第二章 6.覚悟

黒魔竜こくまりゅう……またサガラね……」


「くそっこんな時に……リラ、治ったか!? 立て直すぞ」


「えぇ」


「第一部隊、体制を立て直す! 戦えるものは俺と共に来い! 他は守りの陣を組み、砲撃の準備を!」

 

 エダーが血だらけの剣を片手に、力強く声を張り上げ、周囲の兵士達へ指示をしている。

 そこには焦りの表情が垣間かいま見える。


 リラはこちらを憐れむようにちらっと見たかと思うと、また凛としたあの真っすぐな瞳で、何かを決心したかのような表情に戻った。


「おい、お前! どこか隅っこにでも隠れてるんだな。こんな覚悟もない奴にこの国を預けられるかよ」


 エダーは敬介に、まるで犯罪者を見るような目で冷たく言い放った。

 

 もう用無しのようだ。


 これから明らかにこの黒い竜とは不利な戦いになるだろう。

 そして、今の自分はもう何も役に立てず、苦戦を強いられるであろう戦いを眺めているしかないのだ。

 そう、もう戦う権利なんてない。


 なぜなら敵一人切れないのだから。


「おい、ティスタ、たたかわないのか?」


 またあの得体の知れない小さな小人が穴からひょっこりと話しかけてくる。


「オレに戦う資格なんてない……、それにオレはティスタじゃない、敬介だ」


「おい、おまえ、ティスタだろ? おいは、においでわかる」


「……ティスタはオレの前の人生だ。ティスタはもう死んだ。戦えないんだ」


 そうだ、死んだんだ、この喪失と共に。


「じゃぁ、なんで、おい、そのもってるんだ?」


「それは……」


 魔物の首を多く切り落とした、どす黒い血で塗られた真っ白な剣を見つめる。

 なぜこんな事になったのだろうか。

 妹にこの世界に連れて来られ、あんなきつい鍛錬まで積んで、こんな戦争に駆り出され、命がけで戦っている。

 元の世界へ帰る為にも、いおりの願いの為にも、ティスタやセーレの為にも、自分は必死に頑張っていたはずだ。

 

「おい、おいたち、たすけてくれないのか?」


「……」


「たすけたくないのか?」


「……そんなことはない……だが……」

 

 ティスタの無念だって、セーレの事だって、この国の民だって助けたいと思っている。

 でも、この剣を振り落とせば切れた敵を、自分は切れなかった。殺せなかった。

 リラがあんなケガを負ってまで敵を抑えていたあの時でさえも。


「もう自分は何も出来ない……必要とされていないんだ……それに、オレには出来なかった、敵を、人間を……殺すことが出来なかった……」


、いるのか?」

 

「え……?」


「ひつよう、かんけいない。おいたち、たすけたいから、やる、それだけ」

 

「助けたいから……?」


「そうだ、みんな、たすけたくないのか?」


 敵兵と激しく剣を交じり合わせるリンガー王国の兵士達。

 残酷にも戦いに敗れた者の中からにじみ出る赤いモノ。

 同じ人間同士がぶつかり、切り刻みあい、敗れた者はまるで人形のように転がっている。

 そんな同志を目にしながらでも、まだ戦う者達。


 あの青年を後ろから躊躇なく切ったエダーは、まるでリンガー王国民全員の命を一人で請け負っているような表情で、必死に残りの兵達に支持を出し、血眼になり、血しぶきを浴びながらでもゴル軍の兵達を次々に斬り倒していく。


 リラは敬介のせいで受けた傷がまだ完治していないのか、手を少しかばいながら、自分自身を休ませることを投げうってでも、向かい来る敵へ剣を抜き、傷だらけのその体で歯を食い縛りながら戦っている。


 皆ボロボロだ。肉体的にも精神的にも。

 そんな見るも無残なこの状態で、いつ命を落とすか分からないこの危機的な状況で、一体なぜそれほど動けるのか。

 

「くそっ、まだ沸いて出やがる……! 向こう側の負傷者の救助も必要だ!」


「私も一緒に行かせて。白魔法をすぐに施すわ」


 エダーとリラの声が聞こえた時、耳奥の鼓膜こまくを圧迫するようなラッパ音が遠くから響いてきた。

 途端に周囲の魔物やゴル軍が慌ただしく撤退し始めた。 


 次の瞬間、耳をつんざくような風の音と共に、体が飛ばされそうな突風が空から地上へ吹き付ける。

 皆、地面へしがみつくようにそれぞれの足を草原の大地へ踏みとどまらせた。

 

 草原を覆いつくす影がどんどんと大きく、濃くなる。

 空が見えなくなる程に大きなは、バッサバッサとコウモリのような骨格を持った巨大な翼を上下させ、凄まじい地響きと共に地上へゆっくりと足を下ろした。

 

「来たな、黒魔竜こくまりゅう使いのサガラ……!」


 エダーの表情が一層険しくなる。


 大きく開いた口には、鋭くとがった大きな牙がずらっと並び、ぼこぼこといびつに形成される頑丈そうで真っ黒な皮膚に覆われたその図体は、敵となる相手に一瞬の望みさえも与えないような姿だった。

 それに上空にいた姿よりも、倍程の大きさに感じる。


 その黒い竜の長い首の後ろには、黒く長い髪を頭高く一本にくくり、着物なようなものを着ている男が居座っている。

 首には何やら黒いアザのようなものがあり、ガリガリに痩せた体はまるで生気を感じとれないような風貌だった。

 虚ろな目でこちらをじっとりと見つめている。


「ひひっ、ついに来たぞ、ついに!! あいつはティスタだ! 百年後のこの世界がついにやってきたのだ……! 今の好機を、この黒魔竜こくまりゅう使いのサガラより、我らに……!!」

 

 背中を後ろに激しくらせながら、ピンと張った腕を伸ばし、敬介を指差している。

 目が飛び出そうな程に白目を覗かせながら、冷ややかな笑みを浮かべているその男はとても薄気味悪かった。


「なぜそれを……」

 

 敬介がそう言葉を発した瞬間、遠くから耳を塞ぎたくなるような爆発音が連続で聞こえ始めた。

 その音とほぼ同時に黒魔竜こくまりゅうが苦しそうな叫び声を上げながら上空を向き、更に甲高かんだかい雄たけびを吐き出し始めた。

 

「打てー!!」


 その爆発音は先程エダー達が準備していた砲弾だった。

 黒魔竜こくまりゅうは確実に全ての砲撃を身体中に受けている。

 かなり効いているようだ。

 悲痛な叫び声を上げながら上を向き続けている。


 ところが、何か様子がおかしい。

 黒魔竜こくまりゅうはそのまま上を向き、急にピタリと静止した。

 すると、見たこともないようなぞくっとさせる薄気味悪い緑色の光が、あの牙が並んでいた口からだんだんと漏れ出し、膨れ上がり続けているのだ。


「いけ! シャーガ!!」


 サガラがそう言い放つと、次の瞬間、恐ろしく鮮やかな緑色の炎を口から勢いよく噴き出し、砲弾が飛んできた方向へ舞い散らした。


 それはこの世のものとは思えないおぞましい光景だった。


 遠くから悲痛な叫び声が聞こえ始める。

 

 この美しかった大草原が一瞬で醜い色の炎に包まれた。


「そんな……まだあちらには仲間が……」


「くそっ! 怪我をした者は待避だ! まだ動けるものは俺に続き、砲弾と同時に足を切る! 付いてこい! おいリラ、大丈夫か!?」


「……ええ、大丈夫よ。私は、戦える……!」


 途切れることなく吹き続けられる無慈悲な炎。

 激しく鳴り響き続ける砲撃音。

 大火傷を負いながらもまだ剣を持ち続ける兵士達。

 掛け声と共に無情な焼け野原へ突き進むエダー達。


 エダーもリラも、リンガー王国の兵士達も、この先が見えない真っ暗な闇をまるでいつくばってでも進むかのようだった。

 

「おい、ティスタ、みんな、たすけたい。それだけ」


 ――助けたい。


 それがあの者達をここまで動かす原動力であり、人を殺める理由だというのか。


 たったそれだけ。

 それだけで、同じ人を切り、また前へ進んでいく。

 ティスタもそうだった。

 セーレを助けたい一心で、あの場所へ一人で飛び込み、躊躇なく人を切った。

 

 あの時キリア女王はこんな見ず知らずの者にさえ、膝を付き懇願してきた。

 『許させよ』、そう言われたあの時の女王の思いを、悲痛な願いを、自分は果たして分かっていたのだろうか。


『おい、お前! どこか隅っこにでも隠れてるんだな。こんな覚悟もない奴にこの国を預けられるかよ』


 あの時エダーが言った言葉が頭に響く。

 彼の言う通り、自分にはなかった、が。


 皆、受け入れている。

 そのを。

 そして、強い思いと共に戦っている。

 それ程までにこの戦いは重圧で重いからだ。


 人を切る事さえ出来ず、救いたい人さえ助けられないのならば。


 哀れむように振舞う、予防線を張っているような中途半端な奴ならば。

 

 ――国の者達の命を預けられるわけがないのだ。

 

 皆が命を懸けて挑んでいるこの悲しき戦いを、共にする覚悟があるのか。


 皆と共にその命尽きるまで、例え命を奪う事になったとしても、同じ人である者と剣を交え、戦える覚悟があるのか、と。


 誰に何を言われようとも、もう構わない。

 叩かれようが、褒められなくてもいい。

 迷いながらでも、戸惑いながらでも必死に進んでやる。



 ――この不条理な世界と共に。



「オレは……助けたい……目の前の人達を……!」


 握りしめるホリスト鋼の剣が段々と光り始めるのだった。

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