第三章 6.解放

「エダー、やっと泣き止んだか!」


 テーブルで泣き崩れていたエダーが我に返った。

 険悪な涙目で、こちらを見上げている。

 

「ああ、お前のそのひねくれ言葉のお陰でな! リラは!?」


 エダーはテーブルから立ち上がり、礼のような文句を言うと、いつも通りのその不機嫌そうな顔に戻った。

 もう大丈夫そうだ。


「オレがあの術から解けた時にはもうここにはいなかったんだ、それにサラリアもいない……」


「くそっ、まさかあいつを聖堂へ連れて行ったんじゃ……」


「確かなのか?」


「あぁ、この人の心に付け込む特殊な能力は間違いなく黒魔法だ。サラリアがゴル帝国の契約者の魔物だとすれば、あいつは間違いなくリンガー王国を覆う障壁の元となっている白神ベロボーグ様がいる聖堂へ行くはずだ」


 エダーの顔中の血管は怒りで浮き上がっていた。


「まさかリラは利用されているのか……?」


「ああ、ホリスト聖堂は白神ベロボーグ様の力でもちろん魔物なんて入れない。だが、聖なる人ホリスト族のリラがいれば、中和されて聖堂に入れるんだ、たとえ魔物でもな……くそっ!」


 その時、何かが勢いよく倒れた音がした。

 近くの客が座っていたテーブルだった。

 我を忘れたようにその客が暴れ始めたのだ。


「これは……」


 周りを見渡せば、泣きわめいている者や、怒っている者、悲しみのどん底に落ちている者、様々だ。

 話しかけても、こちらの問いかけには無反応だ。


 先程まで自分がいた苦しみの世界で、まだこの人達は戦っている。

 手遅れになる前にどうにかしなくては。


「この術をどうにか解く方法はないのか……!?」


 エダーは焦りと共に何か思い詰めたような顔だった。


 きっとエダーもと対峙していたはずだ。

 涙という言葉が一番似合わなさそうなこの男が泣くほどだ。

 よほどの『思い』と闘っていたのだろう。 

 

 この客達をどうしたら救えるのだろうか。

 今あるものは、白魔法に属するこのホリスト鋼の剣。

 ティスタの為に作られた、この武器だ。

 戦闘に用いるものだが、白魔法に属しているということは、『救う』事も、もしかすると出来るのではないだろうか。


 何か切り抜ける方法があるかもしれない。

 

「エダー、一か罰かだ……。やってみる」


 剣を抜き、力強く握り構えると、その白い鋼に意識を集中した。

 

「力を貸してくれ……、水の精霊……」


 ホリスト鋼の剣が段々と白い輝きを帯び始めたかと思うと、薄暗い店内中に無数の小さな雫が次第に出現を始めた。

 それら一つ一つがこの剣の周囲に集まり始める。

 そして、その雫も剣と同じ光を発し始めたのだ。

 店内中が、眩しく真っ白な光に包み込まれた。


 以前セーレがティスタの為に使っていた白魔法を思い出しながら、光をまとった無数の雫を全て一気に打ち飛ばすかのように、握りしめた剣を横から思いっきり振るった。


 その輝く雫は店内に勢いよく散乱し、苦しんでいる人々へ染み込むように溶けていく。

 

 すると皆、意識を取り戻し、我に返り始めたのだ。


 憔悴しきってはいるようだが、全員無事なようだった。


「……効いた!」

 

「あぁ、ここはもう大丈夫だろう。行くぞ!」

 

 店内を駆け抜けるように、エダーと共に外へ出た。

 もう外は真っ暗で、先程のホリスト鋼のように白い大きな丸い月が浮かんでいる。

 そして近くには客のものなのか、茶色の毛並みを持つ馬が数頭繋がれていた。

 申し訳ないが、借りるしかもう今は方法がない。


「エダー!」


「あぁ、急ぐぞ!」


 その馬にそれぞれまたがると、たずなを持ち、あぶみで馬の腹に合図を送った。

 エダーからのあの酷い鍛錬がここでようやく身を結ぶ。

 エダーも同じく駆け出した。


 森の夜道を、かすかな月明かりを頼りに蹄の音を響かせながら疾走する。

 

 まさか、リラが連れて行かれるなんて。

 

 油断していたのか。

 国内にまであんな術を使える敵が侵入し、『黒竜使いのサガラ』や『神速のバーツ』と同じ黒魔法の契約者だったとは。

 

「くそっ、もっと速く、速く……!」


 聖堂までの道のりがとても長く感じられる。

 今はもう焦りと不安しか生まれてこない。

 もうリラが傷つく姿は見たくないんだ。

 彼女には笑っていてほしい。

 また傍で笑ってほしいんだ。

 


「おい、見えてきたぞ!」


 エダーが遠くおぼろげに見える聖堂を見据えたようだ。

 どんどんとその建物が大きくなっていく。

 だいだい色の明かりが見え、松明が炊かれているようだった。


 上空から照らされる月明かりと、松明の光で揺れ動くホリスト聖堂はとても神秘的な場所だった。

 ティスタだった頃に、初めてセーレと会った場所だ。今でも鮮明に覚えている。


 どれぐらいの高さがあるのか分からないほどの崖のような岩に挟まれたその建造物は、岩を削り作られた花や生き物などの細やかな彫り細工が至る所にあり、月明かりでの陰影のせいか、尚美しかった。


 そしてその建物の中心にはぽっかりと空く暗い入り口が見える。

 その近くには警備兵が二人倒れていた。


「おい、大丈夫か!? しっかりしろ!」


 エダーが馬から下り、慌てて兵達の元へ駆け寄る。


「うう……あの、あの女が……」


 二人とも身体中を何かから殴られているようだった。


「もうそれ以上喋らなくていい。ここでしばらく休んでおくんだ。リラが……リラが、きっと治してくれる……」

 

 エダーがそう言うと、二人でそっと兵士達を壁にもたれさせた。


 そして近くにあった松明をこの手に取り、暗い聖堂の入り口を見渡した。


「ここは1本道だが、用心して進め」


「ああ」


 エダーと共に駆け足で慎重に進む。

 壁も天井もでこぼことした岩だらけだ。

 足場が悪い。 

 だが、急がないとこうしてるうちにもリラに危険が迫っている。

 そう思うだけで心が締め付けられ、この足は、心は、早まってしまう。


 一時の間足を進めると、遠くにぼうっと光る何かが見え始めた。

 

「あの明かりの先に白神ベロボーグ様がいる。恐らくリラもサラリアもあそこに……」


 そうエダーが言うと同時に、二人とも明かりの方向へ足早に走り出した。



 もうすぐだ。

 もうすぐ。


 今度こそ、必ず、彼女を助ける――



 まるでのように、中へ飛び込んだのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る