26.「こ、こないだの返事……、欲しいん……だけど」


「こ、こないだの返事……、欲しいん……だけど――」


 ギュウッと、干からびた果実を絞りあげて、

 ポツンと、一滴の果汁が漏れ出るような――


 『紅ホタル』の萎れた声が、僕……、葵クジラの耳に流れる。


 ――ああ、ついに、来ちゃったな……。


 ぶっちゃけこの問題に関して、僕は完全に棚上げをしていた。

 ……というか、空耳か勘違いの類だと思って、考えないようにしていた。


 考えないように……、していたんだけど……。


「……本気、だったんだ、僕のことが、好きって――」


 ふいに夏風がそよいで、赤みがかったツインテールがさらさらとそよぐ。

 顔を真っ赤にしながら、照れをごまかすように地面に目を落としているホタルは……、鋭い目つきで周囲を威嚇して歩く、『いつもの彼女』と同一人物とは思えない。僕は、小柄で華奢で童顔の少女が、目の前で、ひたすらにもじもじしている姿を、まざまざと見せつけられ――


 正直なところ、どう対応すればいいか見当もついていなかった。

 イレギュラー中のイレギュラー、『死ぬまで平穏に生きる』という目標を立てた僕の人生の辞書に、『同級生に告白された時の対処方法』なんて載っているはずがない。

 ポリポリと、罰の悪そうに頬を掻く。沈黙が、気まずさをひたすら僕に伝える。


 ――コレ、僕が何か言わなきゃ、ずっとこのままだよなぁ……。


 目を瞑って、考えてみた。久しぶりに、けっこう真面目に。

 ホタルのことを恋愛対象に見た事は、正直一回もない……、『なかった』というのが、正しいかな。


 そもそも、ホタルが一般的な女子高生と同じように、恋心を抱いているという事実にびっくりだし、その相手が僕だなんて、霧ほどにも霧ほどにも思っていなかった。僕はシンプルに、『紅ホタル』という一人の女子と、どう接していいのかわからなくなっている。……そんな状態で、ホタルの想いに応えることは、とてもできない。

 それに――



 僕には好きな人がいる。……好きというのもおこがましいけど、僕は柳さんのことが気になって仕方がない。昨日、彼女の家に招待されて、二人でゆっくりおしゃべりをしてみて――、想像していたよりもちょっと抜けている所がある彼女だけど、普段とのギャップは十二分に愛らしく、好きという感情はますます強くなっていると思う。


 それを、そんな僕の気持ちを、ホタルに正直に話すのが、『誠意』と呼ばれる行為なんだろうケド……。


 ――なんだか、『ソレ』をしてしまったら、

 目の前の、子供みたいなホタルが、壊れちゃう気がして――


 喉の奥がつっかかって、うまく言葉を運んでくれない。

 透明な手でフタをされたみたいに、僕は声の出し方を思い出せない。


「あ~……」


 バカみたいな声を出して、とりあえずお茶を濁す。僕には、それくらいのことしかできない。


 静寂が二人の間を駆け抜け、夏風が再びそよいで、ミンミンと蝉の声が遠くに響いて――


「……いいよ」



 ――ポツンと、消え入るように声をこぼしたのは、『ホタル』だった。



 地面に目を落としていたホタルが、ふいにこっちを見つめて、フッと、何かを諦めたように笑って――


「……変に、気、遣わなくていいよ。……アタシは、返事が欲しいだけなんだ、モヤモヤしているのが、気持ち悪いだけなんだ……」



 ――ザワッ……



 僕の心臓を、何かが撫でる。

 興奮と、混乱と、安寧と、寂寞と――


 ちぐはぐな感情が一気に押し寄せてきて、

 僕の口を塞いでいた透明な手が、パっと口元から離れた。



「――ホタル」


 三文字のテキストが空気中に漂う。

 ホタルは、何かを慈しむような目つきで、僕のコトをジッと見つめていた。


 ――やっぱ、言わなきゃ、ダメ、だよね……。



「ホタル……、ゴメン……、僕には、他に好きな人がいるんだ」



 僕は、たぶん僕の人生の中で、おそらく最も真剣なトーンの声で……、

 紅ホタルに、真実を告げた。


「――そっか」


 僕のことを見つめていたホタルが、ふいに、再び地面に目を落として――


「……やっぱ、そうだわね――」


 遊び疲れた子供みたいな顔で、ニコッと、力なく笑った。


 ……ああ。


 ……やめて、欲しいな……



 ――そんな目で、僕のコトを、見ないでよ――



 目の前に佇む、小柄で華奢で童顔の少女のことを、ふいに僕は抱きしめたくなった。


 ……だけどその行為が、おおそ『誠実』って態度からかけ離れているってことも、さすがの僕も知っている。


 ――知っている僕は、再び「ゴメン」と、何かをごまかす様に声を漏らすことしかできない。



 それが何故だか、妙に歯がゆかった。



「――あのさ」


 三文字のテキストが空気中に漂い、声をあげたホタルは、泣き出しそうに笑っていた。



「……アタシたち、友達になれないかな?」

「……えっ?」


 ――『不意打ち』。予想の斜め八十五度くらい上を行く、彼女の『提案』。


 きょとんと目を丸くしているのは『僕』で、ボソボソと、精いっぱいの声を振り絞っているのは『ホタル』で――


「……殴るとか蹴るとか、そういうんじゃなくて、フツウに、アンタと喋りたいんだよ。恋人じゃなくてもいいから、クジラと一緒にいたいんだよ」


 ……あれっ。


「――だからさ、『友達』……、ダメかよ?」


 小柄で華奢で童顔で――、目の前の少女のことが、びっくりするくらい幼く見えた。お菓子をねだる子供みたいに見えた。


「……友達になるのに、許可なんて要らないと思うケド――」


 何かをごまかすようにスッと視線を外した僕が、ボソッと、声を漏らして。


「……ッ! そ、そっか、そう、だよな……」


 慌てたように笑ったホタルが、ガシガシと髪をかきむしっている。


 でも、その顔はどこか嬉しそうで――



 ――ホタルって、こんなにかわいい顔してたんだ。



 ……あれ、今、僕――


 自分で自分をごまかすように、僕はポリポリと頬を掻いた。

 湿った風がそよいで……、全身が汗ばんでいることに気づく。フッと肩の力を抜くと、薄ぼんやりしていた視界がなんだかクリアになっていった。ミンミンと蝉の声が遠くで響いて、僕たちの間を巡っていたのは、行き所を失っている『沈黙』で――


 何か言わなきゃと、とりあえず口を開こうとした僕の耳に、



「――はぁぁぁぁぁぁぁっ!?」



 ――なんだか、どこかで聞いたことのあるような、

 『バカみたいな大声』が、ねじ込まれた。

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