第2話

 世の中には、風邪一つ罹ることなく大往生を迎える人もいる一方で、私のような理不尽にも長生き出来ないことが生まれる前から定められている人間もいる。


 お母さんのお腹の中、まだ胎児だった頃に医師から重度の先天性心疾患を抱えていると告げられた。お母さんの真鍮は察するにあまりある。お腹の中にいる時点で、余命五年を宣告されてしまった。

 いつ起こるかわからない不測の事態に、幼い頃は体調が優れている時のみ認められていた自宅療養も、ここ数年は症状も悪化の一途を辿っていたので外出は禁止され、学校にもまともに通うことが出来ず、小さな病室でいつか来る終わりの時を待つだけの人生を送っていた。

 根本的な治療法はなく、残された手段は移植のみとなる。

 ただ、それもこの国内では難しい話だった。ただでさえ少ないドナーの臓器を順番待ちの患者が奪い合い、列に新しく並んだ人から優先的に選ばれるからだ。


 助かる見込みがある人が手を差し伸べられる――つまり、私はもう助からないと確定した人間。

 期待したところで誰も助けてくれないこの世界に、もう未練はない。

 モノクロな桜は、少しずつ咲き始めている。


         ※


「やぁ今日も会ったね」

「ああ……また会ったわね」

 再会は早かった。なるべく平静を装い、大人しくしていなければならない心臓を抑え付けながら返事をする。一際暖かい快晴の日に、気配も感じさせずやってきた彼は私の断りもなしにまた隣に腰を下ろした。


「これ、返す」

「あ、すっかり忘れてたよ。ありがとう」


 ぶっきらぼうに突き出した上着を受け取ると、またあの儚い笑顔を見せる。

 いつ再会するかもわからない彼のため、中庭に訪れる際には必ず彼の上着を抱えて下りていたけど、改めて考えると今日は平日の真っ昼間であることを思い出した。

 長期間入院してると、どうしても世間から乖離してしまう。普通の学生なら、この時間は学校に通ってるはずなのに、今ここにいるということは彼もこの病院に入院しているのだろうか――

 余計な邪推が頭を駆け巡る。


「今日もまた会えて嬉しいよ」

「……あたしなんかと?」


 普段男性といえば、担当医か父親くらいしか話す機会の無い私にとって、そんな些細な台詞にも心臓が高鳴った。

 少女漫画は趣味じゃないけど、どこかのヒロインのように顔が赤くなる音が聞こえた気がした。

 こちらの思いとは対称的に、恥ずかしげもなくいう彼には畏れ入る。不覚にも照れてしまった内心を悟られないように、当たり障りの無い会話に徹した。


「そうだ、あなた名前は何ていうの?」

「あれ、僕ってばまだ自己紹介もしてなかったっけ。斉藤さいとう千春ちはる。十六歳だよ」

「十六歳なの?」


 年齢を告げられ純粋に驚いた。十六歳といえば高校一年生くらいの年齢なのに、私と体格に大差がないということからてっきり同世代か年下の男の子かと思っていた。年上だと認識すると急に居心地が悪くなる。


「斉藤、千春ね。てっきり同世代くらいかと思った。私は広瀬 凜。十四歳」

「よく驚かれるよ。チビだし細いし、それに声も高いしね」


 斉藤はコンプレックスとして気にしているのだろう、何度も言われ続けてきた過去が、困ったように笑う表情に深く刻まれているようだった。


「それを言うなら、僕も始めて広瀬さんを見かけたときは、僕と同世代くらいかなって思ったよ。大人びてたんだもん」


 大人びているのは、死を受け入れてるからじゃないかな――なんて言えるわけない。

「ところで、斉藤君はこの病院に入院してるの?」

「そこまでじゃないよ。ただ、ちょっと具合が悪い程度。それで定期的に病院に来てるんだ」


 それを聞いた私は、なんだ……か、と勝手に落胆した。

 入院をしてる人なら、少しは話が合うかと期待したけど彼はお構い無しに話し続ける。


「僕はね、ここの桜を観に来てるんだ」


 桜なんてどこでも見られるだろうに、と箱庭のような病院から抜け出せない私は、心にモヤモヤしたものを抱えながら耳だけは彼の言葉に傾けた。


「どうか病気が治ります様にって、願掛けしてるんだよ」

「桜の木に願ったところで……現実は何も変わらないわよ」


 歳の割には幼い幻想を抱いているなと、申し訳ないけど鼻で笑ってしまった。

 私だって小さい頃には同じような経験がある。まだ現実を理解していない子供の頃の話。鼻で笑った事実はブーメランのように自分に返ってくる。

 中庭しか外に出ることを許されない私にとって、桜の樹は神様と等しい存在だった。何度も何度も手を合わせて願ったものだ。

 ――どうか心臓を取り替えっこしてください。元気にしてください。

 でも、もうどうしようもないのだ。


「うん。そうかもしれない。でも、僕は僕以外の人の為にも願ってるんだよ。元気になりますように、笑顔になりますようにって」


 照れくさそうに笑う彼に、彼の屈託のない笑顔から無邪気に発せられた言葉に、私の心を酷く揺さぶられて、揺さぶりが直視したくない感情を生む。


「なに夢見てんのよ……」

「え?」

「今時子供だってさ、もっと物わかりがいいよ。この病院にどれだけ助かる見込みがない患者がいると思う? そういう人達はね、毎日毎日朝を迎える度に、『今日も生き残った』っていう気持ちと、『今日も死ねなかった』っていう気持ちの間で、一人押し潰されそうになってるんだよ。なのに……斉藤君がやってることは自己満足に過ぎない」


 彼に悪気はないことはわかっていた。ただ、純粋すぎる彼の想いに、澱が溜まった心の底を照らされてしまったようで、平常心ではいられなかった。

 黙って聞いていた彼は、少し悲しそうな表情になると、申し訳無さそうに頭を下げる。

「そうだよね……ごめん」


 頭上には、馬鹿な私を見下ろすモノクロの桜が、次から次へと花を咲かせ始めている。

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