第9話 ファンデーション:次なるフェーズ

デスク上の、カンファレンス専用ディスプレイを収納すると、私は、お茶で一息つこうと思い、椅子から立ち上がった。その瞬間、30センチほど浮き上がって、同時にバランスを崩してしまった。

軽く(自分に向かって)悪態をつきながら、着地する床に障害物がないことを、さっと視線を投げて確認し、徐に着地した。

ここに来て、2ヶ月。まだ、ここの重力が地球のそれとは異なり、地球の6分の1でしかないことを体が覚えようとしない。

(徐々に慣れるしかないかな・・・)

それにしても、今日の、地球との定例会議”も”、興味津々の幹部達の、進捗状況に対する質問が怒涛のように押し寄せたものだった。


2ヶ月前ーーー。

私は、アイスランドにいた。

アイスランドの、エイヤフィヤトラヨークトル火山の麓では、ファンデーションの食用植物栽培実験フィールドが設けられ、そこで、火山性土壌の調査と、それらの、汎用土壌への改良を行う試みが為されていた。

このタスクのために、5年くらい前にそれまで勤めていたアイスランド農業大学を辞め、専門とする土壌物理学の知識と経験を携えて、ファンデーションのメンバーに加わったのだった。

始め、一見すると「無謀」に見える、火山性土壌の植物栽培への転用が本当に可能なのか、土壌の専門家としての懐疑心は強かった。

しかしながら、ファンデーションは、営利目的ではなく、ただ”純粋に”、汎用土壌による、地球「外」農業、そして、「アストロ・ハビテーション」に向かって邁進する組織だったので、メンバー達の熱意と思いには、圧倒されるものがあった。

自然、自分もその熱意と思いに容易に感化され、「できる・できるはず」と思いながら、突き進むことになった。


「君は、一度のめり込むと、ひたすら突き進むねぇ。」

と、端で見ている夫に、よく茶化されたものだった。

茶化されても、「まぁ、見ていらっしゃい!」と軽く応じたものの、このフィールド実験は、決して平坦なものではなかった。それでも、このタスクに関わって、3年目には、ある成果を得るに至った。


ーーーある火山性土壌は、いくつかの処理プロセスの後、植物栽培に転用できる。


このことは、ファンデーションの、月面地下での食用植物栽培を、大きく後押しすることになった。


ファンデーションが、食用植物栽培を行っているのは、月面「地下」であるが、その地下は元々、大昔の、月の「火山活動」で出来た「溶岩洞」なのだ。

地球の火山近辺にも溶岩洞はしばしば見られる。しかし、地球の重力は月のそれの6倍。溶岩が冷えて、洞窟が出来ても、洞窟の天井は自重で崩れることも多かったので、地球で見られる溶岩洞は、規模の小さいものである。

一方、地球の6分の1の重力で、(落下してくる隕石以外に)侵食するものがない月では、出来た大きな溶岩洞が、半永久的に存在する。

ファンデーションの施設だけでなく、セレーネ月都市も、機能のほとんどを地下に置き、その地下は、元々は溶岩洞であった。


そして、ファンデーションに移って、3年目に得た成果を、汎用土壌創生に向けて発展させようとしていた矢先・・・。


2人の子供達はハイティーンになっており、夫は仕事の関係でレイキャビークを離れることが出来なかったので、私は、フィールド実験場近くに設けられた簡易宿泊所で週日は独りで生活し、週末になるとレイキャビークに戻るという生活をしていた。


その日、週末に上の子の誕生日を祝い、その余韻に浸りながら、フィールド実験場近くの簡易宿泊所に戻ってくると、宿泊所は明らかに、いつもの週末より人の気配が多いために、部屋の明かりで明るくなっており、おまけに、少々、どよめきともざわめきともつかぬ、落ち着きのない感じが漂っていた。


(こんな週末の夜更けに、何だろう・・・)


宿泊所に足を踏み入れた途端、いつもと違う原因が、即座に判明した。


(え!? なぜ、彼女がこんなところに???)


目の前にいたのは、ファンデーションの創立者であった。

彼女のことは、ファンデーションに加わってから初めて、「創立者」であることを知ったが、ファンデーションは表向き、「複数の創立メンバーで」創立されたことになっている。彼女は常に、「私は、ファンデーションの最初のアイデアを出しただけ」と言い、CEOや財団理事長職に就くことを拒否し、自身はCTO(チーフ・テクニカル・オフィサー)として、フィールド実験場を飛び回っている。


彼女はここのフィールド実験場には、何度も足を運んでいるが、その時は、いつも「前もって」訪問が告げられていた。今日のは、完全に不意打ちで、サプライズだった。


「お久しぶりね。週末を存分に楽しんできた?」

「・・・え、えぇ。上の子の誕生日だったのです。」

「何歳になったのかしら?」

「あ、18歳になりました。」

「もう一人、お子さんがいましたよね?」

「ええ。」

「そちらは、何歳?」

「半年後に、16歳になります。」

「じゃあ、パパやママの手はほとんどかからないわね?」

「え、まぁ、、、」

彼女が、どこに話を持っていこうとしているのか、全く見当がつかなかった。


「ねぇ、月に行って、あちらの指揮をしてくれないかしら?」


「・・・」(え!?月?・・・彼女、今、「月」って言った?)

私は一瞬、口に出す言葉が正しいのかどうか分からなくなって、言葉が続かなかった。


「あのね、月の方の火山性土壌が、思ったより『手がかかりそう』なのよ。手伝ってくれると助かるんだけど。」

彼女は、「月」がまるで、”ご近所”のような感じで、口にしている。


「それを言いに、ここにいらっしゃったのですか?」

「そうよ。」


彼女はいつもそうだが、率直だ。元々は物理科学者だったそうで、論理と合理性をそのまま体現したような人で、従って、言うこと・言うべきことを無駄な言葉で飾ることをしない。彼女が、CEOや財団理事長であったとしたら、、、彼女の率直さは、時に、組織を「困惑」しかねないのかも知れない。それを分かっているが故に、彼女は敢えて、CTOにとどまって、外を渡り歩いているのだろう。

一方で、彼女のCTOとしての器量は、異論を挟む余地がない。フィールド実験場のプロトタイプを作ったのは彼女であるし、フィールドと理論を結びつける方法論を確立したのも彼女であるといって過言ない。故に、彼女のフィールド実験場に対する采配には全幅の信頼が寄せられている。


(その彼女が、私に、月に行ってくれ、と言っている・・・)


と言うことは、、、「これ」は、私でないと出来ない事、ということになるのかしら・・・?

「あの、、、ちょっと考えさせてください。」

「もちろんよ。」


と言った後で、ほんの一瞬、彼女の口角が上がったのを、私は見逃さなかった。


・・・そして、私は、彼女の思惑通り、月に来てしまった。


ーーー


「それで、今の報告にあった、不足窒素分の調達先だけど、月での可能性は全くないの?」

「いえ、あるにはあります。しかも、成分比的には地球のものと同一と言っていいかも知れません。」

「それで?」

「ご存知かも知れませんが、月が形成された経緯が、小天体衝突による原始地球からの分離だとすると、成分比の同一性は説明できます。ところが、そうした成分比をもつ窒素分布の詳細は、実はまだ分かっていません。」

「つまり、月で窒素を調達しようと思ったら、窒素の分布図を明らかにしなければならない、というわけね?」

「その通りです。」

「窒素分布の調査、分布図作成、調達と、プロセスが多いけれど、これら全てのプロセスを経て窒素を入手する場合と、地球からの発送で窒素を供給する場合、コスト面はどうなっているのかしら?」

「月調達の場合の、全プロセスにかかる見積りは2-3日中には出揃うと思いますが、コスト的には、地球からの調達よりはずっと低く抑えられます。ただ、窒素抽出が調達に見合うだけの量になるか、不確定幅がかなり大きいです。」

「それは、つまり、必要とする窒素量が確保できない可能性が高い、ってことね。」

「はい、その通りです。」

「・・・」


ーーー


月に移ってきてから、セレーネから取り寄せる、インスタントではないコーヒーはあまりにも高価すぎるので、ファンデーションの月農園(正確には、植物栽培区画と言わなければならないのだけれど、自分自身に対しては「月農園」と言っている)で作られる、お茶になる植物から作られた「茶」を飲用するようになった。

そして、お茶の種類は結構な数にのぼる。


今日は、、、気分的にすっきりしたかったので、ペパーミントの葉だけから成るミントティーを淹れることにした。

ミントの香りがふわっと広がる、そのの向こうに、園芸が好きな母のことが浮かび上がってきた。


私の両親は、共に年金生活に入った途端、私が育った家を売却して、キッチン・居間(兼書斎)・2人のベッドルームだけから成るサマーコテージを通年用に改築した家を購入し、そこにさっさと引越ししてしまった。元はサマーコテージだったので、園芸だけでなく、ある程度の菜園も確保できる庭は、前の家のものよりずっと広かった。

その終の住処に移ってから、母の園芸熱はさらに高くなったものだ。

夏のアイスランドで、小さいながらも、トウモロコシを収穫した時には正直、驚いた。

母は、「茶葉の区画」を菜園の一角に作っており、ワイルドストロベリー、ペパーミント、スペアミント、ビーバーム、ベルガモ、、、と、私が把握し切れていない数のハーブを植えていた。これらは、直射日光をあまり必要とせず、故に、この区画は明るいけれど日陰になるような、他の植物には適さない一角であった。


そんな母の「茶葉の区画」と、そこで摘んだ茶葉で淹れたお茶の記憶が、今飲んでいるミントの香りと共に、とりとめなく漂っていた。


(ママ、膝痛や腰痛、大丈夫かしら・・・)


これと言って大きな病気をしたことがない母は、それでも、加齢と共に、慢性的な体の痛みを訴える回数が多くなってきた。体の痛みの原因は、もちろん、園芸・菜園での作業のせいである。私と同じように、好きなことを始めると「のめり込んで」しまう母の性格では、夢中になりすぎて、膝痛や腰痛に堪える得る限界を越えてしまい、時々、痛みのために起き上がれないこともあった。そして、その回数はやはり、年と共に、徐々にではあるが、確実に多くなっていった。


(また、無理してなければ、いいけど・・・)


(ここ、月でなら、そういう体への負担は軽減されるかもね。。。)


その瞬間、ここファンデーションの植物栽培区画で、軽々と歩き回りながら、植物を見て回る母の姿のイメージが、いきなり展開された。

月に旅立つ前に、母が「花も、草も、木もない、あんなところに行きたがるなんて、あなたも相当な変わり者よねぇ。。。」と、笑いながら餞別の言葉を言ったが、その時と同じ笑顔で、その母が、ここの植物達を見て回るイメージ。


「こんなところで育てられて、あなた達、変わった植物ねぇー。」

と言いながら・・・。


私は、「足りない窒素分」を「現地であるこの月で調達する」ための「解答」の一つを見つけたような気がして、飲みかけのミントティーのマグをそこに残したまま、地球のファンデーション本部に、カンファレンス要請とその予約のために、デスクの端末に向かった。


ーーー


カンファレンスが開催されたのは、2日後だったが、その時までには揃っていた見積りと一緒に、私は、カンファレンス開催までの2日間で、一つの計画書を作成した。


計画書を書きながら、私はほとんどの場合、母の顔を思い浮かべていたが、時に、会ったことも知り合ったこともない、”顔のない”、母と同じくらいの年の人々が、月の、このファンデーションの施設の中で行き交う様子を、夢想していた。


計画書のタイトルは、「月における、老年学および老人医学に関する臨床と医療の創設とその意義」であった。



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