英雄の末路

梨々葉

英雄の末路

「私は絶対諦めないよ!」


 少女は勇ましく叫ぶ。眼前に迫る見上げるほどの大鬼に、微塵も怯むことなく、手にした巨大な盾を掲げる。


 金属がぶつかり合う音が響き、大鬼の持つ巨大な鉈が食い止められる。止められたことに僅かに驚きつつも、大鬼はサッと手を引き、再び鉈を振るう。


 爽やかな風の吹く草原に、刺すような金属音が響き、火花が散る。

 肌を焼くようなジリジリと逼迫した緊張感と共に、その打ち合いは激しさを増していく。


 少女は苦し気ではあるものの、決してうつむかず、力のこもった瞳で大鬼を睨み続ける。


 すると、僅かにたじろいだ大鬼に対し、少女の影から現れた数人が各々の武器を突き立てる。


 右膝に長剣が、左膝裏に長槍が、右足の腱は剣にて断ち切られ、左目には矢が突き刺さる。傷だらけとなり倒れた大鬼は、首を断たれ死んだ。


「なんとかなった……」

「今度こそ無理かと思ったよ」

「…………」

「助かった。いつも敵の攻撃を受けてもらってすまない」

「いいよいいよ。これくらいしか出来ないし!」


 口々に話し始める面々は、軽い足取りで背後にしていた街の門へと向かう。


「……守れたんだね」

「ああ」


 先程の大鬼は、まさにこの街を破壊しようとしていた。人を食らう魔物にとって、街は餌の宝庫だ。狙われないわけがない。


「何回来ても返り討ちだよ!」

「もう来ないで……」

「同感だね」


 元気の有り余った様子の少女に対し、仲間たちは疲弊気味だ。


「相変わらずどんな体してんだよ」

「むっ!セクハラ!」

「はぁ!?」

「今のでダメなのか……?」


 達成感からか、ワチャワチャと賑やかな四人。


「……うるさい」


 そして静かな一人。

 五人は街へ戻ると、人々から感謝され、ゆっくりと休むのだった。




 少女は不屈。

 何者にも屈さない心を持ち、その強靭な肉体で、戦場に立ち続けるもの。


 その心は正義に溢れ、街を守るため力を振るう。

 その行為に対価は求めず、無欲に義を為す姿はまさしく英雄。





「あ……」





 しかして、その力は守るためのものにあらず。


 それは生きるための力。他ではなく、己が。どんな戦場であってもその心は、膝は折れず。

 そう、たとえ──



「………………」



 たとえ、仲間を全て失おうとも。


「わ、私は……」


 その心に、


「──諦めない……!」


 絶望は許されない。


「────!」


 大気を揺らす竜の咆哮。それは未だ抗う少女への憐れみか、はたまた食事を妨げる小さな虫への苛立ちか。


「────ッ!」


 しかし少女は目を逸らさない。逸らせない。


 仲間の血に沈んだ街の中に一人立ち、仇である天空のそれへと力強い視線を向ける。


 小娘の睨みなど、大いなる竜にとって、そも認識できるものですらない。無造作に放たれた風の刃が、少女をいつも守ってきた金属の壁をガリガリと削っていく。


「私は──」


 バキッ、という音と共に少女と竜の視線が交わる。


「諦めな──」


 一人の英雄は、その偉業を知るものたちと共に、大いなる存在の腹へと消えた。






「依頼は必ずやり遂げる」


 黒い外套に黒い靴、黒い手袋をつけ、全身を黒に染めた男が闇の中を走る。

 風のように軽やかに、猫のようにしなやかに、月明かりすらない新月の夜を駆け抜ける。


 しかし、その後に跡なく、音もなく、まるで夜の一部であるかのごとく。


「ふぁあ……ねみぃ」

「────」


 門の前に立つ門番のすぐ横を通って目的地へとたどり着く。


 三階建ての豪華な屋敷。この国随一の財力を惜しむことなく注ぎ込まれた豪華絢爛の極み。

 調査で判明した目標の所業に僅かに顔を歪めるも、瞬く間に切り替え、仕事に集中する。


 玄関から堂々と、しかし息を潜めて潜り込む。目標の部屋は三階の中心。階段は一階から二階は中心に一つと二階から三階は東西の端に二つ。

 かなり広い屋敷だ。目標までは相応に時間がかかるだろう。


 贅を尽くした調度品を睨みながら、男は入ってすぐの階段を駆け上がる。


 今回の依頼の目標は、この国の多くの民から嫌われている。その横暴な振る舞いに、その傲慢な考えに、その悪辣たる行動に…………一体どれほどの者が苦しめられたのだろう。一体どれほどの者が殺してやりたいと思っただろう。


 しかし、男は富と権力を持つ者だ。それも、とても莫大で、とても強力な。

 彼の悪事は、その多くが知られていながらも、確たる証拠は揉み消され、様々な機関にも金を握らせた協力者を抱え込んでいるため、公的には裁けず、遂に、暗殺という形となったのだ。


 そして、この国で、いや、世界で随一の暗殺者たる男に依頼が訪れた。


「────」


 三階への階段を上り、廊下を駆け抜け、一つの部屋の前に立つ。


「────」


 男は、扉を開いた。






 男は影。

 何者にも囚われず、何者にも捉えられない。闇の住人でありながら、義に厚く、気にくわない依頼は受けないが、受けた依頼は必ずやり遂げる。


 誰にも顔を知られず、誰にも名を知られず、影のようにひっそりと悪を討つ。

 闇の者であれ、そのあり方はまさしく英雄。





「────!?」





 しかして彼は影。

 光の中で振るうほどの力は持たぬ存在。


 それはただ捉えられないだけの技術。

 捉えられない?認識できない?ならば、


「全て吹き飛ばすまでよ……!」


 醜く肥太った豚のごとき目標は、僅かに致命を避けながらも、最早助からないであろう傷のまま言う。

 床に広がった血は、不吉さを感じさせるようにどす黒く、じわりじわりとカーペットの白を侵食していく。


「────!」


 男は窓に手をかけ、外に出ようと試みる。そして、難なく外に出ることに成功し、拍子抜けしたように肩を撫で下ろす。


 その日、とあるが爆炎に包まれ、それと同時、一人の男の噂がめっきりと消え去った。






「俺は、ハッピーエンドを掴む……!」


 青年は血を吐いて、地を這って叫ぶ。その瞳の力は微塵も失われることなく、ただひたすらに正面を見つめる。


 悶えたくなるほどの苦しみも、目前に迫った恐怖も、全て捩じ伏せて、ただ一言念じる。治れ、と。


「────!」


 青年の口から、声にならない叫びが溢れ、腹空いた大きな穴がじわじわと、まるで逆再生のように塞がっていく。


 しかし、それにともない青年を襲うのは、その傷によってこれから受けたであろう全ての痛み、苦しみ……ありとあらゆる不快なもの。それは体だけでなく心も痛め付け、死するまでの全ての苦しみを、青年に砲弾のごとく叩きつける。


「────」


 最早傷が癒え、数刻経っただろうか。ようやく青年が体を起こす。


「──お兄ちゃん!」

「! 無事だったか!」

「うん!」


 青年に歓声と共に駆け寄るのは、一人の少女。己を殺しかけた魔物を退け、その代償として自分の身を傷つけた青年をヒーローであるかのようにキラキラとした瞳で見つめる。その青年は、あまりの苦悶に、少女の存在を気にしている余裕がなかったようだ。


「無事でよかった」

「──ねぇ」

「ん?」


 息をつく青年に、少女は問いかける。


「なんで助けてくれたの?」

「なんでって……」


 男は一瞬、困惑した様子を見せるも、すぐに返す。


「助けるのに、理由なんていらないだろ?強いていうなら、見殺すのは後味が悪いし、君を助けられる力が俺にあったから、かな」

「……そっか」


 青年が爽やかな笑みと共にそう言って、少女の頭を撫でると、少女はどこか影のある表情で俯いた。


「それに、俺はバッドエンドってやつが嫌いなんだ。どうせならハッピーエンド、だろ?」






 青年は純粋。

 どこまでも青く純粋な理想を抱え、どこまでもその肉体をな状態へと巻き戻す。

 知己だけでなく、目に映る全てを救い上げ、その全てが笑える未来が作れると信じている。


 その理想は若く、青く、純粋で……歪んでいる。

 その理想のためならば己の苦しみなど一切考慮しない。それは献身、慈愛と呼ぶべきか、狂気、異端と呼ぶべきか。

 とはいえ、その行動は、英雄と呼ばれても過言ではない。





「……え?」





 しかして、その理想は高く、眩しく……それこそ、近づいた鳥の目を潰し、落下死させるほどに。


「あなたは……!」

「────!」


 今しがた癒えた腹より上、心臓の位置を確かに捉えた小さく、切れ味のよくない刃が、無理矢理青年の肉を抉り、血管を引きちぎる。

 刃が動く度に熾烈な痛みが青年を苦しめ、ガフッ、と血を吐かせる。


「な……んで……」


 力が抜け、瞳の光が消え、動揺により、上手く体が癒せない。


「なんで、ですか?」


 青年の問いかけに対する返答は、地獄の底から響くように冷たく、ゾッとするほど低く響いた。


「あなたはハッピーエンドが望みなんでしょう?なら、私もハッピーにしてくださいよ。あなた、人を殺したことはあるでしょう?」

「そ、れは……」


 ある。その返答が出てこない。


「知ってますよ。だって……だってだってだってだってだってだってだってだってだってだって!……殺されたのは、私の姉ですから」

「────!?」


 そういう少女の表情は、どこまでも冷たく、どこまでも無感情で、どこまでも絶望していた。


「皆救うんでしょう?なんで殺したんですか?なんで救おうとしなかったんですか?なんで話そうとしなかったんですか?なんで助けようとしなかったんですか?ねぇ、なんでですか?」

「ぬ……ぬすみ、を」


 少女の姉は盗賊だった。孤児であり、生きる術を持たぬ幼子が唯一思い付けた生きる道。まだ幼い妹を置いて、僅かな仲間と街道を行く者から少しずつ盗んでいた。


「私、ずっと待ってたんですよ。正義感が強くて、悪事なんて本当はしたくなかった姉が私のために必死で頑張ってくれていると知ってたから。でも、姉は二度と戻ってこなかった。あなたが……あなたが殺したから!」


 それは、逆恨みだろう。残酷な現実に、行き場を失くした心が暴走しただけのもの。


「あ……ぁ……」


 しかし、純粋で、まっすぐで、自分は正義を為しているのだと信じていた青年にとってそれは、致命の一撃だった。


「ねぇ、知らなかったでしょう?覚えていなかったでしょう?私はこんなに辛かったのに、苦しかったのに、悲しかったのに……あなたがいなければ……あなたがいなければ姉は……姉は……!」

「────」


 最早抵抗する気も失せた青年は、為されるがまま死を待っている。


「ふふ、そう簡単にしなせませんよ。この短剣は軽い再生の加護を持っているんです。じわじわ、じわじわとあなたを苦しめる……あと数時間は生きられますよ。嬉しいでしょう?」


 青年の顔を覗き込む瞳は、曇りきり、一欠片の希望すら見えなかった。


 その日、一人の青年の夢が潰えた。






 ある日、一人の男が車に引かれかけた一人の少女の身代わりとなった。代償として男は死んだ。

 男は讃えられた。名誉の死だと。

 そして、忘れられた。ありきたりな出来事だと。


 ある日、一人の少年が飢えて死んだ。一度の盗みも働くことなく、一度も闇に、手を染めることなく。

 少年は掃き捨てられた。ゴミにすぎないと。

 そして、消えた。何者にも知られぬまま。


 ある日、一人の少女がイジメを止めた。卑怯なことは止めろと、そんなことをしても何も生まれないと。

 少女は首を吊った。イジメられて。

 そして、失った。あるべき未来も全て。


 英雄。そう、彼らは英雄だ。




 正しいことを正しいように。

 するべきことをするべきように。


 さすれば、英雄となれるだろう。


 しかし、その終わりに差異はない。

 街を流れる塵芥でも、世界を救った大英雄でも、世界を閉ざした愚か者でも。


 正しきことが報われるとは限らない。悪しきことが報われるとは限らない。




 ならばあなたは、どう終わる?

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