第21話 4-4

 先回りして聞いてみた、つもりだったけれども、おばあちゃんは首を横に振った。

「まさか。今さらそれはないわ。ただ、昔を思い返していると色々後悔が甦ってきてね。あの人に謝っておきたい気持ちが沸いてきたのもその一つ」

「えっと、当時のその人に謝りたいってこと?」

「そうね。今、どこで何をしているのか分からないし、たとえ今会えたとしても年齢が年齢だから相手は私を分からないかもしれないし、私は相手が分からないかもしれないでしょう? だいたい、今謝ったとして、それこそ今さらだと思うの。青春の傷は浅い内に治しておく方がいいんじゃないかしら。それなら告白をしてから間もないあの人に伝えるのが一番でしょう」

「まあ、そうかもしれないけれど、おばあちゃん。その告白をされたのって何年前? おばあちゃんが何歳のとき?」

「かれこれ五十年以上経つかしら。……あっ」

 おばあちゃん、口を丸く開けて、それを右の手のひらで隠した。よかった、気付いてくれたみたい。

「清美ちゃんがこの世に生まれ落ちてから以降の時代じゃないと、清美ちゃんは行けないんだったわね」

「そうなの。だから私がおばあちゃんに代わって謝罪の言葉を届けるとしても、その人がだいぶ年齢を重ねたあとになるよ。それでもやる?」

「ううん、だったらいいわ。他にもあるから」

 早い。あっさりしたものだなあと変に感心してしまった。

「でも……いけない、これは二十年前だったからまた無理ね。かといって、あれはもっと昔、私が清美ちゃんくらいの歳だったから……」

 申し訳なくなってきちゃったわ。こんなことになるくらいなら、私よりもずっと年齢が上の人に代理を任せればよかった。

「しょうがない。あの人への言伝を頼もうかしらね」

「え? いいのが見付かった?」

「ええ。清美ちゃんも確実に生まれてきている。それどころかしっかり覚えているはずよ」

 おばあちゃんは目を瞑った。そのときの記憶をまぶたの裏で見返しているかのように思えた。あるいは目が見えなくなったあとだとしたら、想像混じりだったかもしれない。

 私は待ち、おばあちゃんはやがてぽつりと言った。

「あの人――私の旦那に言ってきてくれる? ありがとうって」

「……」

 えーと。どういう意味なんだろう。まさか、おじいちゃんの死んだ原因が自分自身にあるって、本当は知っていたってこと? 違うよね。普通に、ストレートな感謝の言葉だよね。

「あ、あの、おばあちゃん。いつのおじいちゃんに言えばいいの?」

「いつでも。できるだけ若い頃の方がいいかしら。亡くなる直前に感謝の言葉をもらっても、喜びを噛み締める暇もないでしょうし」

 明るい調子で答えるおばあちゃん。よかった、やっぱり知っていた訳ではないんだ。

 一つ安心できた私だったけれども、代わってもう一つの疑問が浮かんできた。

「感謝の言葉を伝えるのもいいと思うんだけど……おじいちゃんを助けるのはどうかな」

 私はどうしてだか、恐る恐る切り出す。唾を飲み込んだ。おばあちゃんが小首を傾げたので、ぴんと来ていないのかも。私は続けて言った。

「亡くなる前のおじいちゃんに会って……今の最新のお薬を飲んでもらうの。そうしたら助かるかもしれないわ」

 本当は事故で亡くなっているが、おばあちゃんの前で言う訳にいかない。咄嗟に言い換えた。

 すると、おばあちゃんは「それはいいことなの?」と聞いてきた。幼い子供から発せられたみたいに、純粋な質問だなぁと思えた。

「やってもいいかどうかって意味なら、禁止はされてないよ」

 早口で答えた私に対し、おばあちゃんはかぶりを左右に振った。対照的なまでにゆっくりと。

「規則でどうこうではなくてよ。私やあの人にとって、いいことなのかしら」

「え……」

 当たり前にいいことだと思っていた、いや現に思っている私はどう反応していいのか、皆目分からなくなった。いきなり濃い霧の中に放り込まれたら、こんな感覚に囚われるんじゃないだろうか。

「おじいちゃんにまた会いたくないの?」

「会いたい。答えるまでもないわね。ただそれとは別のところで、亡くなった者をまた生の道へ連れ戻すのって、それこそこの世界の定めた規則に反するような気がしてならないの」

「そんなことは……分からないけど」

 ほんとは、そんなことは気にしなくていいじゃないと言おうとしたのだが、言えなかった。

「でも。おじいちゃんが生きていたら、いくらでもお礼を言える。それも直接だよ」

「私の旦那が亡くなったあとの私の人生と言ったら大げさになるけれど……私が抱いた感情はどうなるんだろうね?」

「感情……それはやっぱり、おじいちゃんが亡くなっていないのだから、なかったことになるんじゃないのかな……」

 きっとそうなるんだろう。私にとってコンサートに行ったという経験がしっかりと刻まれたのとは逆に、おばあちゃんからはおじいちゃんの死という経験がきれいに消えるはず。だいたい、そうじゃなきゃ“死んでまた甦ったおじいちゃん”という風に自覚したまま、再び一緒に暮らし始めることになる。そんなの不自然だ。

「だったら、私は旦那が亡くなってからのこの五年間を大事にしたいわ」

「おじいちゃんが今も生きていて、一緒に暮らしていく内に、やっぱり別れは訪れるものだよ。そのときに同じ感情が生まれるに違いないって」

「同じかもしれないし、違うかもしれない。ねえ、清美ちゃん。これはどちらが正しくて、どちらが間違っているという話ではないと思うんだけど、どう? 私は、一旦生じた感情を大事にしたい、それだけなのよ」

「……だよね」

 素直に返事できた。納得と言うよりも、すっと腑に落ちた。

 もしかするとおばあちゃん、やっぱりおじいちゃんの事故死を分かっているのかもしれない。


 続く

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