22.「生まれたての殺意」


「雄大、この剣を握ってごらん」


 師匠の話はいつも唐突に始まる。

 ……差し出された片手剣の柄を見て、椅子に座って本を読んでいた雄大は大きな瞳を丸くした。


「師匠、なんですかこれ?」

「片手剣だよ、一般的に聖王騎士が使用している、何の変哲もないただの剣さ」


 師匠はその白銀に光る瞳で、雄大の顔を覗き込む。

 幼い彼には彼女が放つ輝きは眩しすぎる、目を細めながら言われた通り、少年は右手を伸ばした。


 恐々と柄に触れた手に、師匠の左手が重なる。

 体温の低い手に触れられて、雄大はびくりと肩を震わせた。


「そのまま神技を使うんだ。

 何が見える、何が聞こえる?」


 促されるまま、雄大は己の深層を覗く。

 神力が体中を巡る感覚、生まれた時から知っているやり方で彼は剣を理解する。


「……暗い、部屋のなか?

 ひたすら鍛えられて、誰かの為になれるように、この剣は作られた」


 ──雄大の神技は触れた剣の記憶をり、理解するもの。

 刃物全般に作用する異能だが、一番理解しやすい形が剣なのだ。


 何処でどう造られて、誰に扱われてきたか。

 どう扱えば真価を発揮出来るのか、剣は雄大に語ってくれる。


「そうか、良い剣だね。

 救済の祈りが込められた、真っ白な刃だ」

「……師匠?」


 雄大は意図を知りたくて彼女に尋ねた。

 常と変わらず、何を考えているのだか表情からは良く分からない。

 第二の母はそうだねと薄く笑う、肩口から白髪が一房落ちる。


「君にあげるなら、良いものを選びたかったんだ、まだ少し大きいだろうけど」


 何の変哲もない、ただの片手剣。

 特別な謂れもない一振りの刃。


「これを振り回せるくらい、大きくなって。

 扱い方なら分かるよね?」


 与えられたその剣が、彼と彼女を繋ぐ唯一の形に残る思い出だった。


 


 ◇ ◇ ◇



『キキ……ァァア』


 大気に満ちる神力が濁流の如く体の中へと流れ込んでくる。

 体が内側から破裂するんじゃないかと思うような、力の流れ。

 普段は何処にあるか意識もしない鍵穴ゲートが、脳の中で一つずつ開く音が聞こえた。


 生まれた頃からずっと神技を扱ってきた。

 とっくに慣れていることなのに、いつだって受け入れる為の時間が要る。


 雄大は地面を強く踏み締めた、そうしなければ倒れてしまうと錯覚した。

 巨大な渦の中心にでも放り込まれたようで、独りきりで此処に立つのは恐ろしい。


 だがそんな余計な情動は、戦いに身を投じてしまえばすぐにどうでも良くなる。


 彼が剣を振るう度に、が飛ぶ。


 万能に対抗する為の万能、騎士の中でも最高峰の性能を持つ歩く災害。

 第一階級として生きる彼は、愛剣を振るう度に溢れてくる己が記憶に耳を傾けた。


 ──これを振り回せるくらい、大きくなって。

 

 立派な騎士になって駆ける姿を師匠に見せる日が来ると、疑いもしなかった幼い頃。

 そんな日は来なかった、師匠は死んで残されたのは自分と剣と、予言だけ。

 

 雄大を置いて逝ったのは師匠だけではない、共に育ち初陣を経験した友、力及ばず死なせた部下、使命を背負い散った大人たち。

 今まで看取ってきた全ての騎士が、雄大が聖王になることを望んでいた。


『キキァ!!』


 意識の外へと置かれる事がそんなにも気に食わないのだろうか。

 四本目の脚を斬り落とされた三枚羽は、血飛沫を撒きながら絶叫する。


「桐谷先輩、周辺の制圧完了しました。

 あとはそいつだけです」

「上出来だ、ありがとう」


 背後から報告してくる紗世に頷きを返した雄大は剣を軽く振った。

 回想は終わりだ、そろそろこの場を収めよう。


 ……こいつの正しい使い方なら分かってる、柄を握ったあの日に全て理解した。


「お前には何の恨みも無いよ」


 欠損した脚で蠢く三枚羽の姿が哀れに見えて、雄大は呟く。

 言葉が通じないと分かっているのに彼は時折、異形へと語り掛ける。

 それは未来も良くやることで、意味のない戯れのようなものだ。


 奇数羽と呼ばれる天使たちは生き物の殺し方に特殊な拘りを持つ個体が殆どである、嗜好性とでも言おうか。

 何をしてくるか読めない相手、孵化して間もない今の内に殺すのが一番良い。


 野に放てば最後、数多くの人間を喰らい、他の天使とは全く違う殺り方で騎士を殺すだろう、辱められ踏み躙られ、バラバラにされて飾られたいくつもの仲間の死体が脳裏に過ぎる。


 ……ふと雄大は、目の前にいる存在と自分は大して違わないのではと考えた。


 多くの神を殺し、天使を破滅に導く者。

 お前は人の姿をした異形だと言われても、反論する言葉が出て来ないくらいには残虐に殺し回って生きてきた。


 哀れさも悍ましさも全て、対峙している三枚羽と自分は何処か似ている。

 それを虚しいとも、悲しいとも思わない。


 騎士として生まれてきたことを誇り、散って逝った命たちを思い出す。

 自分は彼らに託されたのだから、俺は俺のことが誇らしい、誇らしくあらねば。


 ──雄大が、聖王になって。


 死者が遺した言葉を胸に一歩を踏む。

 歩くほど神力に満ちた血液が、体の中で暴れ回る。


 自身に備わる機能が情動を掌握し、温かな感覚が遠くなった。

 人間性なんて言ったら可笑しいけれどそういう類の物との間に線が引かれる。


 思考を埋めていくのは自分が取るべき行動、現状に於ける最善、最速、最短、最優。


 深層から湧き出た神秘が槌を振るった、火の粉を被るような熱さが喉奥まで迫り上がる、脈動が己を鍛錬する。


 雄大は三枚羽をただ見つめ、殺すべき対象を瞳に映した。


 今更お前たちなど脅威にもならない。

 なるわけがないと、理解している。





 三枚羽は二本残った脚の片方を自ら食いちぎり、雄大に向けて投擲した。


 目眩しを斬り払った向こうで羽が散る。

 破裂音と共に突っ込んで来た大口が、彼の左肩を掠めていく。


 掠めただけの風圧で体が後ろへ持っていかれ、下げた左足が砂を掻いた。

 三枚羽は脚が一本しか残っていない体を荒野に叩きつけ勢いを殺し、低いところから跳ねるように身を投げ出してくる。


 後ろへと傾いた視界に迫る大口を収めながら、雄大は無造作に右手を振った。

 右手の先には剣があり、不安定な体勢で放たれた一撃は残像と共に走った。


 三枚羽が辛うじて身を捩らせ躱したことで、剣先は外殻を削ぐに留まる。

 中身はまだ見えず、もっと深く、深く。


 ──どう斬れば、当てれば、振れば、これを殺せる。

 剣は正しく雄大が知りたいことを教えてくれる。


 望まれた通りに雄大は体を動かすだけだ。

 横薙ぎに回転し、遠心力に身を任せ舞う。


 雄大の斬撃を三枚羽は俊敏に躱した、空振った刃が打ち付けられ、大地に溝を作る。

 轟音が轟き、山のように積まれた天使の骸が激震に崩れ落ちる。


 上手く武器を扱いたいならば、その武器を体の一部のように思えば良い。

 剣が上手くなりたいならば、自分が剣になれば良いのだと雄大は思う。


 彼の深層に宿る神秘はる為に、握る剣が何なのか──自身の本質が何者なのかを理解する為にあるもの。


『ァアァアアァアッ……コォワス!!!』


 三枚羽が胴体を前傾に曲げた、尾端から伸びた生殖器から黒い泥が撒き散らされる。

 異臭と共に飛び散るそれが頬を焼き焦がすのを雄大は認識した。


「……総員回避、はもうしてるね」


 周りを見渡せば、優秀な部下たちは既に雄大と三枚羽から十分な距離を取っている。

 好きに暴れてくださいね。

 そんな事を言いたげな紗世が雄大のことを見ていた。



 広がる汚泥の海に足が浸る。


 騎士が身に付けている靴や騎士服は、こういった体液に対して耐久性が高く設計されている。

 とはいえ、浸しっぱなしでは何れ溶けそうだ、雄大は決着をつけることにした。


 奇数羽を相手にするのはやはり疲れる、普段より更に警戒しなくちゃいけないし、力押しで何とか出来てしまう方が楽だ。


 雄大は構え直した勢いのまま、前方に向けて駆け出した。

 足を捕らえる為に放たれた汚泥、それを左右に回避しながら突き進む。


 汚泥が直撃すれば侵食は免れない、再生能力を鈍らされ手足の先から腐って死ぬなんて御免だ、と雄大は更に足を速めた。


 宙に描かれた黒いアーチが体を捉えかけては、ギリギリを掠めていく。

 ここにいるのが未来であったなら難なく距離を詰めただろうが、速度だけで言えば雄大は彼女に劣る。


 間合いまで滑り込めば泥が跳ね、皮膚を焼かれる感覚に顔を顰めた。

 首を狙うのが最善だと愛剣が言う、なるほど、それは確かにと納得しながらも振り切れるかは疑問だった。


 雄大が剣を振るよりも、三枚羽が再度、汚泥を噴出する方が僅かに速い──。



『ァアァア……?』



 動作で言えば、三枚羽が雄大を真正面から狙う方が先だった。

 本当に僅かな差だったけれど、生死を分けるには致命的なまでの差。


 命を奪うまではいかなくとも、雄大に重傷を負わせられる善戦を三枚羽はしていた。

 ……だから今、殺しておいてよかったと雄大は考える。


「腹の中身が空みたいだな」


 攻撃姿勢は完璧に、ただ弱々しく泥が溢れるだけの体を三枚羽は認識した。

 ──なんだ。


『ナン……ァァア!!』


 疑問を口にする前に、息の根が止まる。

 いや、落ちるだろうか、深く刻み込まれるような一撃が幼い天使の首を落とす。

 もがく体が斬り離され、バラバラになって地面に落ちる。


 幼いどころか赤子だろう、孵化したばかりの哀れな天使は、己の力の使い方も良く理解していなかったのだ。

 本能に従って行動していただけ、一体この赤子は奇数羽としてどんな殺し方を好んでいたのか、今はもう分からない。


 今日初めて純白を汚した雄大は、愛剣に纏わりつく血泥を見つめる。

 向けられた殺意の全てで、刃は染まっていた。




「桐谷先輩、大丈夫ですか?

 ……まさか奇数羽が出てくるとは」


 紗世が斬り刻まれた死骸を見ながら近付いてくる、光輪の輝きが今度こそ消えた。


 死者は出ていないが負傷者は多くいる、一度引き上げて隊を立て直すべきか、指示を請おうとした彼女の事を雄大は制す。


「まだ終わっていないよ」

 

 敵性反応は周囲に無い。

 だというのに剣を鞘に収めない雄大の姿を見て、紗世は息を呑んだ。


 改めて周囲を警戒する、荒野に見えるのは血溜まりに転がる死骸ばかりで、どれも動く気配はない。


 雄大が何を警戒しているのか分からなくて、紗世は首を傾げた。

 問う為に口を開き掛けて……何かが視界を遮る、何だろうと彼女は瞬きをした。



 ──頭上から真っ赤な塊が落ちてくる。



 何かのが荒野に叩きつけられた。

 弾けた血溜まりから目を離せない、まるで生き物が自死する瞬間を見てしまったときみたいに、紗世の体は凍りつく。


 一つや二つではない肉の塊が、無数に降っては弾け、空から鮮血が流れ出る。


 死が、視界を埋め尽くす。


「なに……?」


 頭上を見上げた彼女は呆然とした。

 他の聖王騎士たちも同様だ、空から地上へ注がれる血と、生まれては死んでいく臓物の雨を見上げて立ち尽くす。


 どうして、自分たちは気付かないでいたのだろう。

 元凶は、ずっとにいたんじゃないか。


 ──気配はなかった、予兆すらなかった。

 これだけ多くの騎士がいた戦場だというのに、誰も気付かなかったなんて有り得ない。


 だが事実として誰ひとり、視界に入れるまで分からなかったのだ。

 が、此方を覗いていたことに。


 正しく現状を理解出来ているのは雄大だけだった。

 彼は空を見上げている、降り注がれる血の向こうから此方を覗く存在もまた、彼のことを見つめていた。


「負傷者は後ろに、戦える者は前へ」


 皆が見上げた先には、裂かれた空がある。


 血と臓物と、死そのものが溢れ出す大穴が空に現れていた。

 見えてはいけないものが見える、起きてはいけない現実が起きる。

 事象の上書きは既に完了した、万能の神秘は発動を終えている。


 独り冷静に愛剣の柄を握り直す、そんな彼を見つめたが穏やかに笑った。


 

 一つ目の巨神が、此方を見ている。


 慈しみに満ちた微笑みを浮かべ、巨神は空に手を掛け地上へと這い出した。

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