泉の乙女、青のロディーヌ

クララ

第1章 青き水の秘密〜ロディーヌ

第1話 呪いの扉と驚きの出会い

 ロディーヌははっと身を起こした。太陽が頭上に輝いている。もう正午過ぎだろうか。朝早くから逃げ回り、身も心も限界だった。ようやく清らかな場所を見つけて安心した途端、眠ってしまったのだ。

 しかし、おかげで力を取り戻せたようだ。自分と目の前の野薔薇の株に、闇を払うような明るい陽射しが降り注でいることに気づいたロディーヌは、黄金色の太陽を仰ぎ見て微笑んだ。それから野薔薇に向き直り、そっと語りかける。


「あなたも妖精も、長い間、私を待っていてくれたのですね。ありがとう。何ができるかわかりませんが、できることはなんでもやってみます……。どうか見守っていてくださいね」


 永遠の絶望に囚われた嘆きの岩山。それは青空の下、孤独にそびえ立っている。呪いによって周りに草木は何一つ育たなかった。しかし逆に、闇に侵され全てが魔と化した森において、そこは思わぬ逃げ場となった。瘴気のはびこる木々がなければ太陽光は届き、魔の力は及ばないからだ。よって野薔薇は生き延びることができた。呪いの力が女神にくみする形となったのだ。

 それはまた、呪われた王子のさまよえる魂を抱いた館のすぐ傍でもあった。わずかな土地に、けれどしっかりと根づいた野薔薇は、小さいながらも清らかな聖域が作り上げた。王子を追って満身創痍でたどり着いた妖精を支え、その希望をつないできたのだ。そして今、ロディーヌがその空間に救われた。


 ロディーヌは岩山の麓の立ちふさがる巨大な門を見上げた。大ガラスの館はさらにはるか上。カラスならばその翼で出入りする。門など必要ない。しかしロディーヌを始め、空を飛ぶことができない者たちにとってはなくてはならないものだ。いつ誰が何のために作ったものなのかはわからないけれど、ロディーヌはその幸運にまずは感謝した。

 門の中央にはある大きな鉄の扉をそっと手のひらで押してみる。想像通りびくともしない。次に体重をかけ何度か全身で押してみたけれど同じだ。重いのか錆びついているのか……力任せに押すことはやめ、ロディーヌは扉を調べることにした。

 そしてついに小さな鍵穴らしきものを見つけた。鍵がかかっている! そんなことは女神の話には出てこなかった。ただの鍵だろうか、まさか魔法の鍵とか……不安が頭をもたげたけれど、何事も試してみなけれわからないと、ロディーヌは自分を励ました。


 じっとその鍵穴を見つめれば、古いそれは太ささえ合えば簡単に開くような気がした。本来の鍵を手に入れることは無理だろうけれど、何か代わりにできるものがあるかもしれない、そう思ったロディーヌは辺りを探し始めた。

 けれど、岩山の周りにあるのはわずかな下草と野薔薇の茂みだけ。小枝となると森に入らなくてはいけない。しかし不用意に近づけばまたあの恐ろしい逃走劇の始まりだ。太陽の当たる森の外側、表面の部分にロディーヌはそっと手を伸ばした。そこはまだ、歪ながらも植物らしさをとどめている。かろうじて闇の支配から逃れているのだ。その小枝なら、使っても問題はないだろうとロディーヌは判断した。

 

 枯れた部分を素早く手折っていく。乾燥しているそれらは思ったよりも容易に手に入れることができたけれど、鍵穴のために必要な太さかどうかはすぐにはわからない。できるだけ数を集めるしかない。

 やがて両手に枝を持てるだけ持ったロディーヌは門の前へと戻った。一本一本、慎重に鍵穴へと差し込んでいく。何本かは細すぎ、何本かは太すぎた。ようやくぴったりな一本が見つかり嬉々としてそれを回す。けれどぽきりと折れてしまう。


「ああぁ……」


 思わず大きなため息がこぼれる。けれど挫けるわけにはいかない。気を取り直し、ロディーヌは黙々と作業を繰り返した。しかし見つかるたびに折れてしまう。錆びついた金属相手に枯れた枝では、はなから勝負は決まっているようなものだった。


「小枝では何度やってもだめってことね……だったら何が……」


 あれこれ思い巡らしたけれど、代わりになるようなものは思いつかない。ここまできて先へ進めないとは……。困り果て、がっくりとうなだれたロディーヌの目に、ふと自分の指が映る。……左手の薬指。


「あっ!」


 ロディーヌは迷うことなくその指を鍵穴にさし入れた。ぴったりだった。これしかないのだと悟った。

 やはりこれは特別な扉であり鍵だったのだ。たとえロディーヌが技術も素材も持ち合わせた優秀な鍛冶屋で、今ここで合致するもの作り上げることができたとしても、扉はきっと開かなかっただろう。ここにもまた呪いが込められていることに彼女は気づいた。

 他のものではだめだ。我が身の一部だからこそ道を切り開ける。けれどそれはまだ手についたままで、鍵穴に差し込んで回すことはできない。じゃあ、どうすれば……そう、この指を切り落とせばいいのだとロディーヌは思った。

 しかしその術はない。固いものといえば、胸に下げている兄たちからのプレゼントであるネックレスと、そのロケットの中に入れた大事なヴァナンドラだけ。ロディーヌは再び大きなため息をつくと、そばの岩の上に座り込んだ。


 その時、今まで静かだった森がざわざわと音を立てた。足元の草が一斉に揺れ始めた途端、ひときわ大きな振動が伝わってくる。ロディーヌは弾かれたように顔を上げ振り返った。

 後ろの森、ロディーヌがやってきたのとは反対側の森から何かやってくる。けれど不思議と恐ろしさはなかった。触手に襲われた時や毒の花から逃げた時のような禍々しさがそこにはなかったからだ。

 森全体が黒い波のようにうねり、手前の枝が大きくしなった。そして、何かがロディーヌの脇を鮮やかに飛び越え、近くの岩の上にしなやかに降り立った。


 光を浴びて輝く黒い宝石のような毛並み、それは……それはとても巨大な動物だった。比べる対象があまりにも少ないロディーヌではあったけれど、それでも知っている馬よりも大きいのではないかと思った。


「な、なに? 豹?」


 とっさに絵本の中で見たことのある豹という名前の動物を思い出したけれど、これほど大きなものではなかったはずだ。ではこれは一体……。疑問が渦巻きつつも、ロディーヌは息をのんで目を見張ったままだった。あまりにも美しかったからだ。なんという輝きだろうか。

 しかし同時に、触りたくて仕方なくなった。小さい頃から大の猫好きであるロディーヌにとって、それは大きな猫にしか思えなかったからだ。家の敷地内にいる、たくさんの猫たちのことをロディーヌは思い出した。

 

(ああ、猫。猫だわ。大きな猫! ああ、なんて綺麗なんだろう……)


 もう夢中だった。ロディーヌは微笑みを浮かべ、まっすぐに近づいていく。巨大な猫はそんな彼女をじっと見つめた。


 瞳の色は柔らかな薔薇色だ。たくましい体躯には一見似合わないようにも思えたけれど、その美しい色合いは、この生き物が非常に優れていて、かつ無垢な心を持っているだろうことをロディーヌに強く感じさせた。

 ついに目の前まで来たロディーヌは、次にためらうことなくそっと鼻先に手を伸ばす。黒い猫は黙ってそれを受け入れた。途端、温かく大きなものに包まれたような気がした。優しい微笑みがロディーヌの顔に広がる。そして、愛情に満ちあふれた手が再びそっと鼻筋を撫でた時、ひどく感心したような声がロディーヌの頭上から聞こえてきた。

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