最終章 5.敬介の選択

「……なんだ?」


 透き通るような緑玉りょくぎょく色の大きなその羽が儚げに動くたびに、夜空を映す湖に次々と優しく波紋はもんを作り、星がゆらゆらと揺らめいている。


「彼女は……、風の精霊シルフよ」


「風の精霊……?」


 その精霊は柔らかな光を放ちながら、こちらを見定めるように見つめている。


「……そなたが敬介だということは随分前から知っている。あの世界へ戻したのはこの私だ。……試したのだ。そなたの覚悟とその思いをしかと確かめたくてな……。だが、これで分かった、そなたの思いが」


 目の前の美しく高貴な精霊は、そう言い放った。

 自分自身のこの思いを確かめるように。


「彼女のためにこの力を使うが良い。私の変わりにな」


「力……?」


「あぁ、そうだ。風の力だ」


 すると、さやに納めているホリストこうの剣から段々と光が漏れ始めた。

 剣を抜くと、目を細めたくなる程に一層輝きを感じられる。

 するとその光に呼応するかのように次第に周囲から風が吹き荒れ始めた。

 まるで竜巻の中心にいるかのように、リラと自分を囲ったその風は、落ち葉や小枝を次々に拾い集めながら、速度を増して儚く周り続ける。


 リラの長い白の横髪がふわりと風になびいていた。

 輝くこの剣と共に、二人で寄り添うかのようにこの状況を見つめ続けた。

 

 そしてその風が途端に角度を変え、まるでこの剣に吸い寄せられるように、白きはがねを大きく取り囲む。

 握りしめた剣が段々と重くなり始めたかと思うと、吹き荒れていた目前の風がぴたりと無くなり、急に静まり返った。

 何もなかったかのようにまた星が瞬く夜が訪れたのだ。


「剣に、風が……」


「……敬介、そなたの下す選択はどちらでも間違いではない。ティスタもそうだったように。だが、明日には明日の風が吹くものだ」

 

 凛とした表情の風の精霊シルフは、気のせいだろうか、一瞬微笑んだかのように見えた。


 ティスタの選択、それはセーレを国の為に手放すことだった。

 あの選択は決して間違いでないと分かっている。

 だが、あの二人はに何を見ていたのだろうか。

 

 そしてシルフはリラをもの柔らかな眼差しで見つめた。


「リラ……私はそなたを小さき頃から見守ってきた。その能力と共に。だがそれがもう尽きようとしている。しかし、私はいつまでもそなたの傍にいる。それだけは忘れるな。……風と共に生きよ」


 セーレが水の精霊に愛されていたように、リラには今目前にいる風の精霊が傍にいたのだ。

 リラの周囲にはいつもまどろむような安らぎの風が流れていた事を思い出す。


「……ありがとう。私、いつもあなたの優しい風の中にいたわ。大好きだった、この風が……」


 ふわりと風に揺らぐリラの白いローブが、シルフの暖かな思いを乗せているようだった。


 そんな風の精霊は顔を少し緩ませ、蝶羽ちょうばねを大きく羽ばたかせたかと思うと、満天の星空へ舞い上がった。

 そして、決して掴むことの出来ない夜風と共にその姿を消した。


 そんな穏やかできらめく星空をしばらくの間、二人で見つめていた。


「風の力がこの剣に……」


「ケイスケに力を貸してくれたのね」


 ぼうっと月のような光を帯びたホリスト鋼を、そっとさやに戻した。


「あぁ、シルフはオレにこの力を託してくれた……、リラを守るために。この思いは必ず遂げる。そして何もかも終わったら……、元の世界に戻る日が来るはずだ……」


 リラに向き合った。

 その日が来れば、もう二度と会えなくなる目の前の彼女も少し目を伏せながらこちらを見つめていた。

 

「もしその時が来たらオレは……」


 あと一歩言葉が出ない。

 これはただの自己満足ではないだろうか。

 彼女の幸せはこの国と共にあるのではないか。

 彼女にこの選択を迫れば、もうエダーや母親にも二度と会う事が出来ないかもしれない。

 それは彼女の幸せを奪うということではないか。

 


 だが――



「ずっと一緒にいたい……って思うのはオレのワガママかもしれない……リラの幸せがオレの願いだ。幸せにずっと暮らしてほしいと思う……オレの選択はリラにとってとてつもなく試練だ……でも、一緒に乗り越えていきたいんだ……だから、だから……」


 心臓の音が彼女に聞こえるのでないかと思うぐらい自分の中で響いている。

 これがリラにとっての幸せなのか、気が遠くなるほど何度も、何度も考えても分からない。


 でも、信じたいんだ。



 ――明日の風を。

 


「オレと一緒に……」

 

 そう言いかけると、自分の右手を優しく握る柔らかな感触に気が付いた。


「……私、さっきあなたが消えちゃうと思った、もう二度と会えないかと思った……どうしようもない程に打ちのめされたの。あなたといると試練の連続ね。……でも、これからも試練に耐えてみたいって言ったら?」


 彼女の暖かな微笑みが間違いなくを支えてくれていた。


「いいのか……?」

 

 恐る恐る彼女に尋ねる。


 するとリラは柔らかく微笑み、ゆっくりとうなずいたのだ。



 ――途方もなく抱きしめた。



「ありがとう……リラ……オレが……オレが幸せにするから……必ず……!」


 この腕の中に顔をうずめる彼女が今ここにいることに、信じられないほどの幸せを感じる。


「よろしくね」


 顔をゆっくりと上げたリラの吸い込まれそうな瞳の中から、二人の頭上で瞬く星のような雫が今にもこぼれ落ちそうだった。


 そんな彼女がはにかみながらも優しく微笑むと、その雫はまるで流星りゅうせいごとく、彼女のほほへ次々と流れていく。


 また深く抱き寄せた。



「リラ、大好きだ……」



 あの時、過去の自分が出来なかった選択の分まで、彼女の淡い唇から暖かなぬくもりを止めどなく感じた。

 

 この溢れ出る思いとこの輝く雫に誓う。


 今度こそ愛する人を幸せにするということを――。

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