか……セイレーン……!」


 ヒードが怒り狂ったように言い放ったのだった。

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