第二章 5.戦い

 向かうこと数時間、ついに永遠の大草原オロクプレリーにあるというケレット砦へ到着した。

 この砦は敬介が弓に打たれていたところ、リラ達に救助され、運ばれた場所だ。

 

 この青々しい緑が広がる大草原に、ごつごつとした石で出来た無機質な建物がポツンとそびえ立つ。

 ホリスト城と比べ物にならない程の小ささだが、リンガー王国への侵入をはばんでいる大事な砦とのことだった。

 この場所へまた戻ってくると思ってもいなかった敬介は不思議な縁を感じていた。

 

 敬介とリラは砦の高台に登ると、遠くで繰り広げられている戦いの様子を伺う。

 エダーは下にあるこの建物の入り口付近で荒声を上げながら、慌ただしく他の兵達に指示を出していた。


「これは……劣勢ね。早く行かないと」


 リラが心配そうに呟く。

 一足先に先行した兵達からの様子を聞く限り、かなり苦戦を強いられているとのことだった。

 ぶつかる鈍い金属音や荒々しい声が遠くから響く。

 

「ここをもし突破されたら、どうなるんだ……?」


「この砦の後方には白神ベロボーグ様がいる聖堂があるの。そのおかげで障壁もあって、リンガー王国は魔物の侵入を防げているわ。でも効果は魔物だけで、人間には効かないの。この状況で人間の敵兵にここを突破されて、もし白神ベロボーグ様に何かあったら……、リンガー王国はかなり窮地になる。なんとしてもここを守備しないと」


「そうなのか……」


「ただ最近ね、何かおかしいの。この間バーツが城へ侵入してきたでしょ。なぜ魔物の黒魔鳥こくまちょうと共にこの国へ入ることが出来たのか未だに分からないの。ただバーツの発言から何か知っているようだったわ。セーレ様のクリスタルにヒビが入ったのも何か関係があるのかもしれない……」 


 不安そうなリラと共にこの大草原で繰り広げられる戦場を眺める。

 腰の辺りまで伸びる草花のせいでよくは見えないが、兵士の側にある草の茂みがかなり大きく揺れている。風のせいではなさそうだ。

 それはまるで草の中に何かがいるようだった。


「とにかくこの永遠の大草原オロクプレリーから、ゴル軍を退陣に追い込むわ。もしくは全滅を狙う……!」


 リラの表情はとても真剣だ。

 恐らく何度もこのような戦場を経験してきたのだろう。


「おい、出陣だ!」

 

 エダーが下から叫ぶようにこちらへ投げかける。


「分かったわ」


 リラに続き敬介もこのくすんだ灰色の階段を足早に駆け下りる。

 緊張と恐怖を感じないと言えば、全くの嘘になるだろう。

 リラもそうなのだろうか。

 鉛のような防具に包まれた彼女の小さな背中を見つめる。

 

「俺の隊は草むらに紛れてゆっくりと近付き、敵の背後を突く。付いて来い」


 草原へ出るとリラやエダーの隊と共に、背が高い草花をかき分けながら、頭を低くし、道無き道を進む。

 足が段々と重くなるのは気のせいだろうか。


「おい、お前、ここは戦場だからな」


「あぁ……」


 エダーが敬介をつつくように言い放つ。

 もうその場所は目前だ。

 

「ゴル軍の中には人間の兵士もいれば、草の中に隠れている魔物もいるはずだ。急所を狙って戦え」


 心臓が打ち鳴らされ、また体が震え始めた。

 敬介はセーレにもらった剣を力強く握る。


(……落ち着けよ、敬介)


 そう自分に訴えかけた途端、エダーの手合図と共に兵達は一気に飛び出した。


「うぉぉぉぉぉぉ!!」


 雄たけびが各所から響く。 

 敬介も一緒に飛び出す。

 草がかなり多く、この腰まである丈のせいでかなり走りにくい。


「エダー! そちらに行ったわ!」


「ああ」

 

 リラの声と共に草がかき分けられるように、エダーの方向へ何かが勢いよく駆けていくのが見えた。


 そしてエダーが剣を構えた次の瞬間、素早く何かを切った。

 飛んできたその片割れが敬介の足元ににぶい音と共に落下した。


「狼……の顔!?」


 血をどくどくと流しながら息絶えた生き物が転がっていた。


「それは黒魔狼こくまろうよ! まだ草むらの中にたくさんいるわ!」


 リラもその草原に向かって剣を構える。

 その黒魔狼こくまろうと言われる魔物が草むらから次々に姿を現した。

 

 大型犬程の大きさで、真っ黒な長めの毛の中から、あらわになった鋭い牙と死んだような目が垣間見え、眺めるだけでも恐ろしい姿だった。

 

 敬介もその魔物に剣を構え、固唾かたずを呑んだ。

 その時、足元が異様にぼこぼこしていることに気が付いた。

 土が各所で盛り上がったような状態だ。


「これは……!?」


「おい、おいよ、おまえティスタだな」

 

「え?」

 

 敬介は辺りを見渡す。どこからか声がする。


「こっち、こっちよ。した、したよ」

 

 なんと敬介の足と足の間に、もぐらが出入りする程の穴があり、小さな三角帽を被った土色の肌を持った小人のようなものが自分にしゃべりかけていたのだ。

 

「なんだ!?」


「おい、おいよ、ティスタ。よく、よくきけよ。おいが、あのこくまろうの、こくまろうをふっとばすから、くびを、くびをきるのよ」


「へ!?」

 

「じゃ、よろしくよ」


 不思議すぎる何かがそう言うと、突然穴の中へ消えてしまった。


「今の何だったんだ!?」


 すると、遠くにいた黒魔狼こくまろうが一頭、空高くから自分の方向へすっ飛んできているのが目に入った。


「嘘だろ……!?」


 咄嗟とっさに剣を空に構え、思いきり振ると、黒魔狼こくまろうの首を切ってしまった。

 

「切れたっ……!」


 周囲に魔物の血が飛び散る。

 それはとても気持ちが悪く、吐きそうな気分にさえなった。

 敬介が握るこの剣は切れ味が良すぎるのか、とがれたばかりの包丁のように切れる。

 だが骨の部分は別だ。

 勢いをつけないと、かなり腕が持っていかれるようだ。


「おい、さすがティスタよ。どんどんなげるよ」


 先程の奇妙な生き物がまた穴から顔を出し、すぐに地中に消えたかと思うと、次から次にうごめ黒魔狼こくまろうが飛んできた。

 どうやらあの不可思議で小さい生き物が投げているようだ。


「ちょ、ちょ、多すぎだろっ!」


 慌てて剣を振りまくり、どうにか切り伏せる。

 近くには無残な黒魔狼こくまろうの死骸が多く転がりはじめた。

 最初にこの剣で切った黒魔鳥こくまちょうはチリとなり消えたはずだが、この黒魔狼こくまろうはなぜだかチリにもならず消えてもいない。


「この魔物はチリにならないのか!?」

 

 その時、急所を外したのか、起き上がってきた黒魔狼こくまろうが血だらけでこちらへ走り向かってきた。


「外したのか、くそっ」


 敬介は剣を持ち直しながら、身構えた。


(タイミングよく切るんだ……!)

 

 牙をむく黒魔狼こくまろうが目の前に迫る。

 こちらに襲い掛かろうとした瞬間に、剣で素早くぎ払った。

 血しぶきを浴びた敬介はこの魔物の首を切り落とした瞬間、その死んだような瞳と目があったような気がした。


「うぅ……やべ、吐きそ……動物虐待じゃねーか、これ。いや、魔物虐待……」

 

 その時背後から、何かが向かってきているのが分かった。

 振り向いた敬介が見たものは、


 ゴル軍の人間だった――。


 若い青年だ。同じくらいの歳、いや、もっと若そうだった。

 見開いた目とその険しい表情から、必死さが伺える。

 

 敬介の心臓は一気に今までとは違う音を鳴らし始めた。


 彼は大剣を振り上げ、明らかにこちらへ殺意を向けながら走って来ている。

 身構えなくては、そう分かるのに、なぜか動けないのだ。


(動かなくてはいけない、これは動かなくちゃいけないんだ……)


 だが、何度そう思っても、体が動かない。

 流れ出る冷や汗と、むなしくも激しく響く自身の心臓の音だけがこの体を支配しているようだった。

 

 もう剣を振り落とされる。

 同じ人間に――。


 敬介は目をきつく閉じた。


 だが、何も起こらなかった。


 そっと目を開けると、細い剣がその大剣を受け止めていたのだ。

 

「何してるの! 動いて!!」

 

 ――リラの剣だった。

 

 彼女は相手の剣を危機一髪で抑えたのだ。

 しかし、リラの腕からは血が滴り落ちていた。

 一滴、また一滴と、加速を増してそそり落ちていく。


「リラ……て、手が……」


 ギリギリで敬介を助けたためか、左手で自らの剣を抑えていた。

 彼女のグローブの裂け目から覗くその白い手は小刻みに震え、剣が手のひらに食い込んでいるのが見える。


「いいから動いて!! 早くこの敵を切るのよ……! くっ……」


 血走った目のその若い兵士が、そのまま押し切ろうとしている。

 唇を強くかみ、必死に耐えている彼女のその横顔が自分の目に映る。

 

 だが、ティスタの剣を握る手も、この体も、ガタガタと震え、止まらないのだ。


(……構えろ、構えてこの敵を切るんだ、切ってリラを助けるんだ……! 速く、速く……!!)


「うぅ……、も、もう、持ちこたえられないわ……は、はやっくっ……」


 彼女がもだえ、力尽きかけそうなその時だった。


 突如、リラにもたれ掛かるようにその若い敵兵が倒れこんできたのだ。


 ――エダーだった。


 背後から彼を切ったのだ。


「……おめぇ!! リラを殺す気か!! いいかげんにしろっ……! ここは戦場だって言ったはずだ……! リラをこんな事に巻き込みやがって!!」


 目が血走り、顔中の血管がはっきりと浮き出るほど、怒り狂っている。


「女王がティスタの生まれ変わりとか言われなければ、敵諸共もろとも今、俺に切り刻まれてたからな……!!」


「す、すまない……」


 リラの手から滴り落ちる血、そして倒れ込んだ若い兵士から流れ出る大量の血。

 見渡せば魔物の死骸、兵士達の死体。

 そんな地獄のような絵図が、まるで自分の周りをぐるぐると回っているような、そんな感覚に陥る。

 気が可笑しくなりそうだ。


「すまないで済むわけねーだろうが!! リラ、大丈夫か!?」


「……えぇ。白魔法で治すわ」


「くそっ、ひどいケガだ……」

 

「本当に、すまない……」

 

「……お前はもう戦うな! 今後一切戦うな!! 戦場に出ることは、この俺が絶対に許さない……!!」

 

 その時、大きな影が空にかかったのが分かった。

 見上げるとそこには今まで見たこともない大きさの生き物が上空を支配していた。

 

 それはとてつもない悪い予兆を感じさせるような真っ黒な竜だった。

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