第20話 色香①

「いらっしゃいませ……あら、あの時の」

「おう、あの後ご店主から話を聞いてな。旨いもんを教えてくれたんだ、礼をしねぇとな」


 翌週の木曜、昼間は熱くとも夜となると肌寒くなる街中を行き、浩一は例のスナック「セイレーン」を訪ねていた。

 薄手のジャケットを纏い、戸の開かれた店内を見回すと八時過ぎであるせいか客の姿はなく、代わりに中程の壁際で空気清浄機が息を巻いている。


「お手数をおかけしますが、そちらの用紙にお名前とご連絡先、体調に関するアンケートをご記入いただけますか?」

「ああ。消毒薬を使わせてもらっても?」

「ええ、どうぞ。ご協力ありがとうございます」


 腹よりも先に手にアルコールを沁み込ませた後で、浩一は無機質な紙片に角ばった文字を連ねていく。

 上質な黒のボールペンが走る度に温かな明かりが映り、それがより気品の高さを引き立てる。


「ほい、これで大丈夫だろうか」

「ご面倒をおかけしました」

「いやいや。それじゃあ、一先ずは……おっと、ありがとう。そうだな、米の水割りでもいただこうか。お姉さんもマスターも何か飲まれたらいい」

「私までいただいもよろしいので?」

「こんなご時世だ、普段はそんな趣味はねぇが、男に飲ませるのも悪くはねぇだろ」


 恐れ入りますというマスターの言葉を尻目に、カウンター近くのボックス席へと促された浩一はソファーへと深めに腰掛ける。

 アクリル板で仕切られた向こうにくだんの女が座り、慣れた手つきで水割りを仕立てていく。

 差し出されたところで、ドリンクを運んできたマスターと合わせてグラスを鳴らし、マスクをずらして少し口をつけた。


「かおりと申します、その節は一人でゆっくりされているところを失礼しました」

「なぁに、男ばかりより華があっていいじゃねぇか。あの店にはよく行くのかい」

「ええ、出勤前に一杯いただきたくなったら伺うんですよ。美味しいでしょう、あそこ」

「ああ、本当に美味い店だった。しかし、この店も落ち着いた雰囲気で良さそうじゃねぇか、マスターも嬢ちゃんもしっとりとしてるしなぁ」


 言いながら水割りを口にした浩一は、その華やかな甘さを転がしつつマスクの奥に表情を隠して技令の気配を探る。

 マスターはどうやらそうした力を持っておらず、この女だけが周りで際立った力を持っているようであった。

 とはいえ、これだけで確定的なことを言うことはできず、だからこそ浩一もこうして直接乗り込むことにしたのであるが、その動機というのは既に目星をつけていた。


「お兄さん、マスクを外されないんですね」

「ああ、店の人に何かうつしちまったら悪いからな。と、そのお兄さんは止めてくれ。もうこの歳だ、おじさんでいい」


 苦笑しながら水割りを口にしつつ、出されたナッツを一つ摘まむ。

 外の喧騒はやはり静かなもので、普段のそれを知る身としては気温以上に寒さを感じてしまう。

 それでも、隣の店から轟いた威勢のいい声に、浩一の口元も自然と緩んでしまった。


「お隣は若い客が多そうな店だな、威勢がいい」

「気になりますか?」

「いや、俺にはもう眩しすぎてなぁ。こうして、ゆっくりと話しながら一杯やる方が性に合っているのさ。それでも、ああした眩しい輝きを外から浴びるのは、今でも悪くねぇと思ってる」

「そうなんですね。確かに、私もあちらのお店に移ってしまうと、ノリについていけないでしょうね。でも、あちらのお店の子たちもいい子が多いんですよ」

「ああ、そうだろうな。あれだけ威勢がいいんだ、しっかりした店なんだろう」


 話をしながらかおりがやや緊張しているのを浩一は感じ取っており、それはマスターも同じなのか、恐らく匂わせぬようにしているのだろうが、僅かに張りつめたものが感じられる。


「そういえば、下のご店主から話を聞いたんだが、手相を見るんだろう。俺も趣味で卦を見るんだが、そうさなぁ一つ見てくれねぇか。ちょいと興味がある」


 差し出された浩一の手を両手で取りつつ、かおりはその力を少しずつ示し始める。

 占いで用いられる技力などは微弱なものであり、殊に飲み屋ともなればそこまでの正確性も必要ではないため、本来であればその力を発揮する必要もないだろう。

 しかし、それを真面目にこなそうとするところに、浩一はかおりという女の本質を垣間見たような気がした。

 だからこそ、浩一はなすがままに任せてその見える景色を伺うことにしていた。


「何かいいもんでも見えるか?」

「二年ほど、後でしょうか。何やら大きな争いに巻き込まれる運命にあるようです。そこで枝分かれをしているようですが、身近な方を大切にされてください」

「ほう、二年後か。それは気をつけんといかんな。ありがとう、自分の運命は見えんもんでな」

「いえ、私こそ初めて占いをする方の相を見させていただきましたから。少し緊張しましたけど」


 見れば、うっすらと額に汗が滲んでいるように見える。

 それを笑うと、浩一はコップに残るものを一気呵成に飲み干していた。



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