終電の仲

添野いのち

思い出の終電

 深夜1時。僕は元町もとまち駅にいた。

 僕は明石昇あかしのぼる。名古屋で生まれ、高校までをそこで過ごしたあと大阪の大学に進学。神戸で就職した。今は社会人3年目で、仕事にもすっかり慣れてきた頃だ。残業を何とか終わらせ、帰ろうとしていたところだった。電光掲示板を見ると、

 普通 1:08 西明石行き

 本日の西明石行き、最終電車です。

 と案内されていた。

 これは日本一遅い終電で、終点の西明石には1:38に着く。

 改札を通り、深夜のホームに上がった。冷たい夜風が頬を撫でていく。さらに風が強くなってきたかと思うと、「さざなみ」の接近メロディーと共に終電が入線してきた。

 ドアが開いた。乗り込んですぐ、ドア横の座席に彼女はいた。

「やっぱり、今日もいたか。」

「やっぱり、って、私がいるって分かってたの?」

「勘だよ、勘。」

 彼女は朝霧希あさぎりのぞみ。僕の高校時代の同級生だ。彼女も僕と同じく大阪の大学に進み、近辺で就職したらしい。3年前、僕がこの終電に乗ったときに再会を果たし、それ以来会ったら色々と話す仲になっていた。仕事の相談、上司への愚痴、昔の思い出。会うのは月2回ほどだが、数え切れないほど多くの思い出ができた。

 僕は彼女の横に腰掛け、

「お疲れ、希。」

 と声をかけた。

「お疲れ様、昇くん。」

 優しい声で返してくれた。僕はこの声を聞くと、疲れが幾分か取れた気がするのだ。

「今日は残業?」

 僕は希に聞いた。

「ううん、飲み会に付き合ってた。昇くんは?」

「僕は残業。この時期になると忙しくてね。」

「大変だね。」

「そっちこそ。付き合わされてこの時間なんでしょ。」

「・・・バレた?」

「全く・・・お酒弱いんだから注意しなよ。この電車で吐いちゃって、僕に抱えられながら帰ったこと、忘れたのか?」

 これは2年ほど前。忘年会でお酒を飲みすぎた希は、この電車で吐いてしまったことがあった。僕がカバンに入れてた袋に吐いたので電車の床は無事で済んだ。そして僕に抱えられて家に戻ったのだ。ちなみに女子の家に入ったのはそれが人生で初めてだった。

「そんなこともあったね〜。あの時は本当にありがとう。昇くんがいなかったら私、家に着く前に倒れてたよ。」

「僕、勝手に女子の家に入っちゃってよかったのかな、って未だに思ってるよ。」

「助けてくれたんだから良いに決まってるじゃん!ほんっとに昇くんは、細かいとこ気にしすぎるんだから。そのせいで仕事で失敗して、泣きながら乗ってきたこともあったじゃん。まさか忘れちゃった?」

「うぐ・・・。」

 あれは1年半前。些細なことが気になって企画書に修正をかけてたら、うっかりデータの一部を消してしまい上司にこっぴどく叱られたことがあった。その日は謝罪に周り、企画書を作り直していたから遅くなってその終電に乗った。希曰く、その時の僕はほぼ涙目で乗ってきて、希は慰めるのに一苦労したらしい。

「あまり思い出したくないな・・・。でもあの時、慰めてくれてありがとう。」

「へへ、どういたしまして。」

 希は少しはにかみながら言った。やはり何度見ても可愛い顔だな、と思った。

 実を言うと、僕は希さんのことが好きだ。高校時代からこの思いは変わっていない。高校の卒業式で告白しようと思っていたが、卒業式当日にインフルにかかってしまった僕はそれを果たすことが出来なかったのだ。

 僕は窓の外に目をやった。暗い瀬戸内海の上に、明石海峡大橋がそびえ立っていた。

「僕さ、この景色見ると思い出すんだよね。こっちに引っ越してきたときのこと。」

 僕はボソッと言った。

「明石海峡大橋を見ると?」

「うん。あの時は、何と言うか、何もかもが新鮮で輝いて見えたんだよね。希望に満ち溢れていた、って感じかな。」

「あ~、それ分かるかも。私も引っ越してくるときの電車で、そんなこと考えていたなぁ。」

「でも、大学の授業といい、仕事といい、社会での大変さを知ってしまった今、この橋を見ても何も感じないんだよね。」

「・・・それも分かるけど、私は1つ、感じることがあるなぁ。」

 橋を見ながら、希は言った。

「感じること?何?」

 僕が聞き返した。すると希は少しだけ間を置いて、

「昇くんと話した思い出、かな。最近、夜1人でここを通ると思い出すんだ。私が疲れている時に、昇くんと話すと疲れが和らぐ気がするから。」

「何か、照れるな・・・。」

 僕が絞り出せた言葉はこれだけだった。

「昇くんはどお?私と話してて楽しい?」

「もちろん、楽しいよ。疲れている時に希と話すと落ち着くし。」

 また言葉を捻り出して答えた。

「そう?えへへ、嬉しいな。」

 希は笑って言った。僕は既に、希の可愛さで死にそうだった。今まで彼女がいたことが無い僕は女子の可愛い仕草や顔にすごく弱いのだ。

 こんな時間を過ごせるのが幸せだと、心からそう思う。でも、そんな日ももう長くは続かないことを僕は悟っていた。

 1週間後のダイヤ改正で、終電の時間が繰り上げられることになったからだ。今乗っている終電も例に漏れず無くなることになっている。こうして希と話せるのは今日が最後になるかもしれなかった。

「ねえ、希。」

「何?昇くん。」

「1週間後にこの終電が廃止されるって、知ってる?」

「うん。そりゃ毎日使う路線だもの。」

 希は1つため息を吐いて続けた。

「この終電の中で、昇くんと色んな話をしてきたよね。それが無くなるって思うと、何か寂しいな。」

「新しい終電じゃダメなの?これより20分くらい早いやつ。」

「確かにその電車の中でも話せるだろうけど、私はやっぱりこの時間のが良いかな。それだけ思い出が詰まった終電ってこと。」

「思い出、か・・・。うん、そうだな。」

 僕は窓の外に視線を向けて言った。

「この思い出は、この終電じゃないと作れないな。」

「うん、だから私、絶対に忘れない。1時過ぎの深夜に、終電の中で昇くんと話した思い出を!」

「僕も絶対に忘れないよ!」

 2人でそう誓った。

「次は、朝霧、朝霧です。」

「え?もう?やっぱり昇くんと話してると時間が経つのが早いな。」

 次の朝霧駅で希は降りる。僕はその次の明石駅。ちなみに2人とも名字と同じ名前の駅だから、と言う理由だけで引越し先に選んだ。その話を終電の中でした時、2人でくすくすと笑ったのを覚えている。

「ここで話せるのも、これが最後かもね。」

 何気なく僕は言った。

「ここで話せる最後の話、か。」

 すると希は大きく深呼吸をしてから言った。

「じゃあ最後に私が、昇くんにいっちばん伝えたいことを言っても良い?」

「良いよ、何?」

「私、これからもずっと・・・」

 少しだけ間を空け、続けた。

「昇くんと一緒に、おしゃべりしたいな。」

 僕はびっくりして言葉が出てこなかった。

「え、それってどういう・・・。」

 絞り出すようにして言った。

 希は頬を赤くして、

「だ、だから私は、の、昇くんのことが・・・」

 少し間が空いたその時、

「まもなく朝霧、朝霧です。お出口は右側です。」

 車掌さんの放送が入った。希は慌ててカバンから名刺を取り出し、

「昇くん、電車降りたら私に電話して。伝えそびれたこと言いたいから。」

 そう言い残し、電車から降りていった。

 1時32分。希をホームに残して発車した。

「次は明石、明石です。」

 僕は少し期待を胸に抱いていた。もしかして希は、僕のことが好きだと言いたかったのだろうか。いや違うよな・・・。彼女なんて出来たこともない僕のことなんて。でも・・・。ずっと考えていると、

「まもなく、明石、明石です。お出口は右側です。」

 あっという間に時間が過ぎた。

 1時34分。明石駅に到着した。

 改札を通り、駅の外に出た。そこでスマホの電源をつけた。

 時刻は1時37分。僕は名刺に書いてあった番号に電話をかけた。

 希はすぐに電話に出た。

「もしもし?」

「昇だよ。さっき言いたかったこと、教えて。」

「うん・・・」

 はっきりと、頬を赤らめた希の顔が浮かんだ。

「私、昇くんのことが・・・」

 ゴクリ。

「大好きです!」

 僕の頬が熱くなった。

「僕も・・・」

 すぅー、はぁー。

「希が好きだ!」

 終電が無くなっても、今までの思い出と僕らの仲が無くなることはなかった。

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終電の仲 添野いのち @mokkun-t

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