第三章 4.憎き者

「……おい、敬介! しっかりしろ! 自分をしっかり保つんだ!」


 誰だ、そう気安く呼ぶのは。


「気をしっかり持つんだ……!」


 ここは、あの場所だ。


 ヒードからセーレが刺された、思い出したくもない地。


 いや、あいつのせいでセーレが刺されたあの洞窟だ。


 全ての元凶はあいつのせいなんだ。


 あいつの失敗で全てが始まった。


 セーレの最期もあいつのせいだ。


「……手を離せよ」


「おい、敬介、自我を保て! 怒りを抑えるんだ!!」


 目の前にいる奴は、そう、とんでもなく憎いあいつだった。


「ティスタ……! お前のせいだ……!!」


 抜いた剣をそのまま下からティスタの体へ切り込むように沿わせたが、咄嗟とっさに後方へ避けられた。


「くっ……敬介……」


 だが、けきれなかったティスタの左肩に裂け目を作った。


 血がにじみ出ている。


 剣も抜かず、その怪我を右手で押さえながら、こちらを憐れむような目で見つめてくる。


 その同情するようなティスタの目が視界に入るだけで、もっととてつもない嫌悪感が込み上げてくる。

 

「全部、お前のせいだ……! オレがこうなったのも、全部……!!」


 ティスタに剣を大きく振り上げた。

 するとやっと剣を抜いたティスタは、瞬時にこの剣を抑えにかかる。


 白いはがね同士が激しくぶつかった。


「……分かってる、分かってる、オレが全て悪いんだ、だが、だが……!」


 肩から血を流しながらも、その震える腕で、必死な表情で、この剣を押さえ、耐え続けている。


 なのに、なぜだ、なぜそんな可哀想な目で見つめてくるんだ。


 気に入らない。


 全てが気に入らない。


 目障りだ。


「……オレは……元の世界で、妹を幸せにしようと頑張っていた、頑張っていたんだ……! なのに……なのに……!!  オレの人生は……お前のせいでめちゃくちゃだ……!」


 怒りが収まらない。


 なんだこの溢れかえる感情は。


 だが、とても気持ちがいい。


 気分がとてつもなくすっきりする。


 何も壁がない感じだ。


 まるで吸い寄せられるように行きたい方向へ転がり込める。


 同時にこの剣を押し込む力がどんどんとみなぎってくる。

 

「……敬介の人生は分かっている。どんな思いで暮らしてきたのかも……ずっと見ていたから。よく頑張ってたよな……」


 剣越しに見えるティスタの表情は、とても悲しげだった。

 

「オレの何が分かるっていうんだ……! お前は失敗した……! お前の失敗を……オレになすり付けるなよ……」

 

 まただ、どんどんとみなぎってくる、この力が。


 この力でティスタをもう少しで押し切れそうだ。


 そして、切り刻める。


 たまらなく早く刻んでやりたい。


 何度も刻み、切り続け、悲愴に溢れた顔をずっと眺めていたい。

 

「あぁ、オレは失敗した……だが、オレは……助けたい、何が何でもこの国を、世界を、セーレ様を助けたいんだ……!」


 ティスタの目が段々と意思を持つように訴えかけてくる。


「オレには関係ない……お前を殺して、元の世界へ帰る……帰るんだ……」


 この薄暗い洞窟内で、ティスタとの押し合いが続く。


「敬介は、助けたくないのか……? リラ様達を……」


 その言葉になぜか胸がざわつく。


 それに、この突き刺さるような感情はなんだ。


「……助けたい……だと?」


「そうだ、この間の戦いを思い出せ……!!」


「戦い……」


 なんだかうまく思い出せない。


 何か忘れている気がする。


 とても大事な事を。


「敬介は確かにリンガー王国の為に命をかけて戦った……! その覚悟を思い出せ……! こんな術に惑わされるな……!」


「……術、だと……?」


「そうだ、これはあのサラリアという女の術だ! しっかり意思を保て!!」

 

 どういうことだ。

 

 この溢れかえる怒りの感情が嘘だというのか。


 この自分が偽りだと言うのか。

 

「嘘だ……。術なわけ、ない……!」


 途端に力がみなぎり、ティスタの剣を強くはじいた。


 隙が見えた。


 今ならその胸を刺せる。


 こいつを殺れる。


 尖った刃先を向けた。


 もう刺せる。


 この憎き奴を――



『お兄ちゃん!!』


 懐かしい声が聞こえた。


「いおり、なのか!?」


 辺りを見回すがどこにもいない。

 この薄暗い空間に無機質な岩がただ見えるだけだ。

 

『お兄ちゃんは、それでいいの……? お兄ちゃんは本当にそれで良かったと思える?』


 頭の中で響いているようだ。


「……良かった……? これで良かったってなんだよ……オレはこいつのせいでこんな目に……こんなむごたらしい世界でなんでオレが、なんで……」


 今、目の前で顔から血の気が引き、肩から血を流しながら立っている、今にも倒れそうなティスタがいる。

 

 今ならいつだって殺れそうだ。

 

 だが、本当にこれで良いのか。


 自分は一体何を求めているのか。


「ティスタが……オレの目の前にいる……憎きティスタが……目の前にいる……けど、だけど……」


 頭が割れそうな程痛い。


 まただ、あの歌声が響いてくる。


 脳内に訴え掛けてくる。


 憎悪、怒りが押し寄せてくる。

 

 目の前のティスタを殺せと。


「その歌声に耳を貸すな、敬介!!」

 

「うう……」


 目の前の男が必死に自分の名前を呼んでいる。


 何度も何度も。


 頭がくらくらする。


 この男を切り刻みたいんだ。


 そうだ、そのはずだ。


 だがなんだ、この引っ掛かりは。


 楽になりたい、はやく楽になりたいんだ。


 切り裂きたい、切り裂きたい、切り裂きたい。


 この男を切り裂いて――



「敬介!!」


 耳元で大きく自分の名を呼ぶ声が鳴り響く。


 血の匂い、体温、そして荒い息づかいさえも感じる。

 

 ティスタだ。


「離せよ、離せ……。その汚い体をオレから離せ……」


「……敬介、思い出せ、思い出すんだ! 仲間と共に戦っただろ……!!」


 握り締められるこの体に、ティスタの血が自分の腕に染み込むように流れ始めた。

 

 赤い血だ。

 

 そう、とても深く赤い血。


 見える。


 あの時の光景だ。


 あの血だ。


 永遠の大草原オロクプレリーで見た、サガラから流れていたあの血だ。


 そう、自分が殺した男の血。

 

 リラからも流れていた。

 

 エダーからも。


 みんなからも。


 そして自分も。

 

 ティスタの血がこの腕を伝い、指先から一滴一滴としたたり落ちている。


 抱き締められたまま、その手のひらを見つめた。


「……血だ、あの血だ……オレはこの血に……仲間に誓った。この覚悟を……!!」


「……敬介!」


 彼の涙ぐむ顔が目の前にあった。


「……ティスタ」

 

 その血塗られた手で、彼を静かに抱き締めた。

 すると小刻みに震えていた。


「……すまない、ほんとにすまなかった……」


 忘れていたのだ。


 あのを。


 このどうしようもない現実で繰り広げられる非道さや悲しみ、理不尽から生まれる心の弱みをあのサラリアの術によって付け込まれ、己自身を切り刻もうとしていたのだ。

 

 ここまで必死になって頑張っている目の前のティスタを。


 辛い現実は誰もが見たくはないだろう。

 目を閉じていたい。

 何もなかったことにしたい。


 どんなに覚悟を決めたとしても、それが全くないと言えば嘘になるだろう。


 でも、ありたい。


 ――覚悟を決めた自分でありたいんだ。

 


 途端に、目の前の空間が歪み始めた。

 

「敬介、頼む……この世界を……!」


 ティスタの最後の言葉をしっかりと胸に刻んだ。

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