最終章 6.皆の出発

「セーレ、必ず終わらせるからな……」


 クリスタルの中で穏やかに目を閉じているセーレを見つめながらつぶやいた。


 彼女はこのクリスタルに閉じ込められたまま、約百年、黒魔法の力を封じ込めているという。


「こんなこと早く終わらせないといけないんだ、二人の為にも、この国の為にも……」


 セーレが眠るこの空間は、バーツが黒魔鳥こくまちょうと共にやってきた際に砕け散ってしまった無惨なステンドグラスがまだあの時のままだ。

 補修はされているが、完璧というわけではないようだ。あちらこちらに板がはめ込まれている。

 完璧に修繕出来る財力も、もうこの国にはないのかもしれない。


 そんな色鮮やかなガラスが辛うじて残る窓からだいだい色の夕焼けが差し、彼女が眠る無色透明なクリスタルを色鮮やかに照らしている。

 そしてそれはもうじき闇色になるのだろう。

 その時が来れば、いよいよゴル帝国との戦いが始まる。


 もう出発の時間だ。


「……行ってくる、セーレ」


 静まり返る彼女をこの目に焼き付け、胸が締め付けられるような思いを抱え、この場所を後にした。



「ケイスケ! 出発するぞ!」


「あぁ!」


 遠くから太い声で強く叫ぶのはエダーだ。

 早々と馬車へ乗り込んでいる。

 城内には数えきれない程の馬車がずらっと並び、その周囲では様々な感情が飛び交っていた。

 抱き合って家族との別れを惜しむ者もいれば、奮闘する兵士と様々だ。

 皆、それぞれの思いを抱えて戦場へおもむく。

 

「ケイスケ様! ここにおられましたか!」


 この明るく元気のいい声はグダンだ。

 離れた場所から慌てた様子でこちらへ駆けてくる。

 目の前まで彼がやって来ると、なぜだか肩で息をして疲れきってはいたが、その表情は喜びでいっぱいのようだった。


「そんなにヘトヘトでどうしたんだ?」


「ケイスケ様がなかなかいないからですよ~! すっごく探してたんですから~!」


 彼のこのいじらしく憎めない性格がジダンの子孫だなと感じる。


「あーごめんな! で、どうしたんだ?」


「僕、第一部隊に入れたんです! 異動希望出したら通って! これからケイスケ様と一緒に行動出来ます!! すっごく嬉しくて! ご報告に……! やった!!」


 飛び跳ねる勢いで嬉しそうなのが伝わってくる。

 というか、今飛び跳ねている。


「そっか、オレも嬉しいよ。これからよろしくな」


「はい! 宜しくお願いします!!」


 グダンはこれでもかという程に深く頭を下げ、彼の律儀さが伺える。


「じゃ、第一部隊の馬車に乗るか!」


「はい!」


 目を輝かせながら自分の後を意気揚々と付いてくるグダンの様子に、なぜかとても勇気づけられた気がした。


「ありがとな、グダン」


「え、何がですか!? 僕なんかしました!?」


 少し顔を赤らめた彼の慌てぶりに、思わず笑ってしまう自分がいた。

 胸でずっとざわついていたこの気持ちが不思議とすっと軽くなった気がした。

 『不安がない』と言えば嘘になるだろう。

 だけど、今目の前にグダンがいるように、信頼してくれる仲間達がいる。

 


「お前も来たのか、グダン」


「は、はい! 今後はこちらの隊でお世話になります! 宜しくお願いします!」


 グダンと共に馬車へ乗り込むと他の兵士達と一緒に、エダーやリラも既に座り込んでいた。


 そんな皆の前でも相変わらずなグダンは、ギブスでも入っているかのような真っ直ぐ伸びた両腕を体の脇にぴったりと貼り付け、頭を深く下げ続けている。

 

「よろしく頼む!」


「よろしくね」


 エダーやリラ、他の兵士達もグダンのその滑稽こっけいな姿と初々しさに顔を緩ませている。

 そんな彼らを眺めていると今から戦場へ行くことが夢かのように思えた。


 皆、この城へ戻ってこられるのだろうか。

 そして最後にまたこうやって笑い合えるのだろうか。

 彼らの笑顔を眺めれば眺めるほど、たちまちのうちにまた予期せぬ不安が募り始める。


「どうしたの? 大丈夫?」


 自分のそんな顔を察知したのか、隣に座るリラが心配そうにこちらを覗き込んでいる。

 彼女の白く長い横髪が肩からそっと流れ落ちる。


「……いや、なんでもない」


「何かあったら言ってね」


 そう言って緩やかに微笑みを与えてくれる彼女を見つめているだけで、この灰色のようなくすんだ不安が拭い取られるようだった。

 なぜこんなにも心が休まるのだろう。


「リラ、城の事が心配だろ。今なら残る事も……」


「ううん、いいの。今まで白神ベロボーグ様に守られた事自体が奇跡に近いんだから。それにお母さまもこんな日がいつか来るだろうと分かっていたと思うわ」


 馬車がゆっくりと動き出す。

 途中で二手に分かれるこの馬車の大群は、堂々と聳え立つ山から儚く差し込む夕日をたくさん浴びながらついにホリスト城を出発した。

 

 この国を勝利へ導く祝福の光であってほしい、そんな気持ちを抱えながら。


 あのホリスト城には、数少ない警備の兵達と、女王を守る百人程の白き部隊、近衛隊だけが残っている。

 そんな兵達と城壁の上に佇む、キリア女王の姿が小さく見える。 

 我が子を戦場へ見送るという気分は一体どんなものだろうか。

 この国の主と言っても一人の母親だ。

 主が主らしく振舞うという事はきっと想像以上にきつく辛い事なのかもしれない。

 

 王女であるリラもそうだ。

 いつも健気に剣を振り、危険な場所へ身を投じ、向かい歩き続ける。

 兵士であるエダーやグダン、他の兵士だって皆同じだ。

 皆それぞれの役割があって、それぞれの責任を全うしている。

 投げ出したい時だってきっとあるだろう。

 だが、逃げださずに現実を受け入れ、戦いへ挑もうとしている。

 その強い意思は果たしてどこからきているのか。


 今ならその答えがすぐに分かる気がした。


 自分は『敬介』でもあり、そして『ティスタ』の生まれ変わり。


 この現実、重圧や重荷に耐え切れないことも幾度となくあったが、でももう、あの時とは違う。

 

 ――今目の前には救いたい人達、守りたい者がいる。


 それだけで充分だ、充分だったんだ。

 

 それは、この国を救いたいという皆の気持ちと同じだ。

 

 世界を照らす太陽が段々と山へ沈み、暗闇が訪れようとしている。

 港へ着くのは深夜ごろか。

 船の出発は早朝で、永遠の大草原オロクプレリーでの決戦も同じ頃に封が切られるとのことだった。


 その決戦を囮に、夜ゴル城へ乗り込む計画だ。


 すると、エダーがいつも以上に顔を固くし、その場から立ち上がった。


「聞いてくれ。俺達は今からゴル帝国へ戦いに挑む。恐らく最後の戦闘になるだろう……。俺は見てきた、お前らがどんなに辛い状況でも死に者ぐるいで俺に付いてきてくれたことを……! 皆、よくやってきた。俺はこの第一隊を誇りに思っている。そしてこの隊で最後の最後まで戦い抜く覚悟だ。だから……、最後にまた力を貸してくれ……!」


 一声に兵士達の雄叫びが上がる。


 彼がこの隊の隊長として、仲間と共に戦い抜いた日々は想像以上に過酷なものだったのだろう。

 そんな日々がこれで終わることを誰もが願っている。隣に座るリラもきっとそうだ。


「リラ、あまり無茶すんなよ。白魔法が使えたって危険な事には変わんないからさ」


「大丈夫、これでもあなたより戦場の経験は多いのよ!」


 心配させないとするためか、明るく返答する彼女がこんなにも近くにいるのになぜだか遠くへ行ってしまう感覚に陥ってしまう。

 だけど、彼女の意思を尊重したいと思う自分もいた。


「オレのほうが弱そうだな」

 

 笑顔で返すように力を抜いてそう答えた。

 こんな束の間の柔らかな時間をとても愛しく感じる。

 いつまでもこんな時間が続けばいいのにと心からそう思った。


 ――


 途中の大きな別れ道で、永遠の大草原オロクプレリーで戦う隊と離れた第一部隊はもうすぐイーザック港へ到着しようとしていた。

 森を既に抜けてはいたが辺りは真っ暗な闇で、まるで嵐が来る前触れかのように静まり返る夜だった。


 すると、何かの音が遠くから一瞬聞こえた気がした。


 いや、気のせいではない。


 ひずめだ。この闇からその駆ける音が段々と近付いてきている。律動からかなりの速さを出しているのが分かる。


「伝令、伝令だ! 止まられよ!」


 まだ近くはない距離から、そう叫ぶ声が闇にこだました。

 エダーが慌てた様子で馬車の後方布をめくるとまだ遠くだがこちらに疾走してくるものが見えた。


「おい! 馬車を止めろ!」


 前へ振り返ったエダーの力強い掛け声で急停車した。

 そんな馬車から、ただならぬ音に全く気が付いていなかったのか、グダンが投げ出されそうになった。

 落車寸前にエダーから背中を捕まえられたグダンは顔を青く引きつらせ、頬をぴくつかせている。


 他の馬車も次々に止まっているようだった。


「あれはホリスト城の早馬だな……」


 エダーが段々と近付いてくる馬を暗闇にしっかりと捉えたようだ。

 その走る音と共に大きめの馬がこちらへ近付いて来ている。

 

「どうしたの!?」


 右手に角灯を持ったリラが慌てた様子で急ぎ尋ねた。

 ほのかな暖色の明かりがこの周囲の暗闇をゆらゆらと照らす。

 もう目の前にまでやってきたのは、自分とそんなに年も変わらなさそうな若い兵士だった。


 その兵士はずっと馬を走らせてきた疲労からなのか、それとも他の何かのせいなのか、その彼の顔はわずかな明かりでも分かる程に見るからにやつれ、顔面蒼白だった。


 そしてその紫色になった唇を開いた。


「リラ様……! ホリスト城が……襲撃を受けています、ゴル軍から……!」

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