その5

 雨が降っていた。

 冬になりかかりのこの時期、雨はやたら冷たく感じる。

 俺は電柱に張り付くようにして、道路を挟んで反対側から、川本邸を見張っていた。

 尾行や張り込みは探偵の初歩みたいなものだ。

 まして俺は元陸自、それも空挺でレンジャーだった男だ。

 この程度は平気の平左と言いたいところだが、寒いものは寒い。

 手に息を吐きかけ、足踏みをし、何とか耐えながら、張り込むこと今日で丁度三日目になる。

 朝の五時から夜の九時過ぎまで、こうして張り付いているのだ。

 幸いこの辺りには、どうしたものか”ご近所様”と呼ばれる存在があまりない。

 一度だけ警邏パトロール警官オマワリに職質をかけられはしたものの、認可証ライセンスとバッジを見せたら、ぶつくさ言いながらも引き下がってくれた。

 

 今のところまったく動きはなしである。

 張り込みの合間に調べたところによれば・・・・


 川本博は四年ほど前までは、ごく平凡な会社員だった。

 いや、というより割と優秀な方だったという。

 それが”あるきっかけ”で会社を辞め、いわゆる引きこもりになってしまったのだ。

 その理由?

 おいおい分かるさ。


 兎に角、その時以来、彼は”極く稀にしか”外出をしたことはない。

 川本家は、父親はとうの昔に亡くなっているものの、財閥系の会社で重役まで勤めたことがあり、母親も実の父親が技術者か何かだったとかで、幾つかの発明品の特許を持っており、それを相続しているという。つまり株式や特許使用料が年間最低でも数千万円は入ってくるので、直ちに生活に困るようなことはないらしい。


 だから川本博も、引きこもり生活を決め込んでいられるという訳だ。

 川本邸を見上げた。

 二階の一室に明かりがともっている。

 川本博はそこにいる。

 時折その窓から何やら意味のない叫び声のようなものが聞こえるばかりで、目立った変化はない。

 雨が少し強くなった。

 くしゃみが出る。

”ああ、こんな仕事放り出してネグラに帰り、バーボンのストレートをって、風呂に浸かって芯からあったまりたい”

 そんな思いが頭をよぎる。

 だが、俺は探偵だ。

 金がかかっている以上、どんな思いをしようと、寒さが苦手だろうと、それに耐えにゃならん。


 懐からミント系のガムを取り出して噛む。

 強烈な刺激が、眠気に活を入れた。

 その時だ。

 玄関のドアが開いた。

 時計を確認する。

 時刻は午後四時。

 眼鏡をかけ、グレーのレインコートを着た、背の低い陰気な顔をしたぼさぼさ頭の男が出てきた。

 彼は何やら開けたドアの向こうに、大きな声で怒鳴っている。

 そのまま傘をさし、階段を降り、歩き出した。

 

 俺はスマホを取り出して、ある番号にかけた。

『俺だ、ネズミが穴から這い出てきた。頼む』

”あいよ。”

 電話の向こうで男が答える。


 数分後、表通りに出た男はそこでタクシーを拾う。

 少し間を置いて、ブルーグレーのトヨタのプリウスが姿を現す。

 助手席のドアを開けて乗り込む。

 ハンドルを握っていたのは、無論ジョージだった。

『つけてくれ、中央交通だ。見失うなよ』

『日本一のドライバーに言うセリフかね?』

 ジョージは咥え煙のまま、アクセルを踏み込んで急発進させた。

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