第13話 決戦の地へ 4

 ナナカは不安や焦りからか、全力に近いスピードで走っていた。ペース配分なんて、全く念頭にない。


 どのくらい走っただろうか。不意に足がもつれ派手に転んだ。途端に動けなくなる。体が鉛のように重い。体力が完全に尽きてしまっていた。


 ナナカの目から涙が溢れた。このままでは兵士たちの生命が危ない。


「誰か!誰か…助けてよ!」


 ナナカは叫んだ。


 その時頭上でガサガサと木の葉の鳴る音がしたかと思うと、何かがナナカの目前に降り立った。ナナカは思わず目を閉じた。


「ナナカ!良かった、無事だった」


「え?」


 ナナカはゆっくりと目を開いた。目の前にサクラがいた。何故だか輝いて見える。


「サクラ?」


 ナナカは一瞬安堵したが、すぐに残してきた兵士たちのことを思い出す。


「サクラ、お願い!援軍呼んできて!兵士さんたちが…」


「殺されちゃう!」ナナカが言い終わる前に、サクラが口を挟んだ。


「ちょっと失礼」


 言うが早いか、サクラはナナカをひょいと抱き上げる。お姫様抱っこだ。


「は?」


 ナナカは目が真ん丸になった。


「こんな所に置いていけないから、一緒についてきて」


 サクラはウインクした。


「サクラ、あっちだ!複数の鬼の気配がする」


 ライセが森の奥を指差す。サクラは頷くと、ナナカに向かって笑顔を見せた。


「ナナカ、ちょっと我慢しててね」


 サクラはナナカを抱きかかえたまま、矢のように走り始めた。


 ナナカは自分の身に起こっていることが理解できない。ジェットコースターのような疾走感で、右に左に横重力が襲いくる。


「ちょ!?サクラ!」


「喋ってると危ないよ」


 サクラは小川をピョンと飛び越えた。


 一瞬の浮遊感がナナカを襲う。


 ナナカは只々サクラの首元にギュッとしがみ付いていることしか出来なかった。


   ***


「近いぞ!」


 ライセの制止の声に、サクラは立ち止まった。それからナナカを、茂みの陰にゆっくりと下ろす。


 木陰から様子を見ていると、鬼の一群はどうやら何かを探しているようだった。


「きっと兵士さんたちを探してるのよ」


 ナナカは少し安堵した。


「私のために、囮になってくれたの」


「分かった。あとは任せて」


 サクラはナナカに、ニッと笑いかけると腰の剣をスラリと抜いた。同時にサクラをほんのりと包んでいた淡い光が、剣の刀身に移動していく。


「すぐ戻るから、ここで待ってて」


「ひ…ひとりじゃ、無茶よ!」


 ナナカはサクラの腕を掴んで首を横に振った。心配で蒼い顔をしている。


「大丈夫。ナナカも見たとおり、私スゴく足速いから、危なくなったら逃げてくるよ」


 サクラがあっけらかんと笑う。


 サクラの表情に拍子抜けしたナナカは、サクラを掴む手の力が思わず緩んだ。


 その隙にサクラはサッと立ち上がる。


「行ってくるね」


 サクラは茂みを飛び出していった。


 一気に間合いを詰めると、一番近くにいた鬼を一刀両断にする。そのままの勢いで突進し、すれ違いざまに鬼を斬り裂いていく。


 本来なら血生臭い戦いであるはずなのに、ナナカの見た光景はとても幻想的なものであった。


 暗い森の中で唯一、サクラの剣だけが淡い光を放っている。まるでサイリウムのように、剣の軌跡を光の尾が伸びていく。


 ナナカには、サクラが優雅に舞っているように見えた。


「サクラ、綺麗…」


 ナナカは無意識のうちに茂みから立ち上がり、サクラの姿に魅入っていた。


 だから、頭上の木の枝から一体の鬼が近付いて来ていることに気付かない。ナナカの危機に気付いたのは、ライセだけであった。


「危ない!」


 ライセは咄嗟に叫んだが、ナナカに届くはずもなかった。


 その時、鬼がナナカに向けて飛びかかった。枝の鳴る音にナナカは顔を上げる。死が目前に迫っているとナナカは直感した。声すら出ない。


 瞬間、ライセの脳裏に過去の記憶がフラッシュバックする。


 背の高い葦の原で、少女を抱きしめながら泣き叫ぶ自分の姿。護れなかったという死ぬ程の後悔と胸の痛み。


「ダメだぁあああ!」


 ライセは絶叫した。光の如きスピードで、ナナカと鬼の間に割って入ると、大の字になってナナカを庇った。


 異形の鬼は、目に見えない存在の有り得ない気迫に一瞬怯んだ。


「こんのぉおお!」


 ナナカの危機に気付いたサクラは、ナナカに襲いかかる鬼に向けて渾身の力で剣を振り抜いた。届く筈のない距離である。しかし、剣から放たれた斬撃が金色に輝く三日月の刃となり、ナナカの頭上に迫る鬼を空中で斬り裂いた。


 異形の鬼は瘴気を噴き出し消滅する。


 何が起こったのか理解出来ないまま、ナナカはその場にへたり込んだ。


 すぐにサクラがナナカのそばに戻ってきた。


「ナナカ、ごめん」


 サクラは胸のあたりをギュッと押さえて蒼い顔をしている。そんなサクラにナナカは首を横に振った。


「私こそ、ごめんなさい。勝手に茂みから出てしまって」


 ナナカはヨイショと立ち上がり、らしくない姿を見せるサクラのおデコをピンと弾いた。


「コラコラ落ち込まないの。頼りにしてるんだから、サクラのカッコイイとこ早く見せてよ」


 ナナカは優しく微笑んだ。


 サクラは「うん」と頷くと、再び鬼に向かっていった。


   ***


 そこから少し離れた岩陰に隠れている二人の兵士の姿をライセが発見した。


 サクラがナナカにそのことを伝えると、ナナカは一目散にその場所に駆けていった。


「兵士さん!」


 ナナカは横並びに座り込んでいた二人の兵士の胸元に、勢いそのまま飛び込んだ。


「無事で良かった!」


「ナナカどの?」

「何故ここに?」


 突然現れたナナカに、二人の兵士は目を白黒させて驚いた。


「サクラが全部倒してくれたの!」


「サクラどのが?」


 遅れて姿を現したサクラに、二人の兵士の視線が集まる。


「良かった、間に合って」


 サクラは照れたように笑った。


「自分たちは逃げ回ることしか出来ませんでした。恥ずかしい限りです」


「そんなことない!」


 ナナカは二人の兵士の手をギュッと握った。


「とても、とても格好良かったです!」


 兵士たちは、途端に顔が真っ赤になる。


 ナナカの見せた笑顔は、二人の兵士にとって最高の栄誉であった。


   ***


 ムサシとトリナは砦の防衛や周辺の偵察を繰り返しているうちに、異形の鬼は大抵ある一定の方角から現れることに気付いた。


 それ以来、二人はこの方角への偵察を中心に進めていた。


 そしてこの日、二人は格段に瘴気の濃い場所を発見する。ムサシは何の準備もなくこれ以上接近するのは危険と判断した。


「ムサシさま」


 トリナが不安そうにムサシを見る。


「ああ。何かいるな」


 途轍もなく強大な力の存在を、ふたりはヒシヒシと感じていた。

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