第8話 人肉列車

 先頭車両と連結部の間の扉が開いて凪義が姿を現した時、蟹江真帆は昏睡状態の男から爪を剥いでいる途中であった。

 扉を開けた者の姿を確認した時、真帆は内心で安堵した。厄介なのは眠ったままでも戦闘を行えるゼーニッツの方であり、凪義の方は御しやすいと踏んでいるからだ。

 ただ、凪義の方にも、ゼーニッツを向かわせずに自分で赴いた意図があった。というのも、敵がゼーニッツの戦闘を一度見ている以上、眠らせずに二対一という数の優位をもって、平時の臆病なゼーニッツを攻め立ててくるであろうことは十分予測できるからだ。


 真帆とサメの背後、車両の先頭寄りの半分には、老若男女さまざまな人……いや、かつて人であったものが、裸に剥かれ、毛を剃られて逆さに吊るされていた。まるで食肉の加工工場のような有様である。それらは列車の揺れに合わせて、振り子のように体を揺らしていた。

 吊るされた死体の下には青いバケツが置いてあり、死体の頭部からしたたる赤黒い血が溜まっている。むせるような血臭が、車両内を満たしていた。


 真帆の傍らに侍るサメは、凪義の姿を見るや否や、右の口を大きく開けて水色のガスを吐き出した。例の催眠ガスだ。

 

「馬鹿ね、二度目も同じこと! 眠っちゃえ!」


 真帆は勝利を確信した。まともにガスを吸い込んで眠らない者はいない。それは常人離れした身体能力を持つ鮫滅隊の者でも同じことだ。現に先の戦いで凪義は昏睡したままであった。


 ……ところが、真帆の見立ては外れた。水色のガスの向こうから、チェーンソーを持った凪義が急に姿を現したからだ。吐いた催眠ガスが、サメ自身にとっての目くらましになってしまった。

 サメは咄嗟に触手を前に出して防御姿勢を取った。チェーンソーの刃がサメの触手二本を切り飛ばす間に、サメは後ろに飛びのいて背後の死体に貼り付いた。

 真帆は咄嗟に床に置いたハンマーを拾い上げ、凪義に向かって振るった。だがそれは回避され、反撃に回し蹴りを食らってドアに背中を打ちつけた。


「つ、強い……」


 やはり、まともに戦えば勝ち目はない相手だ。真帆は鮫人間で、普通の人間よりは身体能力に自信がある。けれども鮫滅隊の者とまともにやり合って勝てるかというとそれは怪しい。鮫辻を討った者が相手となれば尚のことである。

 それにしても、何故凪義は眠らないのだろうか。真帆はこのサメの血を飲むことで耐性を身に着けたのであるが、凪義がそのようなことをこの場で瞬時にしたとは思えない。

 ……その答えは簡単であった。凪義は呼吸を止めていたのである。

 壁に貼り付いたサメを追撃するために、凪義は距離を詰めにかかった。サメはガスを吐きながら、左側の壁に飛び移る。しかし、その動きを読んでいたかのように、凪義のチェーンソーの刃がサメの左の頭の鼻っ面を切り裂いた。

 サメに負わせた傷はそれほど深くない。少なくとも致命傷にはなっていないであろうことを凪義は察していた。だが、それでも血を流したサメは着実に弱る。


「死んでよっ!」


 真帆は悲鳴に近い声を上げながら、ハンマーを持って殴り掛かる。チェーンソーを振るった後の隙を狙ったのだ。しかし、いかんせん真帆の攻撃は単調すぎた。ハンマーの頭部が届く前に、腹に蹴りをお見舞いされた。


「がはっ……!」


 蹴りの一撃を受けて後ろに後ずさった真帆。その足が後ろにあった何かを蹴飛ばし、それをひっくり返してしまった。

 真帆がつまずいたのは、死体から垂れる血を受け止めているバケツであった。それと同時に、死体に触れた真帆の背が、べっとりと血で汚れた。鮫滅隊の隊服の背中側に白く印字された「鮫」の一文字が、赤黒い血に染められた。

 その時、鼻を負傷したサメは、密かに凪義の後方に回り込んでいた。このサメは向かい合っての取っ組み合いは苦手である。催眠ガスのような搦め手と、タコの脚と吸盤を用いた立体移動による奇襲こそ、彼の得意とする所である。

 大口を開けたサメが、触手をばねにして飛びかかった。

 背後からの奇襲に気づいた凪義は、振り向きざまに切り刻んでやろうと身をひねった。だが、その動きがよくなかった。

 右足を軸に身を翻した凪義。その右足が、床にぶちまけられた血によってすべってしまったのである。


「なっ……」


 情けないことに、凪義は尻餅をついてしまった。そこに、サメの巨体がのしかかってくる。顔に食らいつこうとするサメの左の頭を、チェーンソーの本体部分を盾に必死で押しのけているが、サメの方も力づくで押し込んでくる。

 そこに、真帆のハンマーが振り下ろされた。凪義は何とか足でサメを押しのけると、すんでの所で起き上がってハンマーの一撃を避けた。だが、立て続けに二撃目が来る。凪義は避けられずに胸に直撃を食らってしまった。



 



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