53.「お前は人間だろ、誰が、どう見ても」


 目の前のホタルが、顔を真っ赤にしながら、地面に目を落としながら、

 かすれ切った声を、振り絞るように、叫んで――


「……アタシ、『生理』が全然来なかったんだよっ! ……そ、そのことに、ずっと悩んでて――」


 誇張無く、ホタルの頭上からは大量の蒸気が放出されていた。ハァハァと肩で息をしながら、目に一杯の涙を溜めながら。


「……ふ、フツウはよ、小学校高学年くらいにくるモンなんだよ……、でも、アタシは中学になっても来なくて、アタシ、実は男なんじゃないかって、本気で思ってたこともあって……」


 紡がれた彼女の言葉は、びっくりするくらい純粋で、びっくりするくらい真剣だった。


 天下無敵の紅ホタル。

 少しだけ垣間見えたその胸の内は、びっくりするくらい乙女チックで――


「……でよ、話戻すけど、ソイツ……、目ざとくてさ、プールの授業、アタシが一回も休んでないことに目をつけたんだよ、そんで、でかい声で能書き垂れやがった。なんでお前はプールの授業休まねぇんだよって、お前生理来てないんじゃねーのって、お前実は男なんじゃねーのって、あ、アタシが気にしてること、全部……、言いやがって……ッ!」


 フルフルと、ホタルの身体が震えている。ギリッと、彼女が歯を食いしばる音が聞こえた。


 ――思い出しても怒りがこみあげてくるくらい、ホタルにとっては許せない出来事だったってコトかな……。


「……普段はよ、あんなバカに何言われても気にしねーんだけど……、その時ばかりは、言葉、失っちまって、言い返せなくって、アタシ、初めて人前で泣きそうになっちまって……。恥ずかしくて、逃げ出したいんだけど、でも、身体は動かなくて……、どうしようどうしようって、頭ん中がグルグル回って――」


 そこまで言うと、ホタルは一度言葉を切った。


 フッと、彼女が僕の目を見て、僕もホタルの目を見返して。

 二人の視線が、交錯して――


「――そん時、アンタが助けてくれたんだよ。クジラ」



 ――あ~っ……。


 そっか、そうだっけか。


 思い出した。っていうか、忘れていたんじゃなくて……、記憶から、消していたんだ。

 ホタルにとって知られたくない事実。誰にも言えない秘密。


 ……そんなにイヤなら、思い出すのもやめようって――



「……クジラ、アンタ自分が何言ったか覚えてる? 謎の俳句読んだかと思うと、普段のアンタとは思えないようなでかい声だして……、『ホタルが男なワケないだろう、よく見ると胸だって少しはあるんだからね』って……、いやそこかよって思ったんだけど、で、でもよ……」


 もじもじと身体をくねらせる。もごもごとその先を言うのを躊躇している。


 ――そんなホタルの今の姿は、誰がどう見ても、……少なくとも僕の目からみれば、

 立派な一人の、『女の子』だったワケで――


「……嬉しかったんだよ、アンタが女扱いしてくれたこと。初めてだったんだよ、どうしようもなくガサツなアタシを、女だって認めてくれた奴……、だ、だから――」


 暴力の上着をまとい、暴力の下着を身に着け、暴力の足音を踏み鳴らす――、

 正直言って、『紅ホタル』という女子に好意を抱く男子がこの世にいるとは、思ってもみなかった。


 ……先週までの、僕はね。



 目の前で恥じらう、小柄で華奢で童顔な幼子。


 その子の魅力に気づくことができなかった、僕の目が節穴だったってだけの話。


「――だから、アタシはアンタを好きになった。……それが、理由だよ、バカッ――」



 ……ホタルは、ずっと僕のコト、見てくれていたのにな――



 夏特有な湿った空気が僕の鼻頭をくすぐり、がらんとした屋上は呆れるくらいにだだっ広い。


 ポリポリと頬を掻きながら、僕は久しぶりに口を開いて。


「……ホタルってさ、僕のこと、石ころだと思う?」

「――はっ? ……いやお前は人間だろ、誰が、どう見ても――」


 急な問い。ホタルの頭上にクエスチョンマークが舞うのは『必然』で、彼女は眉を八の字に曲げながら、ジト目で僕のことを睨みつけていた。


 フッと、口元を綻ばせたのは僕で――


「……ありがとう、話してくれて。……僕は、もう行くよ。一緒に帰ると柳さんがまた変な声出しちゃうと思うから、別々に戻ろっか」


 スタスタと、なんでもないように、僕は屋上の入り口に足を向かわせた。


「……お、オイッ! それだけかよッ!? ……ったく、相変わらず人に喋らすだけ喋らせといて――」


 ホタルの文句を背中で受け流しながら、キィッと、錆びついた鉄の扉を開け放つ。

 クルッと振り返って、ニッコリ笑って。


「じゃあ、また、『放課後』に――」


 ――ガチャンッ……、と、錆びついた音が響いた。



 ……ふぅっ――


 短く息を吐いて、鉄の扉を背もたれにして、

 ボーッとした頭で、誰に向けるでもなく、ポツンと声をこぼした僕は――


「……よしっ――」



 ――とある決心を、独りひそかに抱いていたワケで。

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