凡人な僕の向き合い方

くろねこどらごん

凡人な僕の向き合い方

―――好きってなんだろう






そんなことを、最近よく考えるようになった








あれから二ヶ月ほどが経った。季節はもう夏を過ぎ、秋に差し掛かろうとしている。


結論から言うと、あれ以来ファンクラブから僕へのいじめはなくなっていた。




最初彼らは僕の言葉を信じることはなかったが、一週間が過ぎ、二週間に差し掛かっても楓が僕に話しかけてくることも、昼飯の誘いもしてこない姿を確認してからようやく信じる気になったようだった。


一ヶ月が経った頃には、もう僕をいじめていたことすら忘れたように、また雑誌を持ち出して楓のことで勝手に盛り上がっていた。




人の噂も七十五日というが、元々彼らにとって重要なのは楓であり、僕は彼女と付き合っていただけの身の程知らずの男だ。


誰も道端の石など気にしないように、僕の存在など元々その程度のものだったのだろう。クラスメイトともう会話することはないが、それを除けば以前のような平穏を、僕は徐々に取り戻しつつあった。








だからだろうか。最近はよく楓のことを目で追うようになった。


心にようやく余裕ができたということなのかもしれない。これまでの僕は自分のことしか考えることができなかった。言い訳になるが、それくらい追い詰められていたのだ。




今の僕から見た楓は、以前よりもどこかやつれているように見える。


僕と別れた後、楓は変わった。以前までの明るさは鳴りを潜め、暗い顔を見せるようになり、周囲にもどこか壁を作るようになったのだ。




男子連中は明るい楓も良かったが、憂いを帯びた表情を見せる楓もいいと、勝手なことを言ってはしゃいでいた。アイドルとはそんなものなのかもしれない。本人の意思など関係なく、外野は無関係に楓の一挙一動に理由をつけて盛り上がる。


僕は自分だけがつらい思いをしていると思っていたが、彼女にもまた人気者ゆえの苦労があることを、今更ながら思い知った。




そんな男子に対して、女子は楓を守るように励ましている姿をよく見かけた。


楓から離れていく女子ももちろんいたが、それでも元々彼女を中心に作られたグループが多数派だ。


時折恨めしそうに僕のことを見てくる女子が何人かいたが、それでもなにか言われたことはない。楓から止められているのかもしれないと、なんとなく思っている。




僕と別れたことを知った男子が最初のうちは我先にと、楓と距離を詰めようと躍起になっていたのだが、そのことごとくを彼女達がガードしているようだった。


菅田も例外ではなく、今のところ楓と一緒にいる姿を見かけたことはない。


まだ告白をしていないのだろうか。そのことを考えると、胸の奥がひどく痛んだ。












「好きってなんだろうな」




「は?なんだよ、いきなり」




僕は屋上のフェンスに寄りかかりながら、一緒に惣菜パンを食べている友人に話しかけた。


他のクラスの生徒で、宮野という男子だ。同じ中学の出身で、たまたま同じクラスでそれなりに話が合ったというくらいの、ありふれた共通点しかもたないただの友人。楓のファンクラブにも加入しておらず、僕のいじめのことも知らないため、僕が学校で話せる数少ない知り合いのひとりだった。


そんな宮野とたまたま購買で一緒になり、ともに屋上まで足を運んでいた。




「最近、そのことを考えるようになってさ」




「未練でもあんのか?お前から白瀬さんと別れたんだろ」




「…かもしれない」




なんでこんなことを宮野に話しているのかは、僕自身よく分かっていなかった。


今更になって、誰でもいいから内心を吐き出したかったのかもしれない。


彼には迷惑な話だろうが、それでも僕は誰かにこのことを聞いてみたかったのだ。


宮野は少し考え込むような顔をした後、パンを一口齧り話し出した。




「相手と一緒にいたいとか独り占めしたいとか、そういうんじゃねーの?俺は彼女いたことねーからはっきりとはわかんねーわ。中学の頃に初恋はしたけど、見事に玉砕したしな」




「…そっか」




明確な答えをもらえるとは思ってなかったが、宮野が答えてくれたことは恋愛小説を開けば一ページ目にのっていそうな、ありふれた言葉だった。


なんとなく落ち込んでしまう僕に、宮野は呆れた表情を見せている。




「なにへこんでんだよ。だいたい、俺の初恋相手って白瀬さんだぜ?お前なら仕方ないって諦めたのに、なんでお前から別れてんだよ。せっかくだから、理由聞かせろ」




「え…そうだったの?でも僕なら仕方ないって…」




「お前と一緒にいる白瀬さん、いつもすげー楽しそうな顔してたんだよ。で、ありゃ無理だなって思った。だからおかしいと思ってたんだけど、なにあったんだよ。振ったお前まで後悔してるとか、変な話だろ」




「…それは」




言っても、いいんだろうか。


これから話すことはきっと、男としてはひどく情けないことだ。


呆れられてしまうかもしれない。なにやってるんだと怒られるかもしれない。


僕の話を聞いた宮野もまた、僕をいじめるかもしれないという恐怖が、僕を躊躇させていた。






そんな中、屋上にチャイムの音が響き渡った。


予鈴のチャイムだ。いつの間にかかなりの時間が経っていたらしい。


見渡すと、他の生徒は既にいなかった。僕らも急がないと間に合わないかもしれない。






―――良かった。これで話さずにすむ。






内心僕は、醜い安堵の息をついていた。


僕はまた逃げようとしている。せっかく宮野がきっかけをくれたのに、楓と同じように、僕は自分の弱さを友人に晒すことを恐れていたのだ。






―――やっぱり僕はどこまでも駄目なやつだ






そんな醜い自分を晒さないよう、僕は顔に曖昧な作り笑いを貼り付けて、宮野に話しかけた。




「ほら、チャイム鳴ったよ。僕の話はいいから、そろそろ戻らないと…」




「いいから話せよ、まだ終わってないだろ」




出口に向かおうとする僕の腕を、宮野は強引に掴み上げた。


思わず振り返るが、その顔には怒りの表情が浮かんでいた。




「いや、でも…」




「俺がスッキリしねーんだよ。このまま授業なんか受けれるか。たまにはサボったって構わないだろ」




いいよな、と凄む宮野に僕は逆らうことができなかった。










それから僕はポツポツと語りだした。




楓とズレが出来てしまったこと。


楓のファンクラブに嫌がらせや罵声を浴びせられ、僕が参ってしまったこと。


菅田のこと。


全てに耐え切れなくなり、やけになった僕が一方的に楓を捨てたこと。


そして今更ながらそれを後悔していること。




全て吐き出した。途中で泣きながら、あるいは懺悔しながら、僕は宮野に全てのことをぶちまけた。




語り終えてむき出しのアスファルトの床に蹲る僕を、宮野が静かな目で見つめていた。




「後悔しているんだ。全て嫌になって投げ出してから、ようやく楓が僕にとってどれだけ大切な人だったのか分かったんだ。いくらいつも通りの毎日がおくれても、楓がいなきゃ意味なんて無かったのに……」




「……それで結局お前はどうしたいんだよ?」




「楓ともう一度やり直したい。……僕にそんな資格がないのは分かっている。でも、いくら無視しようとしても気持ちが止められないんだ。やっぱり僕は、楓のことが好きなんだよ」




「答え最初からでてんじゃねーか」




宮野はため息をついた。それでも見上げた時に見た顔は、どこか優しいものだった。




「話聞いたところ、白瀬さんからしたらお前さんに一方的に別れを告げられただけだからな。その菅田ってやつと黙って出かけたりした白瀬さんにも悪いところはあるけど、それでもやっぱ日野の方が悪いよ」




「…僕はどうしたらいいんだろう」




「そりゃ話し合うしかねーだろ」




当たり前のように宮野は言った。




「まぁ結局は二人の考えが違ったことが原因みたいだからな。日野はさ、ちゃんと白瀬さんと話しあうべきだったんだよ。白瀬さんとの間にズレを感じたら、それを直すためになんか努力をするべきだったわけだ。いつも一緒だったし、それくらいいつでもできたろ?相手に甘えてそれを怠ったからそんなことになったわけだ」




まぁ部外者だから言えるんだけどなという宮野の言葉に、僕は少しも反論できなかった。


お互い好きなのだから大丈夫だと言い訳して、僕と楓の間にあったズレを広げたまま見て見ぬふりを続けたのは、他ならぬ僕だから。




今はただ、楓に対する申し訳なさと後悔の気持ちしかない。




「ほんとに白瀬さんとやり直したいなら、謝って話し合え。俺に話したこと全部白瀬さんにも話して、今の白瀬さんの気持ちも聞き出して、お互いに全部ぶちまけちまえ。白瀬さんは許してくれないかもしれないが、まぁお前が後悔することはなくなるだろ。今も俺に話して少しはスッキリしたろ?」




僕は頷く。確かに心は軽くなった気がする。それでもまだ、恐れはあった。




「そんなことをしていいのかな?……僕にそんな資格があるのかな?」




「んなもんしらんわ」




宮野は僕の疑問を、一刀両断する。それから頭を軽くかき、ひどくどうでも良さそうにいった。




「誰かと話すのに資格なんているかよ。俺がお前の話を聞いたのは、俺がスッキリしたいからだ。日野のためじゃない。だいたいお前は周りを気にしすぎなんだよ。白瀬さんはすげー美人だし有名人だけど、それでもお前はこれまで付き合ってきたんだろ?なら、自分を信じてやれ。まぁ無理だったとしてもまた愚痴くらいは聞いてやるよ」




そういって宮野はそっぽを向いた。顔が赤くなっている。


恥ずかしいことを言ってしまったと思ったのだろう。気にしなくても、僕のほうがよほど恥ずかしい姿を見せたというのに。


僕は思わず笑ってしまった。宮野はふてくされたような顔でこちらを見てくる。




「なんだよ」




「なんでもないって。僕、明日楓と話してみるよ。許してもらえないかもしれないし、話を聞いてくれないかもしれないけど。それでも、今の僕の気持ちを全部伝えてみようと思う。…宮野も、僕の話を聞いてくれてありがとう」




「…そっか。まぁ気にすんなよ。今度飯でも奢ってくれたらそれでいいわ」




そういって宮野はひとり、出口まで歩いてゆく。


僕はもう少しだけ、屋上で風に当たっていたい気分だった。


いつの間にか、授業は終わってしまったようだった。随分と話し込んでしまったらしい。


ドアノブに手をかけていた宮野が不意に、思い出したかのように振り返った。






「そういえば噂で聞いたんだけどな、菅田って誰かに告白して振られたらしいぞ。相手にまだ好きなひといるんだとさ」




「え…?」




それじゃなとだけ声を残して、今度こそ宮野は去っていった。


ドアが閉まるガチャンという大きな音が響き渡る。




「…なんだよ。最初からそのつもりだったんじゃないか」




今度ありったけの小遣いをもって、美味しいものでも奢ろう。


友人の心遣いに、僕は心から感謝した。


その気持ちを、裏切ることなんてできない。




見上げた空は、とても綺麗な青空だった。












翌日の放課後、僕は楓を教室に呼び出した。僕が一方的に楓に別れを突きつけた、この教室へ。




楓の電話番号やIDはもう消してしまっていた。


未練を残したくなかったからだが、今はこうしてここにいるのだから、改めて未練たらしい男だと思う。




古典的だが、今日朝早く登校して、彼女の下駄箱に呼び出しの手紙を入れておいた。


楓が来てくれるかはわからない。もしかしたら手紙を捨ててしまったかもしれない。


そのときはいつまでも待つだけの馬鹿な僕がいるだけだ。宮野への土産話くらいにはなるだろう。








ふと窓の外を見ると夕日が見えた。あの日と同じように、光を浴びて教室内は輝いている。何度見ても飽きることのない、幻想的な光景。






―――綺麗だな






心からそう思う。


あの日も、僕は夕日を見てそう感じた。でも、今の僕は夕日を見てどこか不安な気持ちも沸いてくる。






―――楓は本当にきてくれるのだろうか






―――もう帰ってしまったんじゃないか






―――もう僕の顔なんて見たくないんじゃないか






嫌な想像ばかりが頭をよぎる。やはり来てはくれないかと、諦めの方に気持ちが傾きかけた時、彼女が現れた。






「…まだ、いたんだね」






振り向くとそこに楓がいた。


あの日の彼女はどこかぎこちない笑顔を浮かべていた。


でも今の彼女は教室で見たような、暗い顔をしていた。


どこか他人行儀な、今からでも逃げ出したいとでもいいたげな顔をしている。


どこか怯えた目で、僕を見つめていた。






だけどそれでもよかった。楓が来てくれた。ただそれだけで、気持ちが満たされ、さっきまで湧き上がっていた不安もどこかへいってしまったのだ。






―――そうだ。この気持ちだ。あの日、楓に告白した時も、僕はこの気持ちを抱いていた






どうして忘れてしまっていたのだろう。楓がいてくれれば、僕はただそれだけで良かったのに。




「来てくれて本当にありがとう。今日は楓と、どうしても話したいことがあったんだ」




「話したいこと?」




逸る気持ちを押さえつけ、僕は楓に話しかけた。


楓は首をかしげている。その仕草だけで、鼓動が早まった気さえした。




「うん。今から僕が話す内容は、楓にとって気持ちのいいものではないと思う。でも、聞いて欲しいんだ。あの日、いやその前からずっと楓に言えなかったことを、これから全部伝えるから」








僕は一方的に語りだした。


いじめのこと。


楓との気持ちのズレ。


僕が抱いた暗くて醜い感情。


菅田といた楓を見て安堵したこと。


全てどうでもよくなって、楓から逃げたこと。


逃げたことで最初は安堵してたけど、その後ずっと後悔していたこと。




そして最後に、今僕が抱いている素直な気持ちを楓に全て語り尽くした。






楓は僕の話を、ずっと黙って聞いていた。表情は途中で崩れ、今にも泣き出しそうになっていたけど、それでもなにもいわず、唇を噛み締めながらずっと話を聞いてくれた。




「高校に入学してから、楓が変わっていくのが辛かった。最初は僕が変えたんだって思えて嬉しかったけど、変わらないままで満足していた僕との差がどんどん広がっていくみたいで、楓が皆に認められていく度に僕達の距離が離れていく気がした。楓の笑顔を見るのが、辛くなっていったんだ。釣り合わないってことは分かってたけど、それでも好きって気持ちがあればなんとかなると思ってた。それを言い訳にして、お互いの気持ちを話し合わなかったことを、僕は後悔してる」




最後に僕は頭を下げる。言いたいことは全て伝えた。


これから言うことはこれまでの謝罪であり、これからの僕を変えるための、告白だった。




「楓に黙っていてごめんなさい。別れてほしいなんて、勝手な都合を押し付けてごめんなさい。こんな醜い感情を抱く前に、きちんと話し合わなくてごめんなさい。こんな弱い僕で、本当にごめんなさい」




「でも、楓と別れてわかったんだ。僕はやっぱり、楓が好きなんだ。すぐには無理だと思うけど、自分を変えれるよう努力する。またいじめられても、今度はちゃんと話す。楓と少しでも釣り合うよう、頑張ってみる。なにかあったらそのことも話すし、嘘もつかない。強くなれるように頑張る…だから僕と、もう一度だけ付き合ってください」






お願いします、と再度頭を下げた。


しばらくの間、楓は何も答えなかった。教室に沈黙が流れる。やがて楓は、小さな声で語り始めた。






「……私は、あき君がいてくれたらそれでよかったの。あき君が綺麗になったら喜んでくれるかなって思ってオシャレを頑張った。あき君が褒めてくれるから、いろいろできるようになろうと思った。あき君がいうから頑張ってみたら、たくさんの人に囲まれるようになったんだ」




「私は多分、浮かれていたんだと思う。それまであき君以外の人と一緒にいることなんてなかったから、いろんな人に頼られて、優しくされて、気付かないうちに舞い上がっていたんだって、今では思う。あき君に黙って秀人君と出かけたのだって、あの時は相談にのってもらっただけって言ったけど、心のどこかではデートだって自覚していた。もしかしたら、あき君と秀人君のことを内心比べちゃっていたのかもしれないんだ。だから後ろめたくて、ずっと話しかけることなんてできなかった」




「でも、あき君に別れを言われてからね、ずっと考えていたの。私はやっぱりあき君のことが好きなんだって。一番大切なのはあき君だってずっと分かってたはずなのにね」




そう話す楓は泣いていた。あの日のように目から涙を溢れさせ、だけど優しく笑っていた。




「私のほうこそごめんなさい。きちんと気持ちを話し合わなくてごめんなさい。あき君が嫌がらせを受けているのに気付かなくてごめんなさい。……私達は結局、お互いから逃げていたんだね。だから私も弱くて卑怯な子なんだよ。だから私達もう一度最初からやり直そう?そんな私達でも、もう一度恋人になろう?」






「ほんとに、いいの…?」






「うん、私もあき君がいいの。私のほうこそ、お願いします」






そう言って笑顔で涙を流す楓の顔がぼやけて映る。頬を伝う温かさも全部無視して、僕はあの日告白した時のように、もう一度彼女を抱きしめた。














―――好きってなんだろう






多分その答えは人によって違うもので、永遠に共通する答えなんてでないものなんだと思う。だけど、僕にとっての答えはすでにでた。




僕にとって好きとは楓のことで、楓への気持ちそのものだった。もうこの気持ちを忘れることはないと思う。






周りがなんと言おうとも。たとえ釣り合っていなくても。


自分の気持ちにだけは、結局嘘をつけなかった。


そしてもうつきたくないし、つくこともないだろう。






僕はもう大丈夫だと思う。この先どんなに辛いことがあっても、またいじめを受けるようなことが起きても、きっと。








だって僕が一番大切な人が、いつまでも変わらない笑顔で、ずっと隣にいてくれるんだから

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